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便りの先に (その二)

 囲碁の対局の楽しみ方は色々ある。

 一番オーソドックスなのは、対局者同士が碁盤と碁石を使って対局するというもの。囲碁というと、ほとんどの人がこの対局風景をイメージすると思う。

 囲碁教室とか、囲碁部とか。
 あるいは碁会所と呼ばれるところが各所にあって、囲碁を打つ人たちが集まっていたりする。
 
 また、最近ではインターネットの普及により、ネット碁と呼ばれる対局サービスもよく利用されている。各々のパソコンやスマホから、同じくらいの棋力のユーザをマッチングして対局するのだ。

 これだと、囲碁を打てる相手が近くにいなくても、対局を楽しむことができる。僕の場合は中学生の頃に友達に教わって始めたものの、周りに対局できる人が少なかったので、もっぱらこのネット碁が中心だった。
 
 対局の時間は様々で、持ち時間が各四十五分とか、一手三十秒とかが主流だろうか。特にネット碁だと、相手の考慮時間を無為に待つのももどかしく、一手十秒などの超早碁もよく行われている。
 
 そんな中、このはがきのように一手ずつのやり取りを郵便はがきや手紙で行う「郵便碁」という対局方法はとても異質だった。

 存在自体は本か何かで紹介されているのを見て僕も知ってはいた。けれども、メールやSMSなど即時でメッセージを送信できる方法が山程ある中、わざわざ切手代を支払って郵便でやり取りをするなんて、ナンセンスだと思っていた。
 
 囲碁の着手は終局まででおおよそ二百手前後。

 一手三十秒なら、一時間弱で対局が終わるが、郵便で一手ずつとなると一局打ち終えるのに一、二年はかかってしまうだろう。

 なんと悠長な遊び方だろうか。
 
 とにかく、祖父はこの絵手紙の差出人、高山市に住む上総伸一かずさしんいちさんと郵便碁を楽しんでいたらしい。
 
 僕は母に一言断ってから、祖父の私室に入った。寒さに思わず身震いする。リビングと違って暖房が効いていないからか、それとも部屋の主がいないからなのか。
 
 キンと冷え込む部屋の片隅には、足付きの碁盤がぽつりと置かれていて、そこだけより静かに感じる。傍らに置かれたテーブルには赤茶色の文箱があって、これだと思った。
 
 両手で文箱の蓋を持って開けると、果たして中にはたくさんのはがきと棋譜が収められていた。差出人は同じく上総伸一さん。裏書きはどれも味のある色とりどりの絵手紙だった。
 
 棋譜の対局者の欄を見ると黒番は祖父で大迫吉郎おおさこよしろう。白番は絵手紙の上総伸一さん。記録では、今年の二月から対局が始まっていて、今で八ヶ月ほど。大体週に二、三手ずつ進むペースで打ち続いていた。
 棋譜には、着手を示す数字が黒の八十一手目までが書かれていた。
 
 僕の中に祖父の思い出は、正直あまりない。

 神戸と富山では少し距離もあって、正月かお盆に少し会う程度。
 とにかく、祖父が囲碁を打つということすら先程始めて知ったくらいだ。こんなことになるのなら、一局教えてもらいたかった。
 
 リビングに戻ると、温度差で冷えていた身体がまたブルっと震えた。
 
「このはがき、僕が返事出していいかな? じいちゃんの訃報もお知らせしなきゃだし」
「うん、あんたにまかせるわ」
 
 僕はこのときすでに、八十三手目の着手を思い浮かべていた。

(その三へ続く)


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