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たんかんが待ち遠しいなあ

フリーランス社会福祉士の活動記録


令和6年1月16日(水) 業務日誌

本日の業務は、定期訪問の予定がなかったため、溜まってい被後見人さんたちの請求書の振り込みに行きました。
それから、昨日の記事でも書かせてもらった調査の為、市役所に行き
謎になっていた人物を特定でき、その方に連絡が取れて情報収集ができました。
そのため、大体の全体像と時系列が確認できてスッキリできました。
あとは、親族の立ち位置を把握できるかどうかです。

さて、タイトルの たんかん待ち遠しいなあ は、
私が、約10年前鹿児島の離島の専門学校に勤務していたころに
住んでいた集落の友人の話になります。

私が、赴任して間もなく、この友人ご夫婦も同じ集落に引っ越してきました。若夫婦で農業を志していました。
同じ時期に引っ越ししてきたことと、夫婦同士という事で食事会をしたり、公民館で一緒に飲んで 一緒に踊ったりして、とても仲良くさせていただきました。

また、この集落の皆様は、よそ者の私たち夫婦にとても親切にしてくださいました。

あるときは、朝の6時ごろ玄関のチャイムが鳴り、何事かと玄関を開けると
隣のおばが「先生、今日は奉仕作業じゃ 出て来んといけんよ」

またある時は、縁側にバナナが1房置いてあり、何かな?と思っていたら
同じく隣のおばが「先生の庭に実っておったけど、食べる時期が分からんと思って切ってやったぞ」

またまたある時は、茹でたタケノコが縁側にあったので、何かなと思っていたら、隣のおばが「先生とこの竹をきらせてもろた。それはおすそ分けじゃ」

また50年に1度と言われた豪雨水害に見舞われた時も、集落の皆さんがいろいろと助けてくれました。「電気がきとらんじゃろ、うちは電気がなくても風呂に入れるから入らんね」と、家族以上に大切にしてくれました。

こうした6年半 集落の方々みんなに気にかけてもらい、離島で過ごした時間は人生の中でもとても幸福でした。
しかし、悲しいことに 隣のおばもお亡くなりになりました。
離島での母ちゃんでした。

そして毎年、この時期になると友人から たんかんの注文のお知らせが届きます。
今では、品評会で賞を受賞するほどの 立派なたんかん&パッション農家さんになりました。

たんかんで繋がる集落と友人とのご縁 離島での思い出も一緒に届きます。

早く 食べたーい 待ち遠しいぞぉー。

皆様もご賞味あーれ

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