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便りの先に(その三)

 祖父の碁盤と碁石、絵手紙の入った文箱は僕が引き継ぐことになった。

 住む人のいなくなった富山の家は近く処分することになるのだけど、それは落ち着いてからということに。神戸にはとりあえず父と僕が先に帰ることになった。田舎なので、町内会や寄合など色々と挨拶しなければいけないところがあるらしく、母だけはもう数日富山に残る必要があったのだ。
 
 僕は富山から大阪への高速バスに乗り込むと、上総さんからの絵手紙の束を鞄から取り出した。碁盤や文箱などは流石に宅配を手配したが、絵手紙と棋譜は手荷物に入れておいたのだ。

 八十二手まで進んでいるので、その半分の四十一枚が手元にある。どのはがきにも絵とちょっとした一文が添えられていて、眺めるだけでも楽しい。

 絵の題材は身近なものだった。果物とか葉っぱ、動物や風景など。目玉がぎょろりとしたイワシだったり、少し齧りかけのアイスクリームだったり。日常にある風景を切り取ったようで、とても温かい便りだ。
 
 棋譜を見ると、まだ布石が終わって戦いが始まる前で、どちらかというと黒番の祖父が少し打ちにくいかな、という戦況に見受けられる。

 石の運びを見ても、お互いに有段者の打ち筋で堂々としたものだ。いや、所詮アマチュア三段の僕が何を偉そうにというところだけど。
 
 神戸に戻った翌日には、碁盤や文箱も届いた。僕は早速、文箱にあった未使用のはがきを使って上総さんに祖父の訃報をしたためた。はがきを書くのなんていつ振りだろうか。
 
 はがきには大迫吉郎が先日急逝したこと。自分は吉郎の孫であること。そして対局途中の郵便碁について、代わりに打ち継いでも良いかという問いかけを。
 
 そして待つこと数日。大学から帰ると、ポストには上総さんからの返信が届いていた。そこには色味を抑えた、落ち着いた風合いのユリの絵がひっそりと咲いていた。

『ご祖父様の逝去を悼み心よりお悔やみ申し上げます。吉郎さんとはついに会えずじまいでしたが、良き碁友でありました。優吾さんへの打ち継ぎはぜひともお願いしたく存じます』

 その夜、僕は八十三手目を投函した。 
 そして棋譜の対局者が書かれた欄。
 祖父の名前が書かれたその横に、自分の名を書き足したのだった。

(その四へ続く)


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