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幸せに過ごすべきという洗脳教育を受けている

世の中には明日死にたくない人で溢れている。

「正欲」を読んだ時に印象に残っている一文だ。

幸せに生きるためには○○な習慣を・・・
幸福をもたらす○○
よりよい未来のために○○を

様々な角度から、「幸福」という抽象的な言葉に対して呼びかけてくる。

そもそも幸せである必要があるのか?

幸せを追い求める動きが出てきたのは、生活格差が減少してきて所得の多い少ないはあれど、誰でも同じような生活が出来るようになったからだと考えている。

幸せとは心が満たされていること。(Wikipedia)

福沢諭吉は学ぶことの意味を、
「学ぶことは主体性を育てるために重要」

と言っている。

みんながいう「幸せ」と「主体性」はとっても関連性が強いと思う。

「主体性」とは
自分の意思や判断において、自ら責任をもって行動すること。
目的や課題を自ら設定して、その実現のために考え行動し、結果に責任をもって取り組む力。

そもそも、幸せについて考えること自体がとても豊かな暮らしだとも思う。

日々、生きるか死ぬか・・・

そんな暮らしをしていたら、数年後に何をしたい・・・とか、最新のスマホが欲しいとかそんなことを考えることはまずない。

だけど、その必死な毎日は死ぬほど不幸なのだろうか?
そんなことは無いと思う。

その反面、必死な毎日で無いからこそ、生活を豊かにする商品(生活家電やスマホなど生活格差を減らすもの)が生まれた。

世界の大富豪と呼ばれる人たちは、生活格差を減らす商品で富を作った人ばかりだ。

余暇時間が増えるという事は、より一層の「主体性」が必要になると考えられる。

見栄のためにお金を使い、浪費する癖があればどんなにお金があっても足りなくなるだろう。

主体性をもって物事を考えて、結果に対して自分で責任を取るという姿勢をもたなければ、○○をすれば幸せになれる!という実体のないものに安易に飛びつくかもしれない。

私たちの前にはこれまで以上に、様々な商品が現れるだろう。

自分の子供には、
結果に対して自分で責任を取る癖をつけて欲しい。
実現のために自ら行動を変えるようになって欲しい。

世の中には主体性のない人間で溢れている。
だけど、経済はそれにより成り立っている。

自分がどうありたいか、と、世の中がどうなっているか。
これは全く別の話。

主体性を持つというのは一つ今後のテーマになるかな・・・と感じている。

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