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第306回、SF(少し不思議)な話をしてみた


テレビでよく、UFOや小さいおじさんを見た話をする芸能人がいます。
彼らは世間に注目をされてなんぼの世界で生きている人達なので、作り話をしている可能性もありますが、それが嘘だという確証もありません。

よしんば本人がそう思い込んでいるだけなのだとしても、そう思うような、何かしらの経験をした事は、間違いないのかもしれません。

自分はUFOも小さいおじさんも、一度も見た事がないので、そうした経験の真偽の程はわかりませんが、金縛りにあった程度の事なら経験があるので、もしかしたら、そういう事もあるのかもしれないと思っているのです。

自分はたかだか、金縛りを経験した程度なのですが。
100回くらい。

もちろん数等一々数えていないので、おおよその回数ではあるのですが、100回以上は経験しているので、途中から数える気が失せてしまいました。

自分が金縛りを経験したのは、中学生から高校生のいわゆる思春期の頃で、人生で最も心を病んでいたので、心霊現象を引き寄せやすい状態だったのかも知れませんし、精神状態がとても不安定だったので、精神が身体と心理に何かしらの影響を及ぼしていたのかも知れません。

さずがにこれだけ経験をしていると、心霊現象と心理現象の両方の可能性を自分なりに何度も検証をしているのですが、結局結論がでませんでした。

まあ当然と言えば、当然かも知れません。
毎日夢を見るからといって、夢の事を詳しく理解できる人等いないのです。金縛りに100回あった所で、それで金縛りの事がわかるはずもないのです。

ただ金縛りを受けている時は、何者かの意思を感じる事ができるのですが、それだって心理現象だと言われれば、それを否定しきる事はできません。
まあ心の中であっても霊の事を嘲ると、思いっきり体を絞めつけられるので言葉には、気を付ける様にしてましたが。

つまり自分は、金縛りに対しては、心霊現象も心理現象もどちらの可能性もあると思っているのです。

ここで自分が言いたいのは、100回以上経験をしても、どちらとも結論できないのに、なぜ一度も経験した事のない、あるいは数回経験した程度の事で心霊現象と心理現象のどちらかを、自信を持って断言できるのだろうかと、思ってしまうのです。

自分は別に、どちらの可能性を信じる事も、問題がないとは思っています。
しかし確証のしようのない事に対して、どちらかの可能性だけを断定して、反する可能性を否定するのは、あまり理性的な事ではない様に思うのです。

だから自分は、UFOも小さいおじさんも見た事はないですが、絶対にいないとも思いませんし、いるとも確信はしていないのです。
確証できない以上、両方の可能性を考慮しておくのが、適切な判断なのではないでしょうか?

自分は幽霊や、霊界等の、いわゆるオカルト的な事の全般に対して、同様のスタンスをとっています。
存在する事と存在しない事の、両方の可能性がある様に思うのです。

自分は別に、どちらの可能性を信じてもいいのだとは思います。
ただ反する可能性を否定する事が、あまり理性的に思えないだけなのです。

自分は無宗教、無信仰の立場をとっていますが、これは別に霊的な事を信じていないという事ではありません。
確証のない事を、さも絶対的な事の様に言う人が、自分の性にあわないし、そもそも人と価値観を共有するという、何かに属す事が苦手だからです。

知識として、宗教的な考えを知る事は否定的ではありませんが、あくまでも自分が考える際の材料にする程度の範囲であり、言われた事をうのみにする気はないのです。

いや、どちらかの価値観を信じて生きるのも、悪い事だとは思いません。
他人に多大な迷惑や、価値観の押しつけをしない限り、人は自分の信じる事を信じて生きればいいのだと思うからです。

それで精神が安定をして、幸せを感じられるのなら、生き方としてそれは、決して間違っているのだとは、思わないのです。

しかし客観的な判断を求められる、科学者や論理学者等の人達は、そういうスタンスを持つのは、あまり適切な事ではないように思われます。


もう一つくらい、少し不思議な体験を書いてみたいと思うのですが、自分が車を運転していて、小さな踏切内に取り残された事があるのですが、夕方の帰宅ラッシュ時で道路は車で渋滞していて、強引に線路外に出る事もできずしかも運の悪い事に、両側から同時に電車が来る表示が出ていたのです。
どちらかの線路側に避難をする事もできない絶体絶命の状態だったのですが結論を言えば、自分は奇跡的に電車にぶつからずに、その場を切り抜ける事ができました。

詳しい描写は省きますが、車が唯一ぶつからない場所に、車を避難させて、電車をやり過ごしたのです。
理論的には、それは可能な事ではあるのですが、はっきり言って線路の中に取り残される程、自分は車の運転が下手な人間です。
駐車場への車庫入れも、一回で成功させられた事がない様な人間なのです。
そんな人間が、この危機的な状態で、唯一電車がぶつからない場所に、車を一発で避難をさせて、数秒の差で電車との衝突を避けられた事が、どれだけ奇跡的な事か想像ができるのではないでしょうか?

どのくらいギリギリだったのかと言うと、車のサイドミラーを折り曲げた
その脇を、電車がすれすれの距離で、かすり通って行ったくらいです。

映画でよく生死を分けるアクションシーンがありますが、自分からすれば、この時の体験を上回るシーンは、体感的にそうないのです。
「ミッション・インポッシブル」を、地で体験した様な物です。

あまりの出来事に、あれは夢だったのかなと思う事があるのですが、その後その車が、自分以外の人が運転をしている時に、交通事故で大破してしまい直接的な因果関係がある訳ではないのですが、はやり踏切内での出来事は、本当にあった事だったのだなと、今でも時々思い返すのです。

ホラー映画の「ファイナル・デッド」ではないですが、本来踏切内で電車に衝突して大破するはずだった車が、その運命に取りつかれていたのかなと。

これで終わりの話であればいいのですが、映画の様に、自分にも死の運命が付きまとっているのだとしたらと思うと、自分は本当にあれで、助かったのだろうかと、今でも少しぞっとしています。

まあ幽霊を見たとか、そういう様な経験ではないので、今一ぱっとしない話だったかもしれませんが、自分の少し不思議な体験談は、いかが思われたでしょうか?

いきなり、自分はなんでこんな話をしようと思ったのか?
いつかはブログに書こうと思っていた事ではあるのですが、今精神的にとても不安定になっているので、そんな気分になっているのかもしれません。

ファイナルデッドシリーズの一場面です。(何のタイトルかは忘れました)
本来こうなる運命だった事を避けられた時、
その人は、本当に運が良かったと言えるのでしょうか?
AIでも生成してみましたが、映画に勝る画像は、生成できませんでした。
線路上にある手前の車よりも、この後、電車の脱線が確実な、線路の曲がり方が怖いです。
電車にぶつかりそうな事よりも、車が電車になりかけている事が気になります。


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