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大阪を「知る」旅⑧―総括―

大阪への旅が終わってから早半月。大阪をじっくり回るのはこれが初めてであった。アートに歴史、そして地元の人々とのコミュニケーションなど、日常ではなかなか味わえない体験ばかりであった。

それはこれまでの記事に書いてきたことに留まらない。単に道を歩いているだけでも都内とは大きく異なるものであった。

①歴史を紡ぎ続けることの大切さ―堺の街並み―

ここ最近、ある街に初めて行く場合、その地域の博物館へ入るようにしている。その街の歴史の一端に触れられるからだ。大阪旅では、その発想がうまくハマった。堺へ行った日のことだ。

どこへ行こうと、どの歴史を見ようと、すべては古墳、つまり百舌鳥・古市古墳群へと誘われる。様々な側面を見せる堺の街が大きく発展していくきっかけが古墳なのだと、しつこいくらいに感じさせられる一日を過ごすことができる場所が堺であった。そして、それは以下の着想を呼び起こした。

どの土地も先人たちが積み重ねてきた歴史の上に築かれている。それらは大概、自分たちが教科書で学んできた歴史には、ほとんど反映されていない歴史である。また、はっきり言って、インパクトにも欠ける。しかし、その歴史を軽んじるわけにはいかない。その歴史の上に現代の街があり、それは常に過去とのつながりを保ちながら、未来へと引き継がれるのだ。過去からの蓄積を断ち切ることなく、いかにより良い形に「改良」していくか。街の発展を考えるときの鍵は、ここに行き着くのかもしれない。

②歴史は「遺す」のではなく、「使う」もの―堺の街並み、三休橋筋―

歴史的遺産は単に次代へと遺すためのものではない。使うものだ。それを実感させる旅でもあった。三休橋筋に残る明治期以降に建てられた風情豊かな建造物の数々は、もれなく現役であった。会社のオフィスとして、人々が集う公会堂や教会として、はたまた人々が行き交う橋として。

歴史的に見ても、大仙古墳は江戸時代には、聖域とされた箇所を除けば、人々が出入りできたという。現在は入れないものの、あの古墳も近代までは人々が利用する場であったのだ。

「再開発」と表現し、新しいものへと切り替える風潮は強い。大阪でいえば、うめきた地区が再開発の最先端を行く場であろう。しかし、単にスクラップ・アンド・ビルトを繰り返すのではなく、その街に息づく歴史と共にあること、脈々と受け継がれてきた歴史や文化を遺しながら、時代に合ったスタイルを見出していくこと、その方が個性のある、そして魅力のある街になるのかもしれない。

大阪(中之島・肥後橋・北浜界隈)や堺の街はそのことを伝えているように思えた。

③「人情味あふれる街」大阪

大阪は大都市でありながら、東京とはまた違った個性を持っている。中心部でもどこか人と人とのつながりが強く残っている感じがする。バーでの光景はそのような感覚を抱かせるものがあった。

北浜は東京でいえば、兜町に近いだろうか。証券取引所があったり、金融機関も数多く拠点を構えている。しかし、一本路地へ入れば、下町情緒のある店が顔をのぞかせる。そこには地元の人たちが一日の疲れを癒すための酒場やバーが点在している。格調高い店も多いが、それでもどこか下町っぽい。

昼のビジネス街は東京とほとんど変わらない風景だが、夜に見せる顔は全然違う。そこには様々な感情の存在を肯定的に受け取りつつ、それを笑いに変える逞しさが見え隠れする。そんなところが下町っぽさを感じさせるのかもしれない。この人情味あふれる感じが大阪の魅力なのだろう。

大阪旅を通じて、歴史を紡ぐ大切さ、そして感情をオープンにしつつ、マイナスな感情にとらわれそうな局面は、うまく笑いに変えていく感覚の大切さを突き付けられたように思う。あとはそれをいかに自分のものとしていくか。意識して発するべき部分もあるだろうが、この経験が時と共に熟成されるよう、自分の血肉の一部に反映されていくよう、この感覚を大事に持ち続ける必要もあるだろう。

後者の感覚は読書会での5月の課題本『モモ』にも通じるところがある。それはまたのちの機会にでも。

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