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「郊外」という価値がすり減っている。

 高度経済成長期の1960年代は、「こうがい」といえば「公害」。
 国民が豊かになった1970年代以降は、「郊外」。
 今は、「こうがいい。」。

 日本の都市圏の郊外住宅地は高度経済成長期を待たず戦前から既に開発されていました。
 今は貧困という定評の強い大阪の西成は元々は富裕層向けの高級郊外住宅地で、それが寂れだしたのは戦中の経済の低迷が一つ、また、戦後は商工業の飛躍的発展により大阪の主要産業の一つである繊維工業が相対化されまたは繊維工業の間の競争が増したことにより富裕層が少なくなったこと。大阪の郊外にはもう一つ箕面という高級郊外住宅地がありますが国民が豊かになるにつれ数少なくなったその筋の富裕層は皆そちらを選ぶようになって衰退する西成は全く選ばれなくなったのです。

 その箕面も1990年代以降のデフレと少子高齢化の傾向により人気が頭打ちとなり、少なくともかつての程には高級という印象はなくなっています。

 この記事は主にその'90年代以降のデフレと少子高齢化の観点から郊外住宅地の今とこれからについて考えます。

 西成の没落の場合とは異なり、今の郊外住宅地の低迷は国民が貧しくなって来たことによること。経済成長は+も-も一部の国民や土地を貧しくするものです。では±0が最も良いのかといえばそうでもない。西成のような例が出て来るものであれやはり+の経済成長は必要です。その西成も初めは戦中の不況の影響を受け、更に追い打ちになったのが戦後の高度成長なのです。

 『住みたい町番付』、いくつかの業者の調査によるものがありますが、どの業者のでも、近年は郊外の人気が著しく下がって都心部の人気が上がっています。ただ、上位百駅についてであり、それ以下はもっと郊外がひしめいているのかもしれませんが、即答なら名が上がらない訳で、少なくとも価値は下がっているといえます。
 また、東京駅や新宿駅など、どう考えても非現実な場所が上位になっており、「住みたい町がない。」ということ、即ち経済と生活の予測可能性の低い今の時代の状況ではどんな町に住むかは考えるだけ無駄だという考えの反映とも考えられます。昨年令和元年の1位は横浜駅です。東京駅や新宿駅よりは住宅地が多く現実的といえますが、それもかなり相場が高いです。

 今は都心が価値になっている。

 その伏線は2000年代からホリエモンなどに有名になった六本木ヒルズなどの都心の高級住宅楼、いわゆるタワーマンション、タワマンの増加です。今は高級住宅楼は都心だけではなく武蔵小杉や登戸などの都心との15km圏の郊外にも出来ています。15km超になるとほぼほぼなく、その価値の肝は職場との距離が近いということにあるといえそうです。職場だけではなく買物や学校などのあらゆる場所が家と近い。良くいえば便利で時間の無駄が少なく、悪くいえば歩きたくないということ。

 そのような都心の人気の理由を見ると、その価値観は都市圏における昔ながらの駅前商店街好きにあると考えられます。田舎町の商店街は俗にシャッター街と呼ばれ衰退が著しいですが大都市圏の駅前商店街もさようの程ではないにせよやや寂れゆく傾向にあります。その状況で商店街の生き残りの取り組みを傍から観察すると痛々しいほどです。例えば東京都世田谷区の小田急経堂駅前の商店街は個性的な店が少なくなり、どこにもあるようなチェーン店や保険の代理店などが増えています。三十年前から残っている店はほぼほぼ当地では老舗の果物屋、スパゲティー屋と鰻屋だけ。

 駅前商店街の衰退と軌を一にするように都心の人気が高まっていますが、それは価値観が変わったのではなく同じ価値観を別の型の場所に求めるということで、タワマンは職場、買物や学校などが何でも近くにあって歩かずに済むということが可能な場所という価値の象徴なのです。

 郊外にもそのような価値を重視する町があり、例えば多摩新田、いわゆる多摩ニュータウン。

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 東京都心と30kmで通勤距離がやや長く、そもそも東京とは異なる地域圏であり、その点では駅前商店街型やタワマン型の価値観を満たすことは絶対に不可能ですが、その他の買物や学校などについては極力歩かずに済む町作りが従来も追求されており、今は左派政党等がそれをより強く追求しようとしています。但し地域に縦横に張り巡らされるバスの利用が前提で、通勤交通費が全額支給の会社員と無料乗車券の支給のある高齢者の他はなかなか費用がきつく、むしろ歩くことが良いということで住む人が若い世代には多いのではないでしょうか。その点では当地では与党である左派政党等は地域民の需要や価値観を見誤っているのではないかと思われます。彼らが与党になるのは右派政党がもっとずれているだけなのでしょう。

