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テツガクの小部屋6 ゼノン①

ゼノンの議論は「もし多が存在するならば」と仮定し、そこから様々な不合理な帰結を取りだすという方式をとる。このように相手の主張を仮説とし、そのうえでその不合理なることを示すことによって相手の説を論駁する間接帰謬法のゆえに、アリストテレスは弁証法の創始をゼノンに帰している。

ゼノンのパラドックス
①多の否定 
もし多が存在するならば、その数は有限であるとともに、無限であらねばならないことになる。なぜなら、それは存在する数だけ、それだけ存在している。それより多くもなく、少なくもないはずである。だがそれが存在する数だけ存在しているのであれば、その数は限定されている。それゆえそれは有限である。しかし他方、もし多が存在するならば、存在するものの間には常に他のものが介在し、また他のものの間にも他のものが介在する。かくして存在するものは無限(無限定)であることになる。このように多が存在すると仮定するなら、その数は有限であるとともに無限であらねばならないことになる。

またもしそれが多であるならば、それは限りなく小でなければならないとともに、限りなく大でなければならない。なぜなら一方、一定の大きさを持ったものが多であるのだから、その大きさは多くの部分に分かたれる。それは無限に分割される。それゆえその部分は大きさを持たないほどに小でなければならない。だが大きさを持たないものをいくら足し合わせても、大きさを持ったものは出てこない。それゆえもとのものも大きさを持たないほどに小であったのでなければならない。しかし他方、それは無限の分割を許すのであるから、無限に大でなければならない。それゆえそれが多であるなら、それは無限小であると同時に無限大でなければならないことになる。

②場所の否定
もし場所があるなら、それ自身何かの内になければならないだろう。およそ存在するものはすべて何ものかの内にあるのであるから。それゆえ場所もまた場所の内にあり、そしてこの場所もまた他の場所の内にあらねばならない。このことは無限に繰り返される。これは不合理であり、それゆえ場所といったものは存在しない。

より有名なパラドックスは次回に。ゼノンのパラドックスは、後にベルクソンやアインシュタインやラッセルを巻き込んだ一大論争となった。

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂


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