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幸福の獲得法?『ラッセル 幸福論』

1月の読書会は、ひじき氏のブログに記載されているとおり、予想外の展開となった。時にこういうこともある。むしろ、その方が人間臭さを感じる。そういう回だったかもしれない。

さて、今月は以下の本を紹介した。

現代は"The Conquest of Happiness"である。Conquestには「征服」以外に「(努力による)獲得」の意味がある。『幸福の獲得』、これが正確な原題なのであろう。そして、Conquestという単語が登場した当初の意味合いも「探し求める」や「勝ち取る」のようだから、「征服」というよりは「獲得」の方が正確に見える。しかし、どうしてもConquestには戦争などによって、他の国・地域を征服する、という感覚が強くあるように感じるのは、気のせいだろうか。

さて、この本は「いかにして不幸になるか」「いかにして幸福を獲得していくか」について、分類・整理している。順に簡単に記しておこう。

不幸になる要因には「疲労」や「ねたみ」、「(過度な)競争)」などが挙げられている。どれも、現代にも非常に密接している感覚があり、読んでいてかなりしっくりくる感覚がある。

では、幸福を勝ち取るためには、どのように行動したらよいのだろう?ラッセルの基本スタンスは以下の通り、「外部への興味」と「中庸」に集約されるように見える。

 幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。

バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳(1991)『ラッセル 幸福論』岩波書店 pp.172

 (前略)古代人は、中庸をもって根本的な美徳のひとつとみなしていた。(中略)よい生活においては、異なる活動の間にバランスがなければならない。そうした活動は、どれ一つとして、その他の活動ができなくなるまでに推しすすめられてはならない。

バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳(1991)『ラッセル 幸福論』岩波書店 pp.182

1つ目の引用で示される「興味」は仕事や趣味、対人関係等様々な領域に及ぶ。そして、その興味は常に自分の「外」に向けられる。いかに自分という殻にこもらないで、外に足を踏み出していくか、それが幸福の秘訣であるというのだ。

また、2つ目の引用で示されるのは、「中庸」、つまりある特定の活動や方向性に特化するのではなく、様々な活動のバランスをとっていくことの大切さである。

それぞれ、私の感覚とも通じるからだろうか、かなりしっくりくる感覚がある。

ただし、各論レベルとなると、時代による違いや宗教観による違いなどを感じざるを得ない。ピューリタン的な思考感覚というのだろうか。キリスト教的価値観というのだろうか。自らの能力を常に最大量発揮することを前提としている節がある。どうしてもここにはビョンチョル・ハンが『疲労社会』で指摘するような21世紀型の病理(燃え尽き症候群やうつ病などの精神疾患)に通じる部分があるように見える。

しかし、ラッセルの幸福論においては、前提条件があることも忘れてはならない。「外部への興味」である。いかに自分以外の人や事物に興味を持ち、その人たち(物)へ対し、どのように情熱を注ぐか、とも言い換えられる。ビョンチョル・ハンの場合は、自由の名のもとに努力を強制されていく過程で、思考や興味が自分の外部へ向かなくなり、その結果として、精神疾患になるプロセスを描く。

それはある意味では興味の方向性の表裏(自分の外側へ向かうか、自分の内側へ向かうか)をなすもののようにも見える。しかし、彼らには共通項もある。「バランス感覚」である。常に外部へと興味を振り向けられ、外部に対して、様々に働きかけられる余裕、つまり中庸の感覚をを持てる範囲での「全力」、この感覚が重要なのかもしれない。

年末に『疲労社会』を読み、年始に『ラッセル 幸福論』を読む。それ自体がどうも滅茶苦茶な感じがするが、案外共通項も多いように見えるものであった。

最後に、『ラッセル 幸福論』に記された最も印象深い一説を記しておこう。おそらく、現代の仕事の類において、重要視すべき点であろう、と思われる。日々の活動におけるバランス感覚を持つことの大切さを述べる過程での一節である。

よい目的に向けられた少しの仕事のほうが、悪い目的に向けられたたくさんの仕事よりもまさっている。

バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳(1991)『ラッセル 幸福論』岩波書店 pp.247

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