自分という存在
私は、普通の人間。どこにでもいる普通の大学生。何かすごいことを成し遂げているわけでもないし、何か特別な才能を持っているわけではない。俗にいう一般人。自分が明日死んだところで悲しむ人は世界人口の1パーセントもいない。自分という存在を知ってくれている人はごくごく少数である。
町中を歩いていたとしてもよっぽどの事情がない限り、相手から話しかけられることはないだろう。どんな外見だとしても、見向きもされない。自分から発信していかない限り自分の内面を他人に知ってもらうことはできない。
ではなぜ、自分は、人の目ばかりを気にして生きているのか。
たった30人ぐらいしかいないクラスの人たちにいつも合わせて学校生活を送らなければならないのか。
もしかしたら、この記事を見てくれている人の中には、狭いコミュニティの人間関係に悩んでいる人がいるかもしれない。
同じ制服を着て、同じクラスに集まるだけで、自分の個性を示すことができない。
少数意見は大数の意見には到底勝つことができない。まして、一人の意見なんか見向きもされない。
そんな、狭いコミュニティの中で日々神経をすり減らしながら生きている人はそれなりにいる。自分もその一人だった。
もし、今の人間関係につかれていたり、耐えられそうにないのなら、いっそのこと人間関係をリセットすることをお勧めする。
一から人間関係を構築する。
人間関係で悩んでいたり、失敗した経験があれば、自分に合う人間がどんな人なのか分かるはず。その経験を生かして自分の居心地のいい環境を自分自身で作る。これが一番大事。
自分にとって悪い人間関係の中にいると、自分がしたいことができない。要するにアクション出来ないということ。
抵抗ある人も多いと思うが、いったん一人になってみることもおすすめである。
一人になることで、逆に行動力が上がったり、自分の行動に干渉してくる人がいないため、様々なことにチャレンジできるようになる。
人の目を気にして生きていたことが馬鹿馬鹿しくなる。
自分に置き換えて考えてみてほしいが、今日町中ですれ違った人で何人思いだせる。
私は、だれも覚えていない。
それくらい、私たち人間は、他人に対して無関心である。
他人のことを考える暇がないくらい私たちは、自分のことだけで精いっぱいである。
もっと、自分の心の声に素直に耳を傾けること、また、自分の直感や感覚を大事にしてほしい。
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