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古典の名作『ドリアン・グレイの肖像』の翻訳を比較してみた

翻訳を比べてみる

前回「高慢と偏見」の翻訳を比較してみたところ、いろいろと発見があったので今回は少し前に読んだドリアン・グレイの肖像の翻訳を比べてみようと思う。

「ドリアン・グレイの肖像」は手に入り易い翻訳本として新潮文庫、岩波文庫、光文社古典新訳文庫の3つになりそう。

ちなみに自分が読んだのは光文社古典新訳文庫の仁木めぐみさんの訳で、今回、翻訳を比較する前に読んだけど、ストレスなく楽しんで読めたのでオススメしたい。

本作品は面白かったので原著は洋書のぺーパーバック版も手に入れたのだが、KindleのAmazon Classics Editionなら無料で読める。テクノロジー万歳。

書き出し

まずはチャプター1の書き出し文。
ドリアン・グレイの肖像画を書くバジルのスタジオ(アトリエ)の描写から。

The studio was filled with the rich odour of roses, and when the light summer wind stirred amidst the trees of the garden, there came through the open door the heavey scent of the lilac, or the more delicate perfume of the pink-flowering thorn.

The Picture of Dorian Gray

アトリエの中には薔薇のゆたかな香りが満ち溢れ、かすかな夏の風が庭の木立ちを吹きぬけて、開けはなしの戸口から、ライラックの淀んだ匂いや、ピンク色に咲き誇るさんざしのひとしお細やかな香りを運んでくる。

新潮文庫「ドリアン・グレイの肖像」福田 恆存 訳

アトリエのなかには薔薇の強烈な香がいっぱいに溢れていた。夏の微風が庭園の木立ちのあいだを吹き抜けると、開け放たれた扉から、ライラックのむせるような匂いや、桃色の花をつけたさんざしのいちだんと繊細な香が漂って来る。

岩波文庫「ドリアン・グレイの肖像」富士川 義之 訳

アトリエには薔薇の豊かな香りが満ち、夏のそよ風が庭の木々をざわめかせると、開いたドアから、ライラックのむっとするような香りやあるいはピンクの花を咲かせる山査子の、より繊細なかぐわしい香りが流れこんでくる。

光文社古典新訳文庫「ドリアン・グレイの肖像」仁木めぐみ 訳

自分だったらどう訳すか。興味ない人もいるだろうけど、これを行うことで原文に向き合った時の翻訳者の気持ちを追体験できる気がするので、一応書かせてもらう。(批評は受け付けない)

アトリエは薔薇の強烈な匂いで満たされていた。夏のそよ風が庭の木々の間を通り抜けると、開けっぱなしのドアからライラックの強い香りや、ピンク色の花の山査子の繊細な香りが漂ってくる。

ばしょう訳

なんとなく原文のrich odourには皮肉めいた響きを感じるので『香り』よりは『匂い』、そして庭からも花の香りが漂って来るにも関わらず、薔薇の強烈な匂い(過剰さ)を室内に求めているところに貴族階級特有の下品さを表しているような気がして、そんなニュアンスが感じ取れるといい気はした。(素人の感想)

会話文のやりとり

次に序盤の会話部分の翻訳を比べてみる。画家であるバジルと彼の作品を称賛するヘンリー卿との会話。

"It is your best work, Basil, the best thing you have ever done," said Load Henry languidly. "You must certainly send it next year to the Grosvenor. The Academy is too large and too vulgar. Whenever I have gone there, there have been either so many people that I have not been able to see the pictures, which was dreadful, or so many pictures that I have not been able to see the people, which was worse. The Grosvenor is really the only place."
"I don't think I shall send it anywhere," he answered, tossing his head back in that odd way that used to make his friends laugh at him at Oxford. "No, I won't send it anywhere."

