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挨拶する?(コミュニケーション雑考)

挨拶をするのは、相手の存在を認めることと、自分の存在も認めてもらいたいという意味合いがある。

自分のとある記事からの引用

自分で書いていてなんだが、この基本的なことをついつい忘れがちになる。

社会人になると、悲しいかな関わる人間というのが仕事関係に偏ってしまい、挨拶に感情は伴わないことが多い。

「おはようございます」
「お疲れさまです」
この頻出ワードに特別な思いを乗せるのは、相応に準備しないと難しい気がしてしまう。だって反射でこれが言えないと社会人はやっていけないんだ。

あとは、
「いつもお世話になっております」
「(感情の伴わない)ありがとうございます」
この辺もよく使う。使わざるを得ない。お互いに絶対思ってないよな、なんて、ひねくれた事を感じてもおくびにも出さない、ビジネスマナー。


やはりそう云う意味ではnoteのコメント欄では、私は自然に近い状態なのかもしれない。
「こんばんは」をよく使っている。相手を認めること、自分を認めてもらいたいことがちゃんと出来ていると思っている。コメントは相手と一対一の関係になれるから。相手を思っての言葉だから。
「こんばんは」が多いのは、自分の自由な時間が真夜中から未明になるので、適切な挨拶を選択していると自然とそうなる。たまに「おはようございます」な時間にもなるけど。


しかし、挨拶(やコメントやコメント返し)というのは強要できるものではない。強要したり慣用として挨拶の言葉を発するように仕向けることは出来ても、きっとそこに意味はない。

“感謝とは謝罪やあいさつと同じで内から自然と出てくるものですから。強要するのもおかしな話でしょう。”

まさしく。

丸っこい言葉で長すぎず短すぎず、言いたいことが素直に伝わる読んでいて気持ちの良いエッセイを書かれているとらおさんのこの記事を読んで気付かされました。ありがとうございます。(←自然に出てきた!)


挨拶も感謝も同じだ。大事なのは気持ちの方にある。挨拶や感謝における言葉や表現というのは、二の次でいい。内容も細かなニュアンスも、その後に続く言葉や態度で伝えていけばいい。それよりもまず、そのやりとりに入っていくための区切りとしてサインとして、挨拶や感謝を忘れないようにしなくちゃいけないんだと思った。

もし、そういうのに慣れていなかったり照れくさかったりするのなら、自分が言いやすい言葉でもなんでもいい。まずは相手の存在を認めたいと伝えることから始めていこう。そうしたら、向こうが息が切れるまで喋りだして、結果的に水を飲んでくれるかもしれない。むしろ一緒に飲みはじめて、もっと話したくなるかも。


そうそう。相手と通じ合ってさえいれば、特に挨拶の言葉はなんだっていいんだよね。「はひふへほ〜」でも「まみむめも〜」でもいいのだ。とはいえ、いきなりそんな言葉を使えるほど私はやんちゃなキャラじゃない。

うーん・・・・
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・

いや、普通でいいだろう……「こんばんは」でいいや。

あぁでも、普段あまり使わない「こんにちは」と「おやすみなさい」を特別な時には使おうと思う。特に「おやすみなさい」は、距離感の近い人にしか滅多に使わないしね。


あー、なんだか秘密基地に入るための暗号を決めたみたいな気分で心が躍る。



おやすみなさい。

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