 元々はnew townといえば職場を含む全てが家の近くにある町ということで英国に発祥したものですが日本のニュータウンと称する地域でそれを曲がりなりにも満たしているのは大阪の千里ニュータウン――大阪都心と15km以内。――だけです。尤も、日本のニュータウンが邪道で良くないというのではなく、郊外住宅地としての一つの価値ある形を実現しています。

 その多摩ニュータウンの隣にある川崎市麻生区は衰退の傾向にある郊外の中では数少ない、繁栄を何とか維持している地域です。しかしその麻生区の中心駅である小田急新百合ヶ丘駅も住みたい町番付では平成30年は71位だったのが令和元年は88位と人気が下がっています。
 麻生区はもう一つ隣の横浜市青葉区に東急あざみ野駅という利用可能な駅がありますが、そちらは上位百駅に入っていません。
 平成初期ならその順番は逆で、あざみ野駅が安定上位でもう少し下に新百合ヶ丘駅が入るみたいな感じでした。今はそれが逆転しているのはなぜなのでしょうか?

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 まず、あざみ野は相場の高い東急沿線ということで今の時代には端から断念されていること。
 しかし中目黒、自由が丘や二子玉川などの東京の駅は依然として上位で、象徴的価値としては今も人気。しかし現実の検討対象としては川崎市や横浜市の東急沿線は何となく別世界という或る種の腫物のような位置づけになっている。いわば逆差別の一種です。
 あざみ野駅のある青葉区と新百合ヶ丘駅のある麻生区は全国の長寿番付で男女とも1位と2位で、内臓の腫物は圧倒的に少ない健康的地域。長者番付ではなく長寿番付です。

 現実の検討の対象として人気の上がっている小田急沿線の町は海老名駅で、東京都心との距離は45km、ほぼ京都~大阪に匹敵する遠さです。それでも人気が高まっているのは相鉄の東京との直通と小田急の複々線による所要時間の短縮で通勤がやや便利になるからです。また、海老名は元々工業地域のある厚木の隣で厚木への通勤は至便。

 新百合ヶ丘の人気が何とか持っているのと海老名の人気が上がっているのは小田急電鉄が集中投資をしているからでもあります。それはまさに選択と集中――私は良いと思いませんが、――という感じで、新百合ヶ丘駅は構内の、海老名駅は駅前の新しい店が増えています。しかし、その他の小田急の駅にはほぼ全く投資がなく、今は東武やJRの駅より汚らしい感じがしますし、駅の周辺も小なりとはいえ着実に人気が伸びている多摩線を除いては目に見えて寂れています。小田急沿線は民進党や立憲民主党の支持率が全国一であり、かつての人気高級路線は今は相対的貧困のど真中をゆく地域になっています。

 新百合ヶ丘は横浜市地下鉄があざみ野と延伸されると従来の小田急の利用客の相当数が地下鉄と東急に流れることが予想されます。海老名も通勤交通費の申請が最短経路を強制しないなら相鉄に流れる客は少なくないでしょう。そうなった時にあくまでも選択と集中を継続して東急や相鉄との競争をするのかそれとも選択と集中をやめて沿線の均衡ある発展を目指すのか?

 いずれにしても郊外は既に価値の象徴としての意味を失っています。都心に住みたいけれどそれは無理なので郊外の中でも活気のある町を選ぶということで新百合ヶ丘が生き残り、海老名が名乗りを上げている訳です。麻生区は商業に関してはさほどに活況を呈している町ではないので長寿日本一などの精神的活況が評価されてのことでしょう。同じ麻生区でも一方ではその隣の百合ヶ丘駅は他の多くの郊外住宅地と同じく地盤沈下の傾向にあります。

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 今もそこそこの人口と豊かさを維持しており、何より味のある風景が魅力ですが、いわゆる活気というものは感じられません。

 向ヶ丘遊園、生田、読売ランド前、柿生、鶴川、玉川学園前、小田急相模原、相武台前、座間、厚木、本厚木…なども同じく。

 少子高齢化の時代なのだから必然だというかもしれませんが、どうでしょうか?少子高齢化なら繁栄しないのでしょうか?

 人口が減っても今までと同じだけの収容能力を保つことを前提としているから、そこが埋まらずに儲からないわとなる訳で、収容能力を減らせばより活用される率が高まります。尤も、ごく一部の地域だけがそれを実行するとその地域の相場が急上昇して多くの人にとっての機会がない、その他の大勢は依然として不況ということになるので、鉄道業者だけとか不動産業者だけとかではなく、行政政策として行われる必要があるでしょう。

 そして従来より少ない人口でより多くの経済効果を生み出すことができる経済社会。

 そのためには、何でも近くにあって面倒くさくないのがいい、やっぱ都会だよという駅前商店街本位制やタワマン本位制の価値観ではなかなか難しいでしょう。

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