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手練れたちの息遣い―川端康成『名人』ー

先日、業務が終ったあとに新入社員の1人と話していたら、研修の話題になった。ある本をみんなで読んでいるらしい。その本は多くの人々のインタビュー記事をもとにした本らしい(本屋でも平積みされているが、私は読む気がしないので伏せておく)。目次だけパラパラめくると、囲碁棋士張栩の記事を見つけた。

張栩といえば、囲碁界で初めて五冠王になったトップ棋士の1人である。私にとっては、ちょうど『ヒカルの碁』にハマっていた頃に名を知った棋士だ。数年前に久しぶりにアニメを観たときに井山裕太がミニコーナーに出ていた(初段の免状の授与)のを知ったときには、衝撃を受けたが、当時私にとっては張栩の方が印象に残る棋士であった。

囲碁を打つ機会はあまりないが、時々アプリで打つことがある。もっともロクに定石も知らないので、ほとんど、石を置いているに近いような気もするが。以前はもう少し打つ機会も多かったが、もっぱらニュースで結果を見るくらいだ。むしろ囲碁棋士が書いた本を読む機会の方が多い。

というわけで、今回は囲碁についての本から、川端康成の『名人』を取り上げよう。家元としては最後の「本因坊」であった本因坊秀哉の引退碁の観戦記を元にした小説である。対局相手の木谷実(当時七段)を「大竹七段」としている他は、ほぼ実名で書かれているので、小説という印象はなく、むしろルポルタージュに近い。

小説のもととなった引退碁は1938年6月から12月にかけて断続的に打たれたものである。持ち時間は40時間。現代の感覚では到底想像がつかないレベルの持ち時間だ。10回以上あった打ち掛けの合間に対局者が第三者と将棋や麻雀、ビリヤードを楽しみ、交流を深めているあたりも現代とは大きく異なる。だが、対局にかける意気込みは、当然現代のトップ棋士と変わらない。
注)打ち掛けの最中に本因坊は長期入院もしており、それによって、対局が長引いたという事情もあるようだ。

電子書籍で読んだからだろうか。本文には棋譜がない。よって「黒二十九」や「白百四十」といっても、どこに打ったのかは本文だけではわからない。しかし、この小説ではどこに打ったかはそこまで重要ではない。対局者両名の息遣いや人間性、周囲で見守る棋士たちの語り口。これらが対局当時の様子を雄弁に物語る。場面によっては、まるで目の前、もしくは襖の向こう側で対局が行われているかのようだ。

当日、囲碁は芸道から競技への移行段階であったらしい。芸としての囲碁界を長年率いてきた本因坊秀哉、そして、競技者とし手の道を歩み続ける若き木谷七段。年齢も立場も違う両名の感覚は大きく異なる。そこから生じる対立と、何としてでも一局を打ち切ってもらいたい周囲の人々の尽力、それらが生々しく語られる。これこそがこの本の魅力だろう。

引退碁が打たれてから約85年。当時を知る人はほとんどいなくなってしまっただろう。この本がなければ、当時の対局の様子を窺い知ることは非常に難しい。貴重な記録であり、そして、魅力的な小説だ。

囲碁好きだけでなく、囲碁に親しみのない人でも読んだら、何か心を動かされる部分がある、そんな小説だろう。

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