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スターウォーズ EP7.8.9 かなり正直な感想

皆さま、ご機嫌よう。

ついにこの時が。

ディズニーのスターウォーズEP7.8.9について、かなり正直に振り返っていこうと思います。


前置き


まずは結論から。

自分はこの新三部作を、スターウォーズの正統続編とは認めていません。

全てはこの結論を軸として語っていきます。
その点だけご了承ください。

何がファンの心をここまで揺らがせたのか。


何度もまとめようとしました。
自分なりに納得いかずに、ずっと保留にし続けてきた話題でもあります。

スターウォーズへの愛が深いので、今まで書いたどの記事よりも厳しいことを言う記事になると思います。

監督について

中身について語る前に、作品の監督について。

これを明確にする必要があります。

j.jエイブラムス(左)、ライアンジョンソン(右)

エピソード7の監督は、J.Jエイブラムス。

エピソード8の監督は、ライアン・ジョンソン。

エピソード9の監督は、再びJ.Jエイブラムス。

が担当しています。

元々この三部作はそれぞれ違う監督で描かれるはずだったのです。

EP9に手を挙げていた監督はコリン・トレボロウ。

『ジュラシック・ワールド』の監督で有名です。

しかし、制作上の意見の相違により彼は監督を降板。再びJ.Jエイブラムスが監督に就任することに。

この選択が、ある意味誰もを敵に回す選択になったのだと考えています。

どんな映画だったのかを簡単にまとめました。

エピソード7 フォースの覚醒

言うなれば、巨額の制作費で作った予定調和のファンムービーのような映画です。

エピソード8 最後のジェダイ

予定調和のつまらない作品を、過激な手法で覆そうとした映画です。

エピソード9 スカイウォーカーの夜明け

前作8の酷評を受け、再び予定調和のファンムービーに戻った映画です。

断っておきたいのが、就任した二人の監督も優秀であると言うことです。

ディズニーに任されるような監督が、優秀でないわけはありません。

スターウォーズというビッグネームを任されることとなり、二人の監督はプレッシャーに押し潰されそうになったことでしょう。

その大きすぎるプレッシャーの結果、このような作品を生み出してしまったのだと考えます。

スターウォーズとは何なのか

そもそもスターウォーズとは、何なのか?

