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僕とおじさん

Xにはスペースという機能がある。
その機能は簡単に言うとグループ通話のようなもので、誰かがホストとして開くと、フォロワーのタイムラインにそのスペースが表示され、誰でもリスナーとして参加したり、ホストが許可したリスナーをスピーカーとして上げる事の出来る機能だった。
だれかのスペースにリスナーとして入れば自分のフォロワーのタイムラインにもホストのスペースが表示されるため、より交友の輪が広がる場でもあるのだ。

そんなスペースという機能で、僕はとあるおじさんと知り合った。
そのおじさんはOさんといった。

あまり具体的な事を書いてしまうと容易に特定されてしまうため伏せておくが、その人はXで若い子のリプ蘭に群がっているおじさん各位とは違い、割と良識的な面を持つ優良おじさんだった。

博識で、頭の回転が速く、会話に柔軟性がある、そんな彼とは2023年にスペースで知り合った。
僕は割とずけずけと人に立ち入ってしまう性格をしており、それを煙たがる人もいれば面白がり話してくれる人もいる。彼は後者であり、スペースで知り合って以降、彼とはよく話すようになっていた。

未だに会った事はないが、彼とはスペースの中で様々な話をした。
彼が長年連れ添っている恋人の事、ゲイ界隈のあれこれ、最近の推し、僕の恋愛や仕事の話。

僕と彼には大きな年齢の差はあれど、僕は彼を何だかんだで友人として見てしまっていた。
それを失礼だと言う人もいるのだろうが、困った事に僕の中で彼はそういう存在として確立してしまったのだ。

そしてどうやら僕は彼を友人としてかなり大切な存在として認知しているのではないかと思い至り、今こうしてキーボードを叩いている。
なぜなのか、自分でも不思議だった。
話していると楽しいが会った事はなく、特にDMを送り合うなんて事なんて無かったのに、だ。

ふとしばらく思考すると一つだけ思い当たった事がある。
僕はおそらく自身の中で友人の括りに入れる条件として、その人の前で泣く事が出来るか、その人に弱さを見せる事が出来るかが大きいのかもしれない。

僕の両親はあまり僕に関心のない人だった。
僕の生活そのものにもそうだが、何よりも僕の心に関心が無いように感じていた。
もちろんこれまで育ててくれたし、東京の一人暮らしで本当にどうしようもなく困った時には資金的な援助をしてくれた事もあった。
愛されているし、大事にもされてきただろう。でも、やはり彼らが僕の生活や心に関心を持っていたかと言えば、僕は簡単に首を縦に振ることは出来ない。
これは本人たちには決していう事は出来ないが、彼らは愛情以上に、親としての義務や責任感が大きかったのではないだろうかと思っている。

そんな彼らは僕にどうしようもない程の事が起こり、何もする気が起きない程に落ち込んでいても、特に励ましの言葉を掛けない。
掛ける言葉は一つだけだ。

「そんな事で落ち込んでいても現実変わらないよ」

子供の頃からその言葉で育ってきた。
だから人に弱さを見せない事も、立ち上がる時には自分一人である事も、僕にとっては普通だったのだ。
そして人に弱さを見せる事が出来る人の事を妬み、蔑んで生きてきた。

「落ち込んでいても現実変わらない。」
真っ当な意見だ。しかしそれは本人である僕が一番分かっていた。
そしてその正論は親でなく、赤の他人でも言う事が出来るものだった。
僕は真っ直ぐに捻くれていった。

Oさんはそんな僕にとって革命的な人だった。
スペースではビデオ機能は無いため顔が見えないのだが、僕にはOさんがどのような目をしているのかが何となく分かるのだ。

Oさんは僕と話をする時、とても楽しそうに目を細める。
Oさんは僕が突飛な冗談を言う時、目を丸くする。
Oさんは僕が本当に辛い時、慈しむような目を向けるのだ。

僕の心が痛くて、痛くて、痛くて、痛くてたまらない時、彼の目と言葉は「可哀そうに」と頭を撫で、僕が悩みに結論を出した時には「そういう考えもあるか」と思考してくれるのだ。
これまでの人生、誰からも向けられたことのない眼差しだった。もしかするとこれが『優しさ』というものなのかもしれない。
両親が僕に諦めた「対話」というものを、彼は諦めないでいてくれた。
その目とその言葉で、僕の傷は縫い合わされ、血は止まってくれるのだ。

そうして彼は紛れもなく、大切な友人と呼べる数少ない人の内の一人となったのだ。
僕が弱さを見せる事の出来る、数少ない一人に。



あと物凄くどうでも良い事なのだが、twitterがXに名前を変えた利点、パソコンで素早く打ち込めるくらいしかない気がするのだがどうだろう。
有識者の方、意見あればお願いします。

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