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今が我が家のベスト

18年前のことです。
 
一卵性双生児のケンとリュウは四年生に進級したが、家での様子は保育園に通っていた頃とあまり大差なかった。
常に目の前の楽しいことにしか興味がなく、それ以外のことはぐずってやらなかった。
明日がまた始まることを想像するのが苦手で眠くなるまで遊び、宿題はしない時間割もしない。

その頃、ゲームの他にパソコンにも興味を持つようになり、1台しかないパソコンを2人で毎日のように取り合った。
ルールを決めても最後はど派手な兄弟喧嘩になり、どちらかが地団駄を踏んでいつまでも怒っていた。
そしてその頃から怒りがおさまらないと物に当たるようになり、テーブルやソファがひっくり返った。
 
一方小学校では、2人とも極端におとなしく意思表示がない。
給食の好き嫌いもひどいが問題行動があるわけでもなく、担任から特別に指導を受けることはなかった。
 
しかし想像以上に育てにくい。

育てにくいのは「双子だから」だけでもないような気がしていた。
そして夫がついにネットで「発達障害」という言葉を見つけた。
発達障害の特性が2人に見事に当てはまり、ついでに夫にも当てはまり、私たちは笑いあった。
 
さらに調べていくと、その先に「青少年相談センター」があった。
私はすぐに青少年相談センターに電話をし
「小学4年生の双子の息子に発達障害が疑われるのですが、どうしたらいいですか?」
と尋ねた。
電話の担当者は、
「現在、相談の予約がいっぱいのため、応じられるのは2ヶ月後になります。よろしいでしょうか?」
と言われた。
こちらは今すぐにでもかけつけたい気持ちでいっぱいだったのに2ヶ月後と言われて、これは「不要不急」の案件なのかもしれないと思った。
 
青少年相談センターの面談日をじっと待つこと2ヶ月。
初めて訪れたそこは、思った以上に新しくて立派な建物だった。
中に入ると天井も高くとても開放的な内装で驚いた。
2ヶ月は予約でいっぱいと言われた割にセンターには人っ子ひとりおらず、広いロビーを持て余しているようにも見えた。
 
しかし、静かな理由はすぐにわかった。
完全予約制のため訪問するとすぐに担当者から
「こちらへ」
と、エレベーターに案内された。私たちが乗るとまたロビーは人っ子ひとりいない状態になった。

エレベーターを降りた先は、個室のドアがずらりと並んだ長い廊下だった。どの部屋も「使用中」のサインになっていた。
その中の一室に案内され、ここで待つように言われた。
そこは外観からは想像もつかないほど狭い部屋で、小さな花瓶に折り紙で作った花が飾ってあった。
案内の人が出て行くと、全く音のない世界になった。こんな静寂は体験したことがない。空気も固まっているんじゃないかと思うほど重い。
こんな重苦しい部屋の中で、今私が抱えている悩みがパァっと解決できるとは到底思えなかった。
 
「失礼します」
5分ほどすると相談員と思われる女性が1人入ってきた。
思った以上に若い。おそらく20代だ。
今からこの人に双子育児の大変さを私は語るのかと思ったら、ちょっと情けなくなってきた。
 
まずは2人が生まれた時の様子から聞かれたので
「一卵性双生児で1つの胎盤を共有していました。
2人とも順調に体重は増えて、出産時はケンが2500gリュウは3100gで
普通分娩で出産しました。」
と話した。
これは私の出産武勇伝でひとつで、このエピソードを話すと
「2人で5600g!」
と誰からも驚かれ、すごいすごいと盛り上がったものだった。
 
しかし、相談員の女性はニコリともせず黙々とメモをとっていた。

「2歳の頃は?」
「幼稚園の頃は?」
「小学校に入学してからは?」
 
成長に合わせて、その都度彼らの育てにくさをアピールしたが
彼女の反応は薄いまま1時間が過ぎた。そして
「では、次の予約を…」
と、言われた。
私は
「えーーーっ!?育児がめちゃ大変だったこと伝わった?
ただのヒステリックな母親だって思ってない?」
と、無表情のまま心の中で叫んだ。
 
次は子どもたちに発達障害のテストを受けてもらいたいと告げられた。
日程の候補が挙げられたがどれも平日で、学校を休んで連れて来るんだと驚いた。
 
しかし驚いたのは私だけで、ケンとリュウは学校が休めると大喜びだった。
 
発達障害のテストは同じ日に2人同時に受けるも、部屋は別々で2時間ほどかかると言われた。
ただでさえ説明を聞くのが苦手な2人が、2時間もかかるテストをまともに受けることができるのか心配だった。
きっと途中で帰るとぐずぐず言いだすだろうと思ったがそれは杞憂に終わった。
学校の授業のように、先生が大勢の生徒に向けて話しをする時は全然聞いていないが1対1で目を見て話しかけられる時は、彼らなりに一生懸命理解をしようとした。
 
テストが終わった後は疲れた様子もなく、2人で
「あのパズルが面白かった」
「木の絵を描いた」
「猫のイラストがあったけど、猫に見えなかった」
そんな答えのない答え合わせをしていた。
帰りにはファミレスでパフェを食べる約束をしていたが
早く帰ってゲームがしたいというので、そのまままっすぐ帰宅した。

そして後日、私は1人で発達障害の検査結果を聞きに行った。
結果は発達障害グレーゾーンで、弟のリュウの方が色濃く出ていると言われた。
学校にもその報告をしたが、特別何か指導があるわけでもなく、対応が変わるわけでもなく、何も変わらなかった。
リュウの担任からは
「頑固でおとなしい<性格>ではないでしょうか」
と言われた。
 
その後「青少年相談センター」に、1ヶ月に1度私が1人で通うようになった。
困った日常の生活行動の報告をするも、それを劇的に良くする方法は提示されず
「学校ではずいぶん疲れているようなので、家ではリラックスさせてあげましょう」
「引き続き見守っていきましょう。」
がお約束の言葉のように繰り返し言われた。
 
いろいろ思ったんと違っていた。
 
都合が悪くなった予約日を1回キャンセルしたのをきっかけに、私は「青少年相談センター」に通うのをやめてしまった。
正直、面倒くさくなってしまったのだ。
不安はもちろん抱えていたが、その後「青少年相談センター」から連絡はなく、小学校からもその経過を聞かれることもなかった。
いつも一緒にいる自称発達障害の夫が社会人としてこうして元気に生きているのだから
そんなに大げさにしなくても大丈夫なのかもしれないと思っていた。
 
しかしその後、リュウは中学校で不登校になり、そのまま進学することなくひきこもりになった。
ケンは進学するも高校中退、高認試験合格後大学進学するも大学中退、そしてひきこもりになった。
 
「どこまで遡ったら我が家は軌道修正ができるのだろうか?やっぱり青少年相談センターに私が通うのをやめたとこからかなぁ?」
と、あの小学4年生の頃を思い出すことはある。
ただ、そんな時に夫が言う言葉はいつも決まっている。

「選んだ方が、我が家のベスト。」
 
選ばなかった方がよかったかどうかは、選んでないからわからない。
わからないことを想像で悔やむのが1番意味がない。
これから先も、いろんなことを迷って悩んで選択していく。
そして選んだ方がベスト。
その積み重ねが自分の人生。
それ以上もそれ以下もない。
 
だから「ひきこもり」を選んだ息子たちは、それが彼らのベスト。
そして私たちは彼らが動き出すまで見守ることを選んだ。
 
うん、今、ここ。
 


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