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小学校ほど多様性あふれる空間はないのに

大人になると、社会にでて、さまざまな人とコミュニケーションをとる。

ジェンダーやエイジズムというような固定概念も乗り越え、国も関係なく、コミュニケーションをとることもある。

実際はどうか

しかし実際はどうだろう。

たとえば大企業は、今だ世界全体て女性幹部比率は29%に過ぎない。

いくらエイジズム、多様性な社会とは言っても、まだまだ年功序列感が抜けない悲しい日本の現実がある。

どうして、これだけ〝多様性〟の声が上がっているにもかかわらず、変わらないのか。

なぜ多様性がないか

それは日本の時代遅れな教育システムにあるとしか、言いようがない。

子どもの入学式に行って私は愕然とした。

「30年前とかわらない。」

直感的にかんじた。

「これ、ヤバくない??」

1番ヤバいと感じたのは、年齢で分けた〝学年〟という概念だ。

これは小学校からではなく、自由なはずの保育園までが、年齢による区別をし管理者や先生の目が届きやすいことを最優先のするのが理由。

子どもの頃の教育がそれでは、その子たちが大人になったらどのような社会を作るのか、容易に想像がつく。

そんなことを、モヤモヤしながら考えていたらいい案を思いついた。

小学校は多様性あふれる時期

小学校の6年間とは、そこから上の中学校、高校、大学...よりもはるかに身体的にも精神的にも多様性あふれる時期。

この時期に、もし学年やクラスがなく、興味や探究心、創造性からの学びが行える環境が、〝小学校〟という場であったなら。

6年生は1年生をサポートしつつ、ピュアな心を学び、1年性は6年生から、知識やルールを学ぶ。

先生はそれを見守り、脱線しそうになったときだけ声をかける。

自然発生的にコミュニティができ、演劇をやったり、昆虫の研究をしたりと小学生という6年間をかけてプロジェクトを進める。

こんな学校が、日本も必須だと、実際に小学生になる子どもを育てながら日々考えている。

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