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「私は最強」と叫べるあなたは最強『私は最強』

強そうなタイトルだな……
なお自前の音源はありません。これはさすがに歌える気がしないので覚えていないのです。

さてさて、私事ではありますがここ最近病に臥せっておりました。死んでました。

人間、身体が元気でないと「私は最強」だなんて虚勢を張ることすら出来ないものですね。これって、身体の健康は心の健康にも大きく影響するっていうよく聞く話ではありますが、病み上がりだと特にそう感じます。

裏を返せば「私は最強」だと、たとえそれが強がりや何かの比喩やそれこそ虚勢だったとしても、大声でも小声でも大々的にでも小規模にでも、自分の言葉として偽りのない想いとして叫ぶことが出来るとしたら、それはとても健やかであるように感じられます。

ちょっと立ち止まって。

最強ってなんでしょうか。最も強い?
んー、あ、わかった。「私」と「最強」の間になにか省略されている言葉があるんだ。

「私は人間界において最強」
ほら、なんか強そう。
……いやー、これは違うわ。

真面目に。
比較するための言葉である「強い」において、その対象も基準も用意しないというのは、つまり何を当てはめてもよく、ただその最上位であるとするのが「最強」という言葉なわけです。

「私は最強」と発するのは間違いなく自分自身なので「強い」の基準は自分自身にのみあればよく、他人と比較する必要はありません。

つまり、本来ならばトーナメント方式で勝ち上がった最後の一人こそが叫ぶことが許されそうなこの言葉ですが、そんなリングに上がる必要もなく、誰もが何を根拠にしても叫んだっていい、それが「私は最強」なんです。


「私」と「最強」の間にカッコ書きを加えたっていいんですよ。

「私(の空腹時の腹の鳴る音)は最強」
→ライバル多そうですが。
「私(のすぐに君を見つけ出す能力)は最強」
→純愛とストーカーは紙一重。
「私(の手のひらの柔らかさ)は最強」
→前世はきっとネコ科。

なんでもありです。

これらを言ってのけるたった一つの条件は、自分を信じることにあるのでしょう。自分の力を信じて何かを成し得ること、を信じるのではありません。もっと根源的に自分を信じること、肯定すること、その先のことなんてわからなくていい、ただ自分を信じること。それが出来ていることが「私は最強」なのです。誰よりもとか、何よりもとか、関係ないんです。


「最強だなんて強い言葉を使いたがるのは自分が弱いのを自覚しているからに他ならない」

メガネかけたイケメンの敵キャラが吐きそうな台詞

こんな天邪鬼キャラもこの論理の前ではなす術なく膝をつくでしょう。だって最強だもん。これで封殺です。


もちろん、そんな無茶な理想論だけを振りかざして生きていきましょうなんて、弱っちいことを言いたいのではありません。

この曲中の「私」のように歌い続けること。「私は最強」だと歌い続けることこそが「私」が最強であることの根拠としていくこと。そういうことをしていきましょうと、このように思うのです。

それは、誰かにとっては毎日の仕事の事かもしれません。誰かにとっては花に水をやることかもしれません。誰かにとっては誰かにおはようと声をかけることかもしれません。誰かにとっては誰かにとっての何かになることかもしれません。

誰かにとってのささいなことでも、それを最強だと思えるあなたは最強です。


“何度でも 何度でも 言うわ
「私は最強」
「アナタと最強」
「アナタと最強」”

『私は最強』作詞:大森元貴

ここまで書いてきたものの、歌詞の最後に全てまとまっているんですよね。

私は最強→当然(目の前にいる)アナタも最強。
どっちが最強とか決められないから
「私もアナタも最強」
じゃあ、
「アナタと最強」で、いいよね、っていう。

だから、さあ、声高らかに叫びましょう!


$${\Huge私は最強}$$



「この理屈で言うとさー、お前(筆者)も最強ってことだよね?」
「そうだね、私は最強だよ」
「冒頭でさっそく諦めてることあるけどそれってどーなん? 最強なんやろ?」
「……」
「ほれほれ」
「あー……喉の痛みが引いたら頑張りま……す」

自縄自縛モノローグ

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