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些細な記録

今感じていること書いてみます。

現在は家族葬が多いと聞きますが、私もそちらを選択しました。

選んだ理由がいくつかあるのですが、故人が90代ということで20〜30年前の人脈はほぼ崩壊している状態です。すでに母親も他界し私が知りうる方や親戚を含めごくごく少数でした。

今後も自分とつきあいが続く親類なのかもひとつの目安で人脈も整理していくこのご時世で、先が見えにくいお付き合いは自然消滅していくのだと思われます。

落ち着いてからお知らせのはがきを出すと、反応があることは予想しての選択です。

これは両親の選択でしたが、父と母は生前戒名をいただいていました。お墓も用意し墓石もたてていたので、お寺に経歴書を提出し夫婦で共通の字の入った戒名をいただき、戒名をいただく儀式(?)に私も参列した覚えがあります。

残される家族への配慮と思っていますが、父親は自分がこれからお世話になるお寺さんには信仰心が厚くなると言って行事に熱心に参加していました。

今回母親と同じ位牌を頼もうとしましたら、購入したお店が廃業していまして、全く同じものは用意できなかったのですが、何軒か母親の位牌を持って仏具屋さんをまわり似たものを頼んでみました。まだ現物は届かないので少しドキドキです。


斎場から帰り道、私の運転で助手席に妹、後部座席に子ども2人が座ったのですが、車が動き出すなりお骨を抱えた子どもが「あれは衝撃の事実だった!」言ったことには私も同感だったのです。

何かというと火葬後お骨を骨壺におさめるとき木の棒で押して細く砕いていたのです。
確かにパッと見たときに骨がたくさんあったので、壺に入るのかなと思ったのです。

過去の祖母や叔母、母親のときとは違い男性だとこうも骨の量が違うのだと思ったのですが、私のような素人が見てもこれは背骨とかすぐわかるような綺麗な形で残っていました。

「大きいサイズの骨壷頼まなかったの」と側で囁かれ、ドキっとしたのでした。

散骨する方法もあるわけですから、砕くことは驚くことはないのだなと後から思いましが、でも驚いたかな。

父親自身は終活ノートなどいろいろ整理し書きとめたりしていたようでしたが、保管場所がわからず内容を見直すことはできませんでした。

最後の一年位は聞いてもよく覚えていないという答えが返ってくるだけで、繰り返し聞くこともできなかったです。

遺言書も委託していたのですが、そのことも最後本人は忘れている状態で、でも気になり私に何度も聞いてきたりしていました。

歳を重ねていくと心配のエネルギーから身近な人も信用できなくなる傾向があり、本人が大切と思うものほどしまい込む、自分だけの秘密にするみないな感じが強くなるようです。

身内とて本人が言いたくない見せたくないというものを無理に知ろうとはしないものですから、本人の記憶がいよいよ怪しくなってきたなと気づく頃には、肝心なことが確認できないことも多いのかなと感じます。

ただこのめぐりも自然の摂理みたいなもので、後から故人の遺品を整理していく中で、わかることや隠された思いを知ることになるのかなと思います。

こうした流れに無理に逆らわないことも必要かもしれません。

自分の寿命はわかりませんが、世間一般で言われるように早めに対応準備しておくことも大切かもしれませんね。

何かの参考になればと書いてみました。

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