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③【終末期は施設?自宅?】      白旗🏳️ホスピスへ転院

待合室のイスに座る事もままならず、
診察室横のベッドで声にならない声を絞り出し
父が医師に訴えました。

「もう…自宅では…
無理…ナノデ…入院…サセテ…下さい…」

医師は横たわる父のベッドの足先から
「では、良く頑張ったと思いますが肝臓に対する治療はやめて緩和ケア治療に移りましょう」
と、早口で言い去っていきました。

父は全部で10回の抗がん剤治療をしました。
7回目位からは体調も弱り副作用も強くなっていたので、診察時の医師の言葉には
『まだやりますか?』
という感じが少なからずありました。
医師は体調と寿命を鑑みて話している事だと
頭ではわかっていても、
『やめたら試合終了』
と思っている父がいて…

抗がん剤治療前に診察室に入る時は、血液検査やレントゲン結果はもとより、顔色や様子で
「今日は抗がん剤治療中止します」と
言われないように、身なりを整え
時には待合室で杖を私に預け
「診察室には1人で行くから」と、出来るだけ
気丈に背筋を伸ばし入って行く父の後姿を見ると気持ちは痛いほど伝わってきました。

医師がベッドの足先から早口でかけた言葉は
私には白旗をあげるのを待っていたかのように
聞こえてなりませんでした。

仕方ないよね…
ここは最先端の手術や治療で助かる人を
助けなければならない使命のある病院だもの…

わかってる…わかってる…わかってるけど…。

最後に検査したMRIの結果は?
肝臓ガンの今の状態は?
他に転移は?
そして…そして…
あと、どの…くらい…?

医師から本人にも家族にも転院迄に現在の病状の説明はありませんでした。

聞くのが怖い自分もどこかにいて…

私はなんとなくホスピスという響きに抵抗感がありました。
転院先は母が入院した事のある近所の病院での緩和ケアを希望してみました。
すると転院担当の方は
「あそこは治療やリハビリをしてお家に帰れる方を対象としていますので…」と一言。

現状を受け入れられていないのは
私自身だったのかもしれません。


ホスピスは市内には数ヶ所しかなく、一応ネットで検索して働いている方の不満的なものが出てきたところは、外しました。
《個人に不満がありながら患者に良いケアは出来ないのでは?》と考えたからです。それと
《毎日母を連れて通うのに家から少しでも近い事》を基準にしました。

数日後
車イスに何とか乗せて介護タクシーで転院。

まるでホテルのような木目調の落ち着くお部屋
「エ〜ッ!すごいねー‼︎
「1人部屋じゃなくてもいいのにね〜」

部屋を見て感嘆するその時の私には、
全室個室であらねばならぬ意味を
知るよしもありませんでした。

《ホスピス病棟》とは簡単にいうと
ガン治療が有効でなくなった患者(家族)の心身の辛さを和らげ出来る限り普段通りの生活を送れるように積極的にケアする事を目的としたところのようです。

《施設ホスピス》医師看護師にほぼお任せする《在宅ホスピス》訪問看護等を利用しながら
介護の中心は家族でセルフケアをしていく

《あなたなら(家族なら)終末期は
   施設で過ごしたいですか?
   自宅で過ごしたいですか?

   正直な気持ちとしては?
   経済的には?
   家族の負担的には?》











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