このテーマが、この記事で最も伝えたい大切な事です。

スターウォーズとは、ただの映画ではありません。

存在そのものが社会現象となる作品でなければならないのです。

スターウォーズが世界中に熱狂的なファンを生むまでの作品となった一番の理由は何なのか。

スターウォーズは、音楽も俳優の演技もストーリーも、もちろん何もかも素晴らしい。

様々な効果が合わさって魅力的な作品となるのは確かでしょう。

しかし最終的に、
ここまで熱狂的なファンを作り上げたのは『映像』の力であると考えます。

それも、今までになかったほどの誰も見たことがない『革新的な映像』。

スターウォーズは、誰も観たことがなかった『革新的な映像』を魅せることができて、初めてスターウォーズとなるのです。

はい、物凄い前提条件ですね。

それを創造するというのは、もう神の業です。

しかし、ジョージ・ルーカス監督はやってのけた。

少なくとも彼の作るスターウォーズとは、そういうものでした。

彼は、時代の粋を集めた映像技術を駆使して、常に誰も見たことがないような『画期的な映像』を創り続けたのです。

神様と呼ばれるのも当然でしょう。


スターウォーズとは『社会現象』
『革新的な映像』
を以て初めてスターウォーズとなる。

これが、スターウォーズとは何なのかの結論です。

ディズニーは何をしたのか

ディズニーはスターウォーズに何をしようとしたのか。

これについてお話していきましょう。

監督の話に戻ります。

この二人の監督は、
どこかで見覚えのある迫力あるアクションを魅せるのはお手のものです。

しかし、誰も見たことがない『革新的な映像』を作り出そうとはしませんでした。

『できなかった』のではなく、あえて『しなかった』のです。

これが、自分がディズニーの新三部作をスターウォーズの正統続編と認めない一番大きな理由です。

ディズニーが認めるほどの優秀な監督であれば、ルーカスのように『革新的な映像』を創ろうと思えば創れたはずなのです。

しかし、あえて『しなかった』。

その証拠に。

EP1~6の中で、壮大な宇宙の世界観を映像の技術で説明し切ることができなかった時代の作品。

旧三部作EP4.5.6の世界観を主軸に作品を作っています。

このEP7.8.9では、革新的な映像技術の粋である『コルサント』規模の惑星がメインとして描かれることはありません。

事件が起きるのはいつも辺境の惑星ばかり。

言い換えれば、これまでのスターウォーズに出てきたアイテムを散りばめればスターウォーズっぽくなるような惑星です。

EP7.8.9では、映像技術で宇宙の世界観の壮大さを説明してくれたEP1.2.3の世界観をほぼ丸ごと切り捨てたと言ってもいいでしょう。

これに関してはマンダロリアンの感想でも語っているので、良かったらこちらもご覧ください。


これは恐らくですが、監督ではなくディズニーの方針です。

新三部作EP1.2.3の映像を取り入れてしまうと、映像的な革命を今後も作っていかなければいけなくなる。

それは、あまりにもカロリーが高い。

ならば、古き良きスターウォーズの雰囲気でファンの懐かしさを刺激する作りにすれば。

映像的には安定した予算で、監督ごとに品質にムラの出ない、同じくらいのクオリティのスターウォーズを量産できる。

これが、ディズニーのスターウォーズに対する向き合い方だと思います。

ディズニーは、革新的なスターウォーズを創り続けることよりも安定性を優先させたのです。

これは、会社としての決断でしょう。

ディズニーは予算が少ないから仕方ない?

いいえ。

ルーカスが1作品にかけた金額は約100億。
ディズニーは1作品に約200億もかけています。

ディズニーの方が、製作費が格段に上がっているのです。

それでも尚、

多額のお金をかけて、スターウォーズのようなものを量産する選択肢を選んだ末に、EP7.8.9が生まれたのは紛れもない事実です。

スターウォーズを受け継いでおきながら、『革新的な映像』を創ろうと思えば創れる技術はあるのに、あえてやろうとはしない。

マーベルスタジオの映像革新を見れば、同傘下のスタジオであるスターウォーズに同じことが出来ないわけはありませんからね。

量産体制に入るために、クオリティの足並みを揃えたいのは理屈としてはわかります。

しかし、それは誠意をもった『スターウォーズ』の受け継ぎ方と言えるのでしょうか?

受け継がれたスターウォーズは、EP7.8.9で終わりなわけではありません。

彼の遺志を継いで、魅力的なスターウォーズ作品を創りたいという想いのある監督は他にも沢山いるのです。

『マンダロリアン』や『アソーカ』の監督たちですね。

その話は、長くなるのでまた別の記事で詳しくしようと思います。

物語の失敗

新三部作の物語を考えていきましょう。

総評としては、なんとも言い難い出来。
迫力あるアクションは劇的ではある。
しかし、スターウォーズの世界観としては地味。
どこかで見たことあるような映像ばかり。

これを、ディズニー新三部作の総括とします。

EP7 フォースの覚醒

EP7は、物語的にもつまらなかった。
主人公が仲間たちと出会い、ただ悪に立ち向かうだけの物語です。
新しいことが何も起こらない。
保身中の保身のような物語でした。

