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連続小説「アディクションヘルパー」(ノート13)

人生全て「運」。だから「運命ゲーム」を楽しめばいい。


〈「試験対策:実技編」〉

脱健着患

「爽健美茶がどうした?」

「あにやん、「健」しか合ってませんよ。なんか惜しい気もしますが。」

「もう、これややこしいのよ。健と患とどっちか先かわけわからないわ。」

「だから、脱患着健だろ?」

「あにやん、逆です。」

「着健脱患か?」

「そっちの逆ではありません。」

「ちょっとあんたたち!黙ってなさい!頭混乱してきたわ。」

麻痺などで四肢の動作が不自由な利用者様を着換えさせる場合の法則で、「健」とは自ら動かせる側をいい、服を脱ぐ時はそっちが先、「患」はいわゆる麻痺している側で服を着る時はそっちが先ということなんですが、

今回の実技試験の項目で、半身麻痺の利用者様を着換えさせるというのがあり、休み時間、皆さん各々自主的に練習しているところでごさいました。

着換えの他に、食事や排泄の介助、さらには車椅子への移動や移乗、杖の歩行介助などが試験の項目となり、受講生が試験の際は、他の受講生が利用者役を行い、試験官である「藤藤コンビ」が採点をするシステムです。

「杖、健、患だよな。」

「あにやん、逆です。」

「健、患、杖か?」

「ローテーションしただけですね。しかもそれだと間違いなく転びます」

「あんたら!杖、患、健!あにやんはワザと言っているでしょ!」

石毛さんの叫び声が教室内に響き渡りましたが、こちらは杖での歩行の足の出す順番を言っています。てか、これで良かったか自信なくなりましたw

あとは、食事介助のロールプレイでも

「お飲み物は、何になさいますか?」

「取りあえずビール」

「そう言うと思いましたが、松沼様、お茶かお水のどちらになさいますか?」

「それしかないのか?」

「訓練がすすまないので、余計な小ネタ挟むのはご遠慮くださいね。」

まあでも、こういう利用者の人も実際にいるかも知れないだろうなと、大事なのは、それぞれ実施する際には健康状態を伺うことだということでした。

「松沼様、気分はいかがですか?」

「あまりよろしくありません。」

「如何なさいましたか?」

「宝塚記念、ハズレました。」

「他は大丈夫ですね。」

「屑星さん、そこもう少し刈り取って聞いてくれよ。」

「試験本番は、制限時間がありますから、利用者役のときにそういうのはブチ込まないでくださいね。」

そうなんです。この制限時間が私には重くのしかかる課題なんですが、そこら辺の話は改めてします。

〈「ターミナル」〉

トム・ハンクスの話をするわけではありません。

確かに私は10数年前くらいに、海外出張行きイギリスのヒースロー空港で、そもそも中近東系若しくは南方系の顔貌に加え、少し派手目の赤のジャンパーを着ていたことから、入国管理で引っかかり、たぶんアルカイダだと思われたのではと。あらぬ疑いを掛けられ、このまま空港に拘束されるんだなと、当時流行っていたトム・ハンクス主演の「ターミナル」を思い出してたところ、出張の同行者から、

「とっとと、公用旅券を見せろ」

公務での出張ということが、入国管理官にも通じ、事なきを得た経験がありましたが、その「ターミナル」ではなく、「ターミナル・ケア」、いわゆる終末ケアの話です。

「ハンカチ、タオルを用意して下さい」

と、蓬莱先生の講義で動画の視聴があり、色々な終末期の過ごし方の実例を見るということで、かなり涙を誘うシーンが多いということです。

「あたし、こういうのは弱いのよ」

「師匠がそうなのは、容易に想像できますよw」

「あら、私ってそういう風に見える?」

「多分どこから見てもそう見えます。なんだかんだで師匠はお優しいですよ。」

「え、あ、あらいやだ。ちょっと屑星さん、泣けてくるわw」

「あまり、女を泣かすなよ」

「あにやん、語弊があります。」

ホントにここにいる人たちは、心底から優しいというか、人の気持ちに寄り添える方々なんだろうなと、そして石毛さんを始めほとんどの人が、その動画をみて号泣しておりました。

で、優しくない私は、涙を流すことが出来ませんでしたw

動画のどの事例も、「延命措置」を断念というか積極的に行わず、終末つまり臨終まで「その人らしく」人生を全うさせる。それに向けて周囲の人々も旅立ちを快く送ることにより、むしろ残された人々への心つまり精神が安定するということで、これ自体には共感します。

もちろん、本人や家族の覚悟というのが清々しく感じられ、そこに感動を呼び、涙してしまうのもよくわかります。そこだけじゃない、って怒られるかもしれませんが。

気になっていたのは「延命措置」を断念することです。もちろんQOLの観点から延命だけして、本人も身内もボロボロになるのはわかります。

ただ、「大金持ち」は、「延命措置」を極力やると思います。

今では回復不可能でも、「医学の進歩」で回復できる話が山程あり、医学の進歩を「延命措置」で待つことができるからです。

そして、医学の発達は目まぐるしいです。ips細胞などの再生可能な細胞が実用化できれば、回復できる不治の病もあると思います。

お金があれば、何十年でも延命措置ができ、医学の発展を待つということです。

当時、あまりにも皆さんが感動し、そこで水を差す発言でもしたら、蓬莱先生が私をこれでもかと吊し上げにかかることは容易に想像出来ましたので、松沼のあにやんにボソっとそんなこと言うと

「ふふ、血も涙もない男だなw」

「こういう見方をしてしまうんですよねぇ。感情移入できませんでした。」

「やっぱ金か?」

「今の世の中はそうですね。」

「じゃあ、週末の競馬は的中させないとダメだな。」

「そのために的中させるわけではないですよね。」

「俺の場合は『終末』ではなく『週末ケア』だ。」

まあ、延命措置とか安楽死には賛否両論あると思いますが、私は医療費全額免除になれば、どんな人でも延命するのではと思っています。怒られるかな。

今回はここまでとします。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ










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