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区切りのない安心と不安

2022年4月に会社員になった。
仕事をして、お金をもらうという時点で、責任が生じているというのはもちろん承知の上で書くが、今、ここ最近の人生で一番気楽だと感じる。

例えば、中学生。("ここ最近"に入れていいのか?)

朝は早いし、服装は決まっているし、夜は部活で遅い。塾には中3の夏まで通っていなかったけど、ずっと高校受験への意識はあって、いい高校に入らなくてはいけないという意識に苛まれていた。
周りは幼い人もいるし、なんか先生に対して尖っている方々もいた。

高校に入ったら入ったで、もっと部活が忙しい。朝練は面倒だったのであまり行かなかったけど、昼休みに委員会の打ち合わせみたいなことをして、"休み時間"という感じがあまりなかった。
部活のあとは、塾に行って勉強。22時くらいに家に帰って、ご飯食べて寝る。朝練は行かなかったとしても、8:40には登校。早いと思う。

大学に入ったら入ったで、やりたいことがすぐできるかといえばそうでもなかった。研究で"やりたいこと"、にたどり着けたのは大学4年生。
そのおかげで、大学院にまで進学してしまった。(ポジティブな意味も大いにアリ)

何より大学は、学費がかかっていることの親や社会への申し訳なさみたいなのをずっと抱えていた。いくらPCの前で奮闘していても、お金を貰えるわけではないし、むしろ年間いくら払ってた?と思うと恐ろしい。

各方面への申し訳なさ、ザイアクカンみたいなものが消えなくて、せめて無駄は減らそうと思った。デジパをかけるのをやめて、コンタクトもやめた。(ケチだっただけという説もある)

もちろん、いくら研究に真摯に取り組んでいても、進路へのふあんは消えるどころか増えて、就活の時も、ふあんだらけだった。
就活が終わったら修論。自分でどこまでできるか、の勝負だったと思う。

さて、社会人になった。まだ、会社員と化して3ヶ月。わかりきったことを書きたいつもりはさらさらないが、思ったことがある。
まとまった時間、真摯に物事に取り組んだら、お金がいただけること。

たいっっっっへんありがたい。

中学の時の高校受験、高校の時の大学受験、大学の時の就活にあたる存在がなくなった。区切りがなくなったとも言える。
今はまだ、大きくない責任を、背負っているのみで済んでいる。

この責任が大きくなった時、自分ではできないことにぶち当たった時、あの頃のようなしんどい気持ちと共に、過ごすのかなと思う。

でも書いていて気づいた。
逆に、その年齢なりにプレッシャーだったことをなんやかんや乗り越えたことを自信にすればいいのかな〜と。

区切りがないことは、楽になったとも言えるけど、区切りがあったから頑張れたし、逆に区切りがあったから減っていたストレスもあったのかもしれない。

これからは、正真正銘の"オトナ"なので、自分で区切りを作って乗り越えていけよ、とそういうことなのかもしれない。
ほんとに色々わからないけど、ちょっとその辺意識していきたいところ。

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