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小学5年生15キロ無一文の旅

ガタン、という振動で起きた。

どうやら県境を越えたようだ。橋と陸との鉄のつなぎ目。それを超えた振動で起こされたようだった。車窓からは、風になびくススキに両岸を挟まれた大きな川が見下ろせた。たゆたう川の流れは長い道のようにも見える。大きすぎて流れているのだかわからない。すいすい流れる車道の方が川のような気もしてしまうほどだった。

土日とはいえ、下りの道だから空いていた。今日はオープンキャンパス。ちょっと田舎の進学校へ見学へ行くのだ。父の運転で学校まで送ってもらい、母と回って電車で帰る。オープンキャンパスも凝ったものになっていて、その学校での一日を体験できるようなものになっているらしい。授業や部活を体験できるんだそうだ。受けたい模擬授業の教科と体験したい部活を事前に選んで提出していた。その希望をもとにコマ割りされ、社会、理科、そして部活と体験する予定だ。

ゴルフ場の看板や「乗馬体験できます!」という旗が目に入る。
「結構田舎ねぇ」と母がつぶやく。
「登下校の時混まなくていいんじゃないか?」と父は楽天的だ。
だが俺はそんなことどうでもよく、お昼を食べる学食にどんなものがあるか期待しながら車中をやり過ごしていた。

脇に緑しか見えない道を抜けると校舎が見えた。ここを受験するかもしれないのか。ひょっとすると千回以上通ることになる校門を初めてくぐり抜けた。父とは別れ、母と受付を済ませる。結構大人数が集まってきているようだ。一学年300人のマンモス校だから志望者も多い。今は皆笑みを見せながら歩いているが、1年後は血走った目で来ることになる。よく考えれば皆ライバルなのだ。塾で一緒の見知った顔も何人か見かけた。だが、なんとなく声はかけなかった。

社会の授業は今でいうワークショップ形式の楽しいものだった。母親が横にいる手前、変なこともできないし真面目に取り組んだ。次の理科の授業は実験。手早くこなせばすぐ終わってしまう実験で、結構時間にゆとりをもって予定が組まれていたらしく、次の部活体験まで30分もあいてしまった。すると母親が「もう部活体験行かない?」と言い出した。前のコマの人たちがまだやっているが、そこに割って入ろうというのだ。確かに、学校側も段取り不足なのかコマがきちんと分かれているような感じではなかった。文化祭の出し物のように寄ってったら参加できてしまう。だから次のコマ待ちで廊下にたむろする親子もいれば、せっかくだからと事前に提出していないだろう部活を見に行ってみる親子もいればでぐちゃぐちゃになっていた。だからさっさと終わらせてお腹も減ったし学食へ行こうというのが母の提案だった。

が、俺は嫌だった。きちんと決められている以上逆らったら怒られるかもしれない。しかも、後々ここを受験するかもしれないのだ。この場でなにか問題を起こして受験で不利になったら嫌だ。塾の友達もいるし変な行動をとりたくはなかった。そうして始まってしまった親子喧嘩。結局何より耳目を引く結果となってしまった。「行こうよ」「行かない!」「行こうよ」「行かない!」の応酬で結局予定の時間になってしまっていたのだが、もはや部活体験自体行きたくなくなっていた。そして、トイレへ行くふりをして母親のもとを抜けると「もう帰る!!!」と心に決め、その校舎を後にしたのだった。

「5年生の加藤君、加藤諒君はいらっしゃいますかー」と中学校の校舎とは思えない放送が響き渡っていた。5年生なのに迷子放送。スーパーでもないのに迷子放送。だが、俺はその放送を聞くこともなく橋へ向けて歩き出していた。この校舎までは橋から一度も曲がらなかったはずだ。つまり、校舎から出て左右を間違えさえしなければあの橋につく。そう考えた俺は丁と出るか半と出るかの勝負に出た。結果は勝った。道中、ゴルフ場の看板と「乗馬体験できます!」という旗を見かけ、自信を深めながら橋へ着いた。そして橋を渡って気づいた。俺、どうやってここまで来たんだっけ。

今朝は早起きだったから車中寝てしまい、橋を渡るときに起きた。だから家からこの橋までの道がわからないのだ。家に近づいていることは確かだ。だが、まだスマホなんてない頃の小学5年生。しかも無一文。身一つで橋を渡り、家へ行こうとしている。道路に掲げられている車用のざっくりした地図を手掛かりに自分が住んでいる市の方向へ向かう。

この状況下では交番で道を聞くぐらいしかできない。だが、交番へ行ったら怒られるとしか頭になかった俺はとにかくあてずっぽうに歩いた。歩きに歩いた。すると線路に出くわした。そうか、線路! 線路に沿って歩けば駅に出るはずだ。駅に着けばここがどこかわかる。そしてついた駅は最寄り駅の一つ手前の駅だった。

あてずっぽうだが意外と勘はよかったらしい。そこで久しぶりに時計を見たらもう6時。6時間近くさまよっていた。だから足はもうへとへと。さっきと同じ要領で線路をたどっていけば最寄り駅に出られるのはわかっていたが、そうする気力は最早なかった。だが無一文。当然歩くほかない。お金を拾いでもしない限り。悪知恵が働いた。ガサコソ。自動販売機のお釣りをはじからはじまで探っていく。ない。ない。ここもない。なんだよゴミか。ない。あ、この感触は、、、

60円だった。奇跡の60円。初乗り130円に対し子供料金半額切り捨て60円。もう20年前の話だから時効だと思って書くが、その60円で最寄り駅への電車に乗った。恥ずかしいから人に道を聞いたりはしてなかったくせに、帰る道筋を見つけてテンションが上がったのか、どっちの電車が望みの電車なのかわかっているのに聞いて確かめてまで乗った。

そうして最寄り駅。本当はここからもバスで20分かかるからまだ着いたとは言えないのだが、よくバス代をケチって遊戯王カードを買い、塾帰り歩いて帰ったりもしていたから道はわかる。もう着いたも同然だった。さすがに足が重いが、何とか帰れる距離まで来たとほっとしながら歩いていた。その刹那、見覚えのあるものが目に飛び込んできた。

親父の車だ。父が運転している車が俺の脇を通っていった。もう疲れきっていたから見つかったら怒られるとも考えず手を振った。だが、車は通り過ぎて行ってしまった。乗せづらい場所だったからか?と思い、そこから近くのコンビニまで行って明るい見えやすいところに立って待っていたが、親父の車は二度とこなかった。なんだよ、見落とされただけかよ!と憤慨しながら結局歩ききり家に着く頃には8時を回っていた。8時間飲まず食わずで歩いていたわけである。

意外に怒られはしなかった。母はどうやって帰って来たのかとしつこく尋ねてきたので顛末を話したが、父はよく帰って来たな、というだけで我関せずの様子だった。後年聞くと、警察へ失踪届けまで出されていたらしい。だから父も車で駆けずり回って探しており、実は俺のことも気づいていたんだそうだ。だが、見つけたのは家まで歩いて30分の地点。それならば歩き切った達成感の方が俺のためになるだろう、とわざと見過ごしたと告白された。肝の座った父親である。その30分で何かあるとは考えなかったのか。俺の強情っぷりもさすがと言えるがこの父あってこの子あり、だ。だが、確かにこんな文章が書けるくらい思い出深い小学生の頃の経験だ。ありがとう、親父。




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