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私が全て引き受けましょう『trade』

今日は私の好きな音楽の話をしてみようかと思います。

私は女性ボーカルの曲が好みです。そして、どちらかというと歌詞を重視しており、それを読み解くのが好きです。また、歌唱という点においては、その歌詞で何を伝えたいのかというのを表現されているほうが好みです。メロディもしかり。

以上を踏まえると、自分で作詞作曲歌唱まで全てを行うシンガーソングライターと呼ばれる人たちを好みやすい傾向にあります。

ですが、今日紹介したいのは違います。

「GARNET CROW」というバンド。もう活動はしていませんが、大好きです。魅力はいくつも挙げられるのですが、なんといっても歌詞がよい。語りたい曲はたくさんあるのですが、その中でも私の中の価値観とよく合うものが表現されている曲を紹介したいと思います。

『trade』という曲です。You Tubeは公式ではないのでリンクしませんが検索で見つかるかと思います。

以下、曲の解釈の話ですので気になる方は先に曲や歌詞をご覧になってください。


深く読み取って解釈をしていかなければ理解出来ないという歌詞ではありません。そのまま読んでいくだけで充分な構成の歌詞となっていると思います。

1番2番ともに、メロの冒頭に「愛、というもの」という言葉が入っています。この曲は、「愛」がどういったものかを、それについて考えている「(曲中の)私」が綴ったものだと思います。そして、サビは同じような表現を1番2番ラスサビと少しずつ言葉を変えています。この少しだけの変化というのが個人的に重要なポイントです。全く同じではないというところに思いの強さというのが垣間見えるのです。


この曲の全体感を簡単に言うと、「私」は「彼」によって「愛、というもの」に出合うことができたけれど、その「彼」を失った。その後の胸中を歌っているものとなります。

「私」の葛藤と、それを上回る決意というものを私は感じます。哀しみや寂しさのその全てを引き受けましょうと繰り返すその意思。それらは決してこの世から無くならないものだから、せめて「私」が引き受けましょうという心。

これは優しさでしょうか。慈愛でしょうか。私はそうは思いません。受け取ったものから、それに見合う分を渡さなくてはいけない。そういう義務感あるいは使命感とも言えるモノだと思います(私は義務感という言葉が嫌いです。ですが、この曲で表現されているものは美しいもののように感じます)。これはつまり、この世のあらゆる哀しみを全て引き受けようと「私」に決意させるほどのものを「彼」から受け取ったということでしょう。それは「愛」でしょうか「愛、というもの」でしょうか。それは分かりません。ただ一つ言えることは、「私」の決意それこそが「愛」であると私は感じます。

全てを受け容れること。これは私にとってのひとつの「愛」のかたちですが、「私」も同じ様に考えているのだと思っています。すると、「彼」がいなくなったことも受け容れていく必要があります。だから、

“帰らぬ日々を思わずには
 いられぬ性(さが)も飼い慣らせずに
 願うのは無上の強さなど
 慟哭に背を向け”

Cメロ

哀しみや寂しさに背を向けて、強くなりたいと願うばかりでいることは出来ない(「私」にはやるべきことがあるでしょう?)と「私」は強い思いを胸に秘めているのだと思います。

この暗めの曲調と負のイメージを連想しやすい言葉たちの中で、「私」には負の感情が見当たりません。むしろ、力強く逞しく誇り高く揺るぎのない強い意思を感じるのです。そこに私はとても惹かれるのです。


“いつの世も憎しみが消えぬというのなら
 私は笑っていましょう”

2番サビ

この曲で唯一「笑う」という、負のイメージではない言葉が2番のサビにはあります。「私」は一体どんな風に笑っているのでしょうか。

私もいつかそんな風に笑いたいと思っています。


作詞を担当しているAZUKI七氏は、彼女の書いてきた多くの歌詞で色んな愛を表現していますが、そのうちに宗教観を醸し出すことがあります。この曲の「彼」もいわゆる神のような存在と捉えることは出来ます。

ですが、私はそうは思いたくありません(私が無神論者だからという理由もあります)。

タイトルの『trade』は交換という意味合いでよいでしょう。同じく交換の意味を持つどこか機械的な「exchange」よりも、「trade」は意思の双方向性が感じられます。尊重し合うような温かみがあります。「愛(、というもの)」を受け取ったから「愛」を渡す(哀しみを引き受ける)のです。ですから、「彼」を神にすることは少し抵抗があります。大きな存在に報いるための代償という意味が生じてしまいそうで嫌なのです。この曲はそうではなくて、「私」以外(の世界)にとってはたとえささいな事ちっぽけな事でも、「私」にとってはかけがえのない大切な事であるという、思いの力の強さを教えてくれているような気がするのです。そして、それはとても美しい。



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