好きな音楽と、子供の誕生(比喩)
自分は小説書いたり、自己表現する時には必ずイヤホンして好きな音楽を何リピートもしなければ生まれない性格。
まるでそれは親が「出ておいで。外の世界はすぐそこだよ。綺麗な世界が広がっているよ」と産道をマイペースに降りて来る子供の様に私は脳の中でパズルのようにその子が必死に必死になっている様を台無しにしない様にこの世に生み出そうとしてるかのようだ。
だから難産になるのは当然。三日三晩飲食も口にせず、デバイスの上に手を乗せて「あーでもない。こーでもない。」と生まれてくる我が子のビジョンを決めて、作品を描いている。
胴体出来た(作品のタイトル)、
顔出来た(見栄えはどうかな?)、
手出来た(手に取ってくれるかな?)、
目出来た(世間の価値観に合った作品として見渡せれるかな?)、
心臓出来た(人のハートをつかめるくらい命はこもっているかな?)
足出来た(この作品で私は独り立ち出来るだろうか?)なんて考えながら私は作品を作っている。
つまり、作品を作るという事とは「出産」する事なのだと私は自分の中でそんな哲学を持っている。
そんな私の好きな音楽はリンドバーグの「MAGICAL DREMAER」
"辛い時も私の心に現れてくれた"というフレーズは私の心をガッチリと創作する意欲と結合させてくれて、今でも子供の時に感じた燃えたぎる空想の感覚を呼び戻してくれて辛くとも絵を描く事の楽しさを自分に重ね合わせるイメージを持たせてくれているから何リピートしようとも止められない。