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楽器に囚われる思考

ついにトランペットケースを新調した。
高校生の時から使っていたケースがボロボロだったけど、ものは長く使った方が得だし、何よりいつか楽器を辞める日が来るかと思って、新しいケースを買うのは控えていた(ケチ)。

でも、まだ辞めない気がして、せっかく社会人になってボーナスも入ったし、買ってしまった。
本当は、社会人になったら別の好きなことを見つけて、「トランペット吹く時間ないな☆」と言ってやめようかとも思ったけど、やりたいことがあるなら、もう始めていると思うし、思いついてもいない時点で、他にやりたいことも、たいしてないんだろう。

今日、いやさっき、糸井重里さんと佐久間さんの対談記事を読んだ。そこで、「苦労しているけど、実は人よりそんなに努力しなくてもできることってあるよね」的な点でお二人が共感していた。(カッコいい大人が、自分たちの考え方で共感しあっているのが、まじかっこいいって感じ。)

トランペットが、私にとってのそれだった。なんとなく、そんなに練習しなくても得意な方だったし、超うまいの一線を超えることはなかったけど、いやになるほど練習していたら、こんなにも続いていないと思う。

私にとっての楽器という趣味は、「もっといい人がいたら別れるけど、見つからないし、会えば楽しいから別れるほどじゃない」みたいな存在だろうか。
自分で書きながら、結構しっくりきている。

"趣味なんだし、一つに決めなくてもいいんじゃない?"
"でも吹かないと、吹けなくなる。そうなった時に、すごく悲しい気持ちになる気がするんだよな"

っとまあそんな感じ。トランペットの側に意思があったら、とっくに私が捨てられているように思えるくらいの扱いじゃない?

私は楽器が上手い人が、楽器をやめると聞いた時、
"やめないほうがいいよ〜もったいない"と言いそうになる。

でも羨望を相手に押し付ける気がして言うのを控える。
"そんなに上手なものを平気で手放せるなんて、羨ましい。こっちは手放すの怖いな"と思う。

こうやってまた、心のどこかで楽器に、音楽に思考が囚われる日々は続く。


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