EP8 最後のジェダイ

EP8では、少なくとも物語に保身はありません。
しかし、その手法はあまりにも過激。
問題作と揶揄されるほどの物語でした。

しかし誤解を恐れずに言えば、自分が唯一映画として楽しめたのはEP8だと言ってもいいでしょう。

EP8は、生みの親であるジョージ・ルーカスに唾を吐きかけたという意味では最も悪名高い作品で、到底許されていい作品ではありません。

それはもちろん大前提です。

しかし同時に、スターウォーズという世界観を新しい視点で以て、あの凄惨な物語を作り上げて魅せたのは素直に評価もできます。

やり方はひどいですが、常に新しいものを魅せ続けてきたスターウォーズという観点においては、最も意欲的な作品であるとも言えるのです。

EP7の徹底的な保身を鑑賞した後のEP8だったので、ディズニーこんな度胸あるのかと、劇場で感心したのを今でも覚えています。

同時に、過去作品への敬意を欠いてるなとも思いましたね。

ファンが怒るのも当然です。

EP9 スカイウォーカーの夜明け

EP9に関しては、正直一番認めたくありません。

この作品の映像のクオリティに関しては、ちゃんと高いです。
クライマックスなんて、ちゃんと壮観でしたよ。

しかしこの作品は、スカイウォーカーサーガ完結の集大成になる作品です。

厳しいことを言うと、少しクオリティが高いくらいで許される作品ではないのです。

本来であれば、全ての要素においてこれまでのどの作品をも超えたと言わしめるものでなければならない作品です。

それを、忘れてはいけません。

単体の作品ではなく、集大成という要素を含めて正直な感想を述べると。

あまりにも酷い。

観ている途中で、頭の中でスターウォーズ史からそっとEP7.8.9を除外しました。

スターウォーズの劇場で、早く終わってくれないかなと思ったのは、後にも先にもこの映画が初めてです。

せっかく広げたEP8の風呂敷を真っ向から否定した予定調和の展開に、見たことのある面白くもない映像。

これが集大成とは到底認められませんでしたね。

J.Jエイブラムス消されるんじゃないかと本気で心配したほどです。

このように。

新三部作がファンを心から困惑させ、正史からの除外運動まで起こさせたのは、EP8の監督ライアン・ジョンソン一人が原因ではありません。

EP7で予定調和をしてEP8でどんでん返し、EP9で再び予定調和に戻した脚本の手のひら返しが一番の原因なのです。

そんなことをすれば、ファンをより困惑させることは分かっていたはず。

自分の意見ですが、どんでん返すならそのまま貫いてほしかったですね。

EP9もどんでん返しの路線で行くなら、ニヒルな展開を望むある一定層の支持は獲得できたでしょう。

しかし、その可能性すら捨て去った。
正直、軸がブレ過ぎていて話になりません。

予定調和から外して制作したEP8が思ったよりも酷評で、今後のスターウォーズビジネスに響くと考えたから会社として軌道修正したに過ぎない。

はっきり言ってファンを馬鹿にしていますよ。
ファンの反応で実験しているようなものですから。

スターウォーズ全サーガの大事な結末を、ファンの意見でブレさせるようではそもそも脚本に対する覚悟が足りていませんよね。

この新三部作で、スターウォーズのファンが離れても、全く擁護できないと思うほどです。

ファンの意見を反映させて予定調和に戻したのが、誠意の表れだというディズニーの主張もあるでしょう。

しかし、EP8をやった後にそんなこと言われてもねえ・・・。

なら最初から予定調和だけをやっていれば良かったのではと思ってしまいます。

どうしても気になる要素

何がダメだったのか振り返ることはできました。

映画の場面を1から切り取ってここがダメだったと挙げていく事もできましたが、もっと深いところでどこがダメだったのかをお話したかった。

そこで、今回のようなスターウォーズそのものを掘り下げる形でお話することにいたしました。

ここからは、何個か挙げなければどうしても気が済まない点があるので、具体的な点を挙げて話を進めていきます。

EP8はルーカスへの冒涜という点においては挙げたらキリがないので割愛。
ルーカスへの冒涜という総評でお察しください。

以下EP7、EP9の許せないところのご紹介です。

ハンソロの死

まずは、EP7のハンソロの死。
予定調和でファンの顔色を伺う作風なのに、これを行ったのが本当に意味が分かりません。

予定調和であることを覆すための劇的な展開としてこれを採用したのでしょう。

しかし。

ただやみくもに過去のキャラの死を入れ込むだけで、新三部作を見る価値のある作品にしようとしているのが透けて見えます。