The Picture of Dorian Gray

「バジル、これはきみの最上の作品だ、いままでにきみがやった一番の仕事だ」とヘンリー卿は懶げに言った。「どうしても来年はグロヴノアへ出すのだな。王立美術院ときたらだだっぴろくて、その俗悪なことまったくお話にならない。ぼくがあそこへ行ってみると、きまってひとが多すぎて絵が見えないのだ、全くひどいものだが、さもなければ絵が多すぎてひとが見えないときている、こいつはなお面白くない。となると、あとはグロヴノアだけだ」
「グロヴノアだろうとどこだろうと、出すつもりは全然ない」画家は、オックスフォード時代に友達の物笑いの種になった一種独特の仕方で頭をうしろに投げかけながら答えた。「絶対どこにも出さない」

新潮文庫「ドリアン・グレイの肖像」福田 恆存 訳

「これはきみの最高の作品だよ、バジル、これまでにきみが描いた最高の作品だ」とヘンリー卿が大義そうに言う。「来年はぜひグローヴナーに出品するんだな。美術院は広すぎるし、俗悪すぎるからね。あそこに行ったときにはいつも、人が多すぎて絵なんか見られやしないからな。まったくひどい話だよ。でなきゃあ、絵が多すぎて人を見ることなんてできないときている。こいつはもっとひどい話さ。本当の話、グローヴナーだけがうってつけのところだよ」
「どこにも出す気はないんだ」と画家は、オックスフォードにいた時分よく友人たちの物笑いの種にされた、例の一風変わった仕草で頭を後ろへぐいとそらしながら答える。「そうさ、どこへも出すつもりはないんだ」

岩波文庫「ドリアン・グレイの肖像」富士川 義之 訳

「これは君の最高傑作だな、バジル。今までに描いた中で一番いい」ヘンリー卿はものうげに言った。「来年、ぜひグローヴナーに送るべきだよ。王立美術院は広すぎるし、俗悪すぎる。何度行っても、いつも人が多すぎて、絵を見られたためしがない。ひどいだろう。そうでなければ絵が多すぎて人間をみていられない。こっちの方が悪いがね。送るべきところは本当にグローヴナーしかないよ」
「どこへも出さないつもりだ」画家はオックスフォード時代によく友人たちに笑われた奇妙なしぐさで頭をぐいとそらせながら、答えた。「そうだ、どこへも出すものか」

光文社古典新訳文庫「ドリアン・グレイの肖像」仁木めぐみ 訳

で自分ならどう訳すか。

「これは最高傑作だよ、バジル。これまでの作品で一番だ。」ヘンリー卿はもの憂げに言った。「来年は必ずグローヴナーに出すべきだ。王立美術院は広すぎるし、俗悪すぎる。いつ行っても人が多すぎて絵が見えない、ひどいことだ。そうでなければ絵が多すぎて人が見えない。こちらはもっとひどい。出すならグローヴナーしかないんだ」
「どこにも出すつもりはないんだ」オックスフォードで友人たちに笑われた頭を後ろに押し下げる奇妙な仕草で彼は答えた。
「そう、どこにも出すつもりはない」

ばしょう訳

翻訳者について

前回、翻訳を比べていたら、自分にとって何世代か前の人の翻訳は読みづらい印象を抱いた。言葉は生き物であり、時代によって変化することを考えたら、ある程度世代は近いほうが読み易いのは当然なのかなと。
というわけで翻訳者の生年月日をわかる範囲で載せておきます。

福田 恆存 (ふくだ つねあり)
1912年8月25日-1994年11月20日

富士川 義之(ふじかわ よしゆき)
1938年9月13日-

仁木 めぐみ(にき めぐみ)
不明。
新しい翻訳作品もあり、現役の人っぽい。

さいごに

翻訳は、大きく意味が間違ってなかったり世界観を壊してなければ、相性による部分も大きいのかと思ったりします。
僕は仁木めぐみさんの訳で楽しみましたが、自分にあった翻訳で読めればいいのかなと。気に入った作品なので原著も少しずつ読んでいこうと思います。

それでは良い読書生活を。


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