見出し画像

第288回、ゴジラ−1.0は、モノクロ版が完成形だった!!


ゴジラ−1.0(以降マイゴジ)のカラー版を観て絶賛をしていた自分ですが、モノクロ版も観て来ました。
このモノクロ版は、作品との相性がとてもいいと言う評判だったのですが、成程、観てすぐにそう思いました。

終戦直後の日本が舞台だからこそ、白黒の画像は当時の撮影技術と重なってまるで当時の記録映像の様に見えるのです。
カラーで見るよりも、当時の本物の映像、本当の出来事の様に思える心理的な効果が物凄いのです。

近年AI技術の進化に伴って、まるで本物の様な偽物の情報と言う意味を持つ「フェイクドキュメンタリー」と言う言葉を聞く様になって久しいですが、モノクロ映像によるマイゴジは、正に全編を通して、まるでそれが現実かの様な錯覚を与える、フェイクドキュメンタリー映画の様になっていました。

これはカラー版では、感じる事のない感覚でした。
それは白黒の画像が、これまで見た事のある当時の戦争記録映像と重なってこれは現実の出来事だと、脳が勝手に錯覚を起こすからです。

なのでこの錯覚は、白黒の映像でしか本当の画像を見た事がない、当時の戦艦や、焼け野原となっている街並みの映像等で、物凄い効果を発揮します。

自分がカラー版では、この映像いるか?と思っていたマスコミの実況中継のシーンも、モノクロになる事で、当時の記録映像の様な真実味が得られて、ようやくシーンとして存在する意味を感じられました。
このシーンは、モノクロ版の為にある様な物だったのです。

カラー版では、心を揺さぶられこそすれ、涙が出る事はありませんでしたがモノクロ版では、不覚にも感情が沸き上がって、涙が止まりませんでした。

カラー版では、可愛いとしか感じなかった戦争孤児の幼児が、70年?という時を経て、当時の本当の戦争孤児の様に見えて来て、涙があふれるのです。


そして今回この映画を観て、自分は確信をしました。
ゴジラは、日本に確かに存在しているのだと。
それは現実世界にとか、そういう事ではありません。

日本人の魂に、心の中に共通して存在をするイマジナリーとして、ゴジラは日本人にとって、もはや歴史の一部と化しているのです。

日本人にとって、原爆や震災体験の記憶を、辛くても決して忘れてはならない事である様に、ゴジラは、戦争と災害の脅威を記憶から風化させない為に畏怖の化身のイマジナリーとして、永遠に心の中に存在をし続けるのです。

ゴジラは一時倒す事が出来ても、完全に消滅をさせる事は出来ません。
日本人はいつ復活をするのかわからないゴジラへの畏怖の念を抱きながら、常に生きて行かなければならないのです。

だからこそ日本人は、備え続けなければならないのかもしれません。
震災と言う、いつ起こるかわからない現実の上でのゴジラの出現に備えて。

※実際に震災に会われている人にとって、エンタメと一緒にされる事に不快な思いをされる方もいるかもしれませんが、映画への興奮のあまり、不謹慎と捉えられかねない発言をしている事をお許しください。

今回のモノクロ版に合わせて、第205回で使用したAI画像を、モノクロ処理してみました。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,330件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?