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大阪を「知る」旅③―岡本太郎作「太陽の塔」―

大阪旅2日目の続きである。

適塾を後にし、万博記念公園へ向かう。

北浜駅から京阪電車に乗り、門真市駅でモノレールに乗り換えるルートで行くことにした。某銀行を思わせる色合い(もちろん、こちらの方が古い)の京阪電車の車体はどことなくレトロな感がある。緑の色合いや塗り方なのだろうか。具体的に何がそうさせるのかはわからないが、とにかくレトロな感じがするのだ。

門真市駅でモノレールに乗り換える。最後尾車両から過ぎゆく風景を眺める。大阪は知らないところばかりなので、何を見ても新鮮である。茨木などのベッドタウンを過ぎていく。このあたりの街並みの雰囲気は関東とも大きくは変わらない。電車での帰り道、その途上で買い物ができると便利である以上、そこに大型商業施設ができるのは必然。どうしても顔立ちは似てしまう。それでも、そういう街が次々に出てくるあたり、大阪モノレールが走る地域がいかに大阪市中心部に近いかがよくわかる。

そうこうしているうちに万博記念公園駅が近づいてくる。進行方向左側からレールが近づいてくる彩都西方面への支線である。その支線の奥に万博記念公園のシンボル「太陽の塔」が見えてくる。想像以上に大きい。早く近くで見てみたいと思わせてくれる。

駅へ降り立ち、入場券を購入し、公園内へ入る。すぐ目の前に太陽の塔が聳え立つ。一見したかぎり、どんな思いが込められているのかは正直分からない。できることなら内部を見てみたいと思いつつも、ここは予約入場優先であり、入れる保証はない。ひとまず、塔の足下へ向かうと、当日券販売中の看板を見つけたので、さっそくチケットを購入し、塔の内部へと向かった。

入館直後に出迎えてくれるのは「地底の太陽」であり、根源世界を体感させる場所となっている。太陽の周囲には様々な民族の面やシンボルがあり、身近(?)なものでいえば、ミミズク型土偶のようなものも。

古来からの人々の文化を「地下」に据えているところから、先人たちが蓄積してきた文化の上に現代社会が存在していることを暗示しているかのようにも見える。同時に現代人が生きる地上よりも「下」に置くことで、人々が古来から培ってきた文化的・神秘的な要素を、現代社会は「隠している」とも捉えることができるようにも思える。いずれにしても、古来から脈々と受け継がれるエネルギーが、現代社会の底流を成している、その姿は揺らがない。

その先に続くのが太陽の塔内部のメインともいうべき「生命の樹」である。生命の進化史を一本の樹に見立てたものだ。そこで流れる音楽はまるで地下の太陽の世界から引き継がれているかのような感覚を抱かせる。樹の根本の部分はまだ「地下」なのだ。

生命の進化史を辿りながら上層階へ向かう。原生生物からカンブリア、恐竜時代と順に進化し続けた生命の行き着いた先に人類(クロマニョン人・ネアンデルタール人)がいる。各時代を彩った生物が樹から伸びる枝に止まっている様子は、さながら、生物の教科書のようでもある。

順に進化し続けた最先端にいるのが現代人、と捉えれば、当時の大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」に合致するように見える。しかし、同時に違う思いが込められているように思える。あらゆる生物が止まる枝には「先端」があるのだ。そして、その先端は「死」や「絶滅」を意味しているように見えるのだ。実際、この樹に登場する動物の多くはすでに絶滅している。

どうあがいても生まれてしまった以上、死から逃れることはできない。種でいえば、絶滅は免れ得ない。その死を迎えるときに、樹が上に伸び続けられるよう、きちんと次の世代、次の種が繁栄できる土壌を残しておくことの大切さが示されているようにも思う。そうでなければ、樹は上に伸びない。

当初の予定では太陽の塔に寄るつもりはなかった。しかし、直観に従い、寄ったのは正解であった。たとえ、国立民族学博物館の見学時間が減ったとしても。それほどのインパクトを与えてくれる作品であり、大阪を代表する歴史遺産でもある「太陽の塔」。いやはや、恐れ入る。

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