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30年後の小学校だもん、大丈夫だよ

小学校に入り、この勉強の意味も教わることもなく、みんなで同じ勉強をする。これって何に役立つのかな?っと、いっつも疑問に思っていたっけ。

自然豊なところに住んでいた1人っ子の私は、いっつも自転車乗って、バッタがいる草むらにいったり、イモリのいる池に行ったり。自然が友達だったなあ。

でも学校の勉強は、大好きな虫取りには役に立たなかった。

低学年の頃までは授業が早く終わるし、帰宅後はいっつも昆虫図鑑みてたっけ。

でも、成長するにつれて、だんだんそんな事も忘れてしまい、学校の授業の意味すら考えず、ただただその時間が過ぎるのを耐えてたっけ。

もちろん勉強が嫌いになって、何かにチャレンジしようとした時「あ、勉強しないとダメか、やーめた」と思うようになったっけ。

なぜそうなったのだろう。

本当は虫を追いかけて、図鑑を一生懸命読んでいた子なのに...

あれから30年たち、自分も父になり、子どもを学校に行かせる立場。でもさ、あれから30年立つんだよ。もう気づいているよね?

勉強とはやりたいことが先にあり、そこに向かうためにあることを。学校はその学びの一つの方法に過ぎないという事を。

学校の先生も、子どもがいる親御さんもみんなその事わかっているよね!

あぁー良かった...

なんて妄想している場合じゃない。なんとかしなくちゃ日本の教育。子どもの多様性を潰さないこと。これを本気で考えなきゃいけないフェーズに来ています。

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