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発達よ、遅ればせながら

発達障害がある。

私は20歳の頃、発達障害の一つであるADHDと診断されている。

今では公務員として働いている私だが、子供の頃はそれはそれは変わった子供だった。


⚡︎プリントが出せない。

これはもうADHDの定番だと思う。
くっしゃくしゃになったプリントがランドセルからよく出てきたものだ。


⚡︎授業に集中できない。

私は特に聴き取りに弱い。高校時代は深夜に勉強して、板書の少ない先生の授業はほぼ寝ていた。
今でも通話での予定決めとかは9割分かっていないので、旅行の計画とか友達と立てる時は勘でなんとかしている。

⚡︎喋り過ぎる。

今もなおよく喋るが、あんまり自己開示したらダメそうな場面では関西人だから、と話している。実際には関西人が常にコントの世界の住人ではないのだが。

⚡︎授業中に鼻歌を歌う。

怒られた。

⚡︎自己開示しすぎる。

これが最も良くないと私は思う。
正直なところ、周囲がひいてるのは分かっているが、喋り過ぎたり(良く言うと)人懐こすぎたりするのだ。

総じて私は他人が好き過ぎる故に、本当に困ってしまうことばかりだ。

受診のきっかけはバイトに遅れがちになったことだ。
なんとなく出掛けはバタバタして、どうにも時間につかない。
余談だが、私は親にコンプレックスがあり1人で受診したかったので20歳を過ぎてから受診した。
本当は悩んだら(親なら子供が悩んでそうだったら)、早めに行くのが良い。



今では誤字脱字は人並み程度で、話しすぎるのが困っている。私と話していると大体の人が、
「コントみたいだね。」
という。
もっと悪いとくたびれさせてしまう。

私が自分のADHD症状を自覚した時に唱える魔法の呪文がある。

アトモキセチン、アトモキセチン。


これは私が服薬しているADHDの薬だ。
これで大体のことは笑えるようになった。
吐き気の副作用が酷かったが、ドンペリドンという薬でカバーしている。

さて、そんな私がどうして公務員として働けているのか。
大体の発達障害者に言われるのが、


30歳過ぎればマシになる。


だ。

私は10代からリストカットや縊首自殺未遂など、ありとあらゆるメンヘラムーブを起こしてきた。

表立っては割と真面目なので、そんなに問題にはならなかった。だが失敗せず(主観的には成功せず)、よくぞここまで生きてきた。

こんな風に自分を褒められるようになるまで、時間がかかった。主治医と合わなかったり、メンタルが強すぎて脆かったり、色々あった。

まだ若手ながら公務員としてやっていけてるのは(病気休暇はあったにせよ)、多分院卒で24歳と一般の新卒より少し遅れて就職したことにあるのだと私は考えている。
人よりも少しだけ多い学生経験が、人より劣った私の能力を補填したのだ、と思うのだ。

発達障害とは、発達に〝遅れ〟が出ることで、発達機能が〝欠如〟するわけではない。

じゃあどうして注意〝欠如〟多動性障害(ADHD)なんですか!という気持ちもあるかもしれない。



だが、


プリントを紛失する癖をカバーする方法はプリントを失くさない方法だけではない。


プリントを渡された瞬間に処理するとか、プリントを電子化するとかだ。

生きていくにつれて、それらの対処能力がついてくると私は思っている。
だから発達障害者は、

30歳を過ぎればマシになる


のではないか。


ちなみにこの記事を本当は下書きにとっておきたいという気持ちがあるのだが、早く世に出したいという気持ちが強いので衝動的に投稿する。



発達よ、遅ればせながら少し追いついてきました、と日々思う。

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