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終着駅の思い出

先日紹介した宮脇俊三の全集も2冊目の最後『終着駅へ行ってきます』を読み終えた。着々と読み進めていても、まだ全体の3分の1程度。先は長い。

終着駅と言っても、どの路線とも接続していない行き止まりの駅へ向かう、“盲腸線”の旅である。根室(根室本線)や氷見(氷見線)、境港(境線)など観光でも行く機会がありそうな駅もあれば、十勝三股(士幌線)や東赤谷(赤谷線)など、廃線間近のさびれた駅(実際、すでに廃線になっている)もある。氷見や境港は私自身、旅行で訪ねたこともあり、私が旅行した時に見た車窓を思い返しながら読み進めた。風景が変わっているところもあるが、あまり変化がないと思われる場所もある。なので、私が旅行で訪れた時期の方が圧倒的に最近(ここ数年の話なので)なのだが、懐かしさも感じながら読めている。

読みながら、こんなことを考えた。この本の基準で言うような盲腸線の終着駅に、私自身どのくらい行ったことがあるのだろう?

振り返ってみると氷見、境港以外に荒砥(山形鉄道)、赤羽岩淵(営団地下鉄南北線時代※埼玉高速鉄道が開通する前)、是政(西部多摩川線)、三峰口(秩父鉄道)など、10~15駅くらいだろう。西武新宿や京王八王子のような簡単に乗り換えられる駅や博多南のような支線の類は取り除いたものの、思いのほか多い。記憶が定かではないが、奥多摩や武蔵五日市、西日野(旧近鉄八王子線※四日市あすなろう鉄道八王子線)あたりにも行ったことがあるかもしれない。意図して鉄道乗り回しの旅をしていたわけではない(「乗り回させられた」ことはある)。行った駅の中からいくつか記憶に残っているものを挙げよう。

氷見


「寒ブリ」で有名だが、ほかの魚もおいしい。一度訪れたとき(2015年3月)は寒ブリの時期を過ぎてしまっていたが、地魚を盛り合わせた海鮮丼はおいしかったし、値段も2,000円くらいで比較的安かった。細かな場所を忘れたが、商店街の中にあったお店であったと思う。
ちょっと鉄道に戻すと、氷見線のハイライトは雨晴海岸だ。富山湾を一望できるのである。行ったとき(新潟や富山を3,4日かけて回った)は運悪く全日程で暴風雪警報の影響を受けていた。足元はシャーベット状の雪で歩きにくく、天候は吹雪いたと思えば晴れる、曇ったと思ったらみぞれに吹き付けられる、めちゃくちゃな状態であった。だが、それもあってか、雨晴海岸付近から富山湾を眺めたとき、筋状の雲の隙間から幾筋もの光が差し込む幻想的な光景であった。おそらく夏もいいだろうが、あの光景は冬でなければ味わえないだろう。


境港


氷見と同様においしい魚を食べるために行った。海に生息する生きもののはく製を展示した博物館(これが案外安い)があったり、水木しげる記念館があったり、食以外の目的でも楽しめる。アクセスで言えば、空港からのアクセスも抜群だ。だが、この時は米子を拠点に回っていたので、境港線でのんびり向かった。
この路線、文字通りのローカル線だ。20km足らずなのに、40分以上かかる。時速に換算すれば20km台だ。かといって、砂洲を走るので、真っ平。ロードバイクがあれば、自力でこぐ方が米子―境港間をより早く移動できそう二すら思える、そのくらいゆっくり走るローカル線だ。

そして、利用されている方には申し訳ないが、見どころもほぼない。あえて言うなら、米子空港くらいだろうか。ほぼすべての区間で風景を楽しむような路線ではない。だが、その終点境港は観光を楽しめるいい場所だ。あえて言うなら、駅はフェリーへの乗り換え地点のようになっていて、観光を楽しんだり、魚市場へ行ったりするには少々遠いのが難点だが、レンタサイクルもあるようなので、ポタリングしながら、境港をぶらつくだけでなく、のんびりと弓ヶ浜の砂洲をぶらぶらするのもよさそうだ。

鹿児島中央


鹿児島中央駅というと、在来線では宮脇の言うところの終着駅ではない。しかし、新幹線の駅の構造はまさにどん詰まりの「終着駅」である。延伸しようとするならば、目の前のビルを壊すどころか、線路の延長線上にある街並みを壊さない限り前に進められないのだ。

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鹿児島中央駅には昨年11月に訪れた。新幹線を乗り継いで鹿児島中央駅に到着したのだが、どうしても駅名に違和感が拭えない。とうの昔に西鹿児島駅から変わったのだが、そっちのイメージの方が強いのだ。何はともあれ、鹿児島へ行ったら、忘れてはならない観光地がある。桜島だ。噴煙とも噴気ともわからない白煙を上げ続ける活火山が南九州最大の街のすぐ近く(フェリーで15分くらい)にある。それどころか、錦江湾そのものがアイラカルデラの外輪山の中にある。とんでもないところに都市があるものだ。

桜島の噴火については、鹿児島出身の祖父母から幾度となく聞かされていた。2人にとって、そして、桜島の周囲に住む人々にとって、それは日常である。幼いころから驚きをもって聞いていた記憶がある。ましてや総祖父母たちは大正噴火を経験している世代ということもあり、祖父母からのまた聞きではあるものの、当時の人々の様子を、まるで目の前で起こっているかのような臨場感をもって聞かされたこともある。ちょっとした畏怖の象徴だ。実際、桜島へのフェリーに乗ったときは期待とともに、滞在中に大噴火したらどうしようという恐怖もあった。

だが、実際に足を踏み入れてみると、火山が作り出した風景と厳しい環境の中でもたくましく生きる植生のつばぜり合いをまざまざと見せられた。大正噴火の痕跡がフェリー発着場のすぐ近くにあるのだ。大正噴火よって海まで流れ出た溶岩の上にわずかに堆積した土の上に根を張った植物が命をつなぎ、今では木も生えている。つくづく思うが、植物の生命力には驚かされる。

その他、天文館やいづろなどと言った中心街、城山や集成館などへ行き、鹿児島観光を満喫したのだが、惜しむらくは鹿児島市役所付近にあるいい雰囲気の飲み屋街に行きそびれたことだろう。1度通りがかったときは空腹でなかったので、散歩するにとどめたのだが、翌日訪れるとほとんどの店が閉まっていて、行ってみようと思った店も閉まっていた。市役所付近なので、日曜は休業の店が多いらしい。吉祥寺のハモニカ横丁のような趣のある、いい感じの場所だったので、次に行くときにはぜひ訪れてみたい、そう思える場所である。

終着駅と一言で言えども、その駅の光景はそれぞれ異なる。栄えている街もあれば、過疎化に苦しむ街もある。それどころか、残念ながら廃線によって終着駅の座を奪われてしまった場所もある。千差万別だ。たまにはこういう終着駅を目指す、終着駅のある街を訪れるたびもいいかもしれない。


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