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その正しい、そのまっすぐはあなたにとっては本当はどうなの?


夜中にふと

【そもそも真っすぐとか正しいとか】

ってなんなんだろう。

昔大好きなチャラちゃんとユキちゃんの対談みたいなのが
あって

どちらかが八重歯を治すときに
『そのかわいい声がでなくなる
かもしれないのが心配』っていうのがあって。

ずっとそれをおぼえていて

その八重歯があるから、そのかわいい声がでている

【そのひとのそのギフトはその身体すべてからできているもの】

って、

真っ直ぐが最良ではないで正しいが正解ではない

もしかすると
そのある人にいわせれば、歪み、みたいなものこそが、才能なのかも
とふと思う。

小さいころ
娘の発達を担当してくださった
先生が
『生きにくいと本人が感じた時に手をうちましょう』

わたしはそれがとてもよかった。

おかげで彼女は、いろいろなことがありつつも
その特性をまっすぐにいかし
のびのびといきいきと育っている。

どの世界でも、天然がなんでもよいとはかぎらないし
彼女にもほかの選択があったかもしれない

でも、今なんの生きにくさも感じていないのだ

進化は退化でもあるの。

進化という波にのまれて大切ななにかを忘れていっているのかも
しれない

ありのままという言葉はあまりに陳腐で
あまり好きではないけれど

でも、
杓子定規的に

『平均的な真っすぐ』を追い求めた結果
本当はない、ゆがみをかんじなくてはいけなくなって

『だれかの生きやすさ』を追い求めた結果。感じなくてもいい、
生きにくさを感じているのではないかな

とふと感じる


知らなくてもいいことというのは、世の中にはある
気づかなくていいことというのは、世の中にはある

そのほうが幸せっていうこともある。

今幸せなのに、今なんの不安もないのに、今なんの生きづらさも感じていなにのに

だれかの、ひとこと

『それ本当にそう?』
『本当はもっと』

その一言で、自分のなかに自分に対する疑いと迷いが
でてきてしまう。

だって真っすぐで正しくていろいろな手段で生きやすくなってるはずのこの世界で
昔より、悲しい事件が増えているのは、なぜなの?

真っすぐ、正しい、

そんな言葉の裏に、本当は背負わなくてもいいものを背負ってしまっている
という現実もあるのではないかなって思う。

みんな違ってどうでもいいのだよ、本当は。

だから、あなたのことがいとおしい。

わたしとはちがうあなただからいとおしいのにね

他人の違いを認めること。
それは、正しいと真っすぐ地獄から抜け出る方法ではないかなって
思うのです。

本当の意味で自分も相手も大切にするってこと。


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