環境に感謝すること

今いる自分の環境は(良くも悪くも)過去の自分が成した努力によってできていると私は考えている。受験勉強など特にそうだと思う (親の経済力とかは多少あるだろうが、努力の重要性は大きいと思っている)。

努力して勉強すれば、一流の大学に合格でき、ハイレベルな環境のもとで勉強や研究ができていい刺激をもらうことができる。
今いる環境は自分の成した努力によって得られている。過去の自分の努力が返ってきているだけで、それは当然の結果であり、別に感謝するようなことでもないと過去の自分は思っていたりした。

でも本当にそうだろうか?環境に感謝するべきというのは一般的な考えかもしれないが、なぜ環境に感謝しないといけないのか自分なりに言語化して考えてみた。

例えば、京都大学に入学できたとしよう。
そこにはレベルの高い学生や教授たちが多くいるはずである。そこにハイレベルな人がいるのは、おそらく京都大学で学んだ先人たちが偉大な結果を出して、世界的に認めれるような実績を出したからだろう。現在京都大学で学んでいる人たちは京都大学の関係者が過去に残してきた功績や文化、伝統に魅力を感じて集まってきてきるという側面は無視できないと思う。そうなれば、過去に偉大な業績を出したり、文化や伝統を作り、継承してきてくださった全ての人々のおかげで今の京都大学があるので、過去の先輩たちみんなに感謝する必要が出てくる。


また、こういった考え方もできるのではないかと思った。環境 (具体的には大学、会社などのような組織)というものは所詮は人間が作った空想、fictionに過ぎない。大学や会社は敷地があるが、その制度などは人間が勝手に作って制度化したもので、目に見えるようなものでもない。人間文明が崩壊したら跡形もなく消え去るものである。じゃあ、この空想は誰が作っているのか、といえば紛れもなく我々人間である。つまり、環境というものは自分が努力によって手に入れたものではあるが、自分を含めた周囲の人間によって作り出されたfictionであり、私たちはこのfictionによって良くも悪くも影響を受けているのである。夢の中に住んでいるようなものなのかもしれない。この夢を構成してくれるためには周囲の人間が自分と同じように夢を見続けていてくれる必要があるので、環境に感謝するということは「自分と同じ夢を見ていてくれてありがとう」という意味を含んでいるのかもしれない。
まとめると、環境に感謝するというとても抽象的な言い回しは具体的に言えば、「そこにある伝統や分野を作り、継承してきてくれた過去や現在の人々全員に感謝すること、環境というfictionを維持し続けるために自分と同じ夢を見続けてくれている周囲の人間へ感謝すること」ということなのかもしれない。

もし、あなたが今いる環境に不満を抱えているのであれば、周囲の人間が自分と同じ夢を見ていない orその組織で継承されてきた伝統や文化が自分の求めるものと違うということが原因なのかもしれない。

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