第262回、夢こそ正義、誰もがプリンセスという傲慢についてぶっちゃけてみた
現在公開中で非難ごうごうとなっている「ウィッシュ」を観て来ました。
自分もこの作品全くダメでしたが、その理由にプリンセス物について自分が言いたい事が全て詰まっているので、あえて言わせて頂きたいと思います。
まずディズニープリンセスが、絶対に言ってはいけない言葉があります。
それは、主役のプリンセスが脇役の町人達に対して「夢を持つ事の大切さを説き、誰もがプリンセス(主人公)だ」と言う事です。
ディスニー作品に登場するプリンセス(男性の場合も含めた物語の主人公)は基本的に、夢見がちなはぐれ物です。町の人達からは変人扱いをされて、それでも夢を諦めずに持ち続けた結果、他の人達が得られない大きな夢を
手にする事になるのです。
しかしそれは、大きなリスクを背負う事と背中合わせの、危険な生き方でもあります。視聴者は、映画を通して主人公の冒険を見て、その危険を感じてそれでも叶えたい夢があると思った者達だけが、大きなリスクと引き換えに自分の人生の冒険の旅に出るのです。
もちろん全ての人が、その生き方の選択をできる訳ではありません。
映画を観る多くの人達が、主人公の行動に憧れを抱きつつも、自分はそうはできない、自分は町の普通の人々の側なのだと自覚をする事になります。
夢を持って生きる華やかなプリンセスに憧れを抱きつつ、そうではない自分を受け入れる事も、ディズニー作品の大切な役割なのです。
だからディズニー作品の主人公は、自分の生まれ育った町の風習や夢を持つ自分を否定する人々の言葉に苦しむ事はあっても、彼らの生き方自体を否定する事はありません。
彼らの生き方自体は否定する事なく、それと異なる生き方をする自分だけが社会のはぐれ物として、一人でその行動をするのです。
本来プリンセスとは、大多数の人達とは生き方の異なる、マイノリティーな存在なのです。そんなマイノリティーな生き方を選ぶ人々に、ディズニーは「私達は、そんなあなた達を応援するよ」と優しく肩を叩くのです。
それが今回の作品では、主人公のヒロインが、普通に暮らしている街の人々に対して「夢を叶えずに生きるあなた達の人生は間違っている。私達は全員願いを持って生きる、プリンセスであるべきなのよ」と豪語をし出します。※あくまでも自分が受けた印象であり、実際にはそういう発言はしてません
町人達をたきつけてジャンヌダルクの如く、プリンセス革命を起こします。
「私達は、全員プリンセスなのよ」じゃないのです!!
プリンセスは、決して多くの人達の人生の指針となるような、上から目線で物を言える、偉い生き方をしている存在ではないのです。
鬼滅の刃で炭治郎が、普通に暮らす人々に「君達も、鬼殺隊になるべきだ」と言いますか?
呪術廻戦で、普通の人々が、妖怪相手に戦わなけれならないのですか?
アニメの主人公は決して、普通に生きる人達の生き方を、否定していい存在ではないのです。意識革命をたきつけていい存在ではないのです。
夢を持って生きるのが素晴らしい事だとは、もちろん自分も思っていますが
「私の生き方こそが人間のあるべき姿、私が人生のスタンダードなのよ」
とプリンセスが口にするのは、最大の禁止事項、禁句なのです。
近年のディズニー作品は多様性を尊重して、一見するとプリンセスが視聴者の方に、寄り添って来ているように見えます。
しかし実の所「あなたもプリンセスなのよ」という言葉程、視聴者の立場や尊厳を傷つける物はないのです。
観客に一時の夢を与えるショーガールは、ショーガールとして、自分の持つ役割を、今一度きちんと考えて欲しいと、自分は心の底から思うのです。
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