EP9まで観終わった後でも、ソロが死ぬことによる登場人物の心情の変化が物語を大きく動かしたというほどの影響も、それほど感じられなかったです。

EP9でソロがゴーストとしてカイロレンに再会させてますが、別に殺さなくてもできることですし。

カイロレンが父を殺したことにより、より大きな闇を抱えてパドメを失ったアナキンのように真の意味でシスに落ちてしまう。

などの展開であれば、ソロの死にも劇的な『意味』が生まれたと思います。

父を殺したにしては、中途半端な闇堕ちなんですよね。

カイロレンは結果的に光の道に戻ってきますし。

残念ながら、ソロはほぼ無駄死にだったという他ない結末です。

このように、ソロだけでなく過去作のキャラを出す『意味付け』が徹底的に下手だなと感じます。

出しとけばファンは喜ぶだろ感というんですかね。

流石にそんな投げやりな気持ちでは制作してないとは思いますが、もう少し出す意味を持たせても良かったのではないかと思います。

復活したパルパティーン

次に、EP9のパルパティーンを無理やり絡ませた要素。

集大成であることを演出するために、最強の悪役パルパティーンが復活させられました。

これにも憤りを覚えます。

主人公レイの祖父として、無理やり新三部作に絡まされました。

そしてその扱いの実態は、最終的には主人公が倒してハッピーエンドにするための生贄。

生贄でも、納得できるだけのラストであれば文句は言いません。

しかし、パルパティーンにろくな台詞を言わせないばかりか強敵感すらいまいち実感が湧きにくい描写の乏しさ。

挙句にはライトセーバーバトルすらさせない。

これは流石に、全く容認できませんね。

考察界隈でも、パルパティーン復活の話はありました。

もちろん楽しみにしていましたよ。大好きなキャラですから。

しかし、まさかこんな捨て駒のような扱いを受けるとまでは流石に思っていなかった。

彼を出したのは、ただEP9が集大成だからです。

魅力だった人間らしい策士である要素は一切描かれないまま、勧善懲悪として彼は倒されます。

これは、人心を掌握する最強の悪役として君臨させたルーカスの過去作を完全に愚弄しています。

カイロレンの結末

そしてこの話を最後に。
EP9でカイロレンがフォースゴーストとして現れなかった件です。

これは許せないというよりこれに関してどう思いますか?という話ですね。

確かに、修行もろくにしていないカイロレンがフォースゴーストになれないのはむしろ必然でしょう。

何らおかしいことではありません。

しかしですよ?

ファンが傷つかない集大成を謳っているのに、ここを設定に忠実に描いて本当に集大成の物語の結末としての救いは生まれるのでしょうか。

せっかく主人公と絆を持った者として、3作通して大切に登場させたカイロレン。

彼をここでフォースゴーストにしないという選択は、作り手側がこの三部作でのレイと出会ったカイロレンの『存在意義』を否定していることにもなります。

作り手側がそれをやったらいけないだろう・・・。

映画を見返す時にも観客は、カイロレンのことを最終的にハッピーエンドにもなれなかった残念な奴という目で見ることになります。

これが、正統続編を語ってアナキンの孫として出してまで与えたかった結末なのでしょうか。

光の道に戻った準主人公を邪険に扱う最後が。

そこは過去のジェダイたちの不思議な力でなぜか彼もフォースゴーストになれました、良かったねでもいいのではないでしょうか。

その方が夢ありますし。

皆さんはこの結末、どっちの方がより納得いきますか?

正史と言いながら、EP6のラストの大団円をあえて崩すような結末に、なんだかなぁ感を自分は覚えてしまいました。

最後に

なんだかんだ言ってきましたが、自分はディズニーをこよなく愛してます

昔のアニメ映画も、ピクサーも、テーマパークも大好きです。

スターウォーズとディズニーに対する愛ゆえに、かなり正直な厳しい意見を述べてきました、どうかお許しを。

ディズニーには、スターウォーズを最高の形で受け継いでいってほしい。

ディズニーならできると信じているので、希望も込めて言わせてもらいました。

やっと語りたいことを全て語り終えました。

EP7.8.9については、いつか絶対記事を作るんだと思っていたので、念願の記事が完成して嬉しい限りです。

これからも、大好きなスターウォーズを追っていくつもりでいますので、一緒に盛り上がっていきましょう!

スターウォーズ関連の記事をマガジンにまとめていきますので、他も気になった方は是非ご覧ください。

ここまで読んでくださった方々、本当に感謝です。

それでは皆さま。
フォースとと共にあらんことを。

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