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テツガクの小部屋1 ミレトス派

~テツガクの小部屋 掲載開始によせて~


このシリーズは2016年より他ブログにおいて掲載を続けてきたもので、西洋哲学史の概略を古代から年代順に追って紹介するものです。(主に)以下の参考文献からの引用であり、たまに、コメントを入れる程度です。どの時代またはどの哲学者に興味をもってもらえるか分からないため、できるだけ先入観を与えたり誘導したりしないように、あえて特に私個人の思想は記していません。
なお、この文献は初版1994年であり、その時点での「現代」という区分がなされていることにだけ留意願います(そのあたりの回になれば詳細を記します)。
哲学には正解はありません。ただ、私は、最近の大学等で行われている哲学は単なる「哲学学」に陥っているのではないかと危ぶんでいます。自ら考えることが哲学であり、その意味ではこの「テツガクの小部屋」シリーズは決して哲学ではなく、単に哲学への道しるべや導入といった意味合いでしかありません。そこは強調しておかねばならない点です。これを読んでいただいた=哲学している、というのはおそらく間違いです。
ですから本当は専門用語が飛び交わない、本物の「対話」が紹介できればよかったと思っています。お魚屋さんでも八百屋さんでも靴屋さんでも、職業や国や言語、関係なく、誰でもわかる言葉で話し合ったり、誰でも自由に「自分で考える」ことができる、そういった実に小さなことが、やがて大きな(世界的規模の)平和へとつながっていくのかもしれない、とも思います。自分で考えることの楽しさ、自由、喜び、一人で考えることの危険性、苦悩、限界を知ること、他者への問いかけ、などのようなことを、読者のみなさまの一人にでも、たった一人にでも、このシリーズが与えることができたなら、とても嬉しく思います。
 

1 ミレトス派


哲学はミレトスの人、タレス(B.C.585頃活躍)から始まるというのが哲学史の定説である。タレスによって「ミュトス(神話)からロゴス(合理)への」転換が成し遂げられた。
万物のアルケー(始まり)は水であるとタレスは主張した。アリストテレスの推測によれば、万物の栄養が湿っていること、また熱そのものも湿ったものから生じ、それによって維持されていること、万物の種子が湿った本性を持っていることなどを観察したためであろうと思われる。また、万物は神々で満ちており、磁石は生きている、なぜならそれは鉄を動かすからと説いたともいわれている。事物を生命あるものとみるこういった見解を一般に物活論という。

次に登場したアナクシマンドロス(B.C.610頃-546頃)は、自然のアルケーを「無限定なるもの」=ト・アペイロンとした。その理由は、もし水や空気や火といった特定の元素のいずれかがアルケ―であるとするなら、それらは互いに反対の性質を有しているので、他のものはその無限の元素によって滅ぼされてしまったであろうというにある。万物はこのト・アペイロンから生成し、またト・アペイロンへと必然の掟と時の秩序に従って消滅していく。

アナクシメネス(B.C.546頃活躍)の想定した万物のアルケ―は空気であった。「空気であるわれわれの魂がわれわれを統合しているように、気息、すなわち空気が全世界を包んでいる」というのが彼の主張である。すなわち彼は、空気が希薄化すると熱くなって火となり、他方濃縮化すると冷たくなって風となり、雲となり、さらに濃縮化が加わると水となり、土となって、ついには石となるという。

これら三者は哲学史上ミレトス派として分類される。彼らはいずれも構成要素(ストイケイア)という意味での自然のアルケーを求めたのであり、しかも質料的な意味での原因を取りだしたという点で共通している。

参考文献 『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂

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