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子どもの公開授業を見て、日本は蝶々が飛び回らないお花畑だと確信した

今日は午前中、小学校の学校公開(昔でいう授業参観)があって、その後昼寝して久々に体を休めた。それにしても学校の授業って、なんのためにこれを学ぶかという説明や、子どもたちの意向は一切なく、大量生産のベルトコンベアに乗せられる製品のように次から次へと学習させられているように見えた。

圧倒的な暗記で基礎学力武装するのはいいけれど、この子たちが大人になる頃は、だれがベルトコンベアにのせてくれるのだろう。口を開けて待っているだけでは、豊かに生きていけない時代が待ち受けているにもかかわらず、多くの子どもたちはベルトコンベアにのるワークのように勉強させられている。武装してもアウトプットを自らする力が身に付かなければ宝の持ち腐れ。

義務教育で優秀な成績を収めたということは、基礎学力が記憶されたということだが、その学力を使い何をするかが考えられなければ、宝の持ち腐れ。ChatGPTなどなどAIを使うことが当たり前だから、そもそもその記憶された学力は宝の持ち腐れとも言えるから、基礎学力はそこそこでも、何をやりたいかをたくさん考えられるだけの人にはかなわない。

「そういえば、配られたパソコンは使わないの?」と聞いたら「うん、ほとんど使わないよ。パソコンクラブに入った子だけ週に1回使うくらいかな。」だって...せめて辞書の代わりにGoogle検索させることくらい当たり前として教育してほしい。ただ、それをして目の前の教師より優秀なYouTube動画が出てきたら困るからやらせないのかな。なんて思ってしまう。

大人の自己満足、やってる感を子どもに押し付けて、大切な幼少期を過ごしてしまう子どもたち。こうなると親がどれだけさまざまな体験の機会を与えてくれるかで、将来に差がつくとこは、明白です。

もちろん言っているだけではなく、対策は講じていきますよ!

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