ヤバイくらいがちょうどいい
同調圧力。
“同調圧力”とは、集団において少数意見を持つ人に対し、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。を言うらしい。
俺は日本の教育をイメージした時、このワードが1番に現れる。
授業中。発表者は正解して当たり前。
万が一、その答案が間違えたとしても、
「いいと思います。」
などと言って、空気のバランスを保とうと神経を磨り減らす。
一方先生は、正解への道を全て準備したうえで、誰もが答えられるような質問しか投げかけて来ず、生徒には考える余地すら与えてくれない。
そんなの面白くない。
なにもかも周りと同じ。
が、正義の世界。
髪型、服装、スカートの丈、靴などなど。
今思うと少し恐怖だ。
周りと違うことを恐れて平均点の人で溢れ返る。
日本の教育は、物事を正確に早くこなせる人が高く評価されるシステムに思える。
それは何かを生産するためのネジでしかなく、もはや家畜用の鶏や豚と同じではないのか。
スペインで語学学校に行っていた時に感じた、日本との学習スタンスの違い。
間違えて当たり前。
当たっていたら凄い。
めっちゃ褒める。
こんな感じだった。
同じクラスには50代のフランス人女性がいた。
日本では出会う事のないような人だった。
突如なにかに対して興味が湧けば授業はそっちのけで、その話をし始める。
何かに困ったらフランス語を乱用する。
また、平気でいつも遅刻してくる。
遅刻する事が素晴らしいという議論ではない。
しかし、その様子を客観的に見ていると、先生はその人を邪魔者扱いする素振りは全く無く、一緒に楽しんでいる。
なんて素敵な人達なんだ。
そのフランス人女性は、バカンスでコロンビアに行くためだけに2週間をスペイン語学習に投資していたのだ。
その向上心と好奇心。
人と違うことを嫌い、
違う人には邪魔者扱い。
日本の教育の仕方を変えるのは難しい。
でも世界には、日本でいう“ヤバイ”人達が、
楽しく普通に生活している。
窮屈さを何一つとして感じない。
ヤバイくらいがちょうどいい。
誰かがこんなことを言っていた。
「優れるな、異なれ。」
日本ではいかに優れているかに焦点を当てがちだが、本当に必要なことは優劣関係など必要ないということ。
学校では、はみ出す事をダメな事だと教えられるのに、社会に出た途端に突如、差別化を求められる。
俺たちが小さい頃に教えられてきた、
『異なるな、普通であれ』という同調圧力はなんだったのだ。
完全に矛盾している。
なぜそうなってしまうのか俺もまだ分からない。是非議論したいと思っている。
しかし、一つだけ明確なことがある。
それは違っていいということ。
周りと違うことは武器になる。
みんなに合わさないとダメというあの空気感。
誰しもが味わったことがあると思う。
KY(空気読めない)なんて言葉があるのはまさに同調圧力の象徴なのではないのか。
そこに負けずに違い続けて行こう。
ある境界を超えると違うことが楽しく感じてくる。
そこまで来れば俺たちの勝ちだ。
もっと大きな世界を楽しもうじゃないか。
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