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日本から服作りがなくなったら。

合同会社ヴァレイ、

2016年1月に服作りのことを本当に何も知らなかった僕が1人で始めた会社だ。

会社を設立して始めは母が運営する縫製工場のホームページを作ったりして営業の代行をしていた。

営業代行をしてでた売り上げの10-20%くらいを手数料でももらっていた。

でもそもそも縫製工場の利益なんて全然出ていないのだからその10%とか売上が全然なかった。

この現状を変えなきゃダメだ。そう決めてまずは自分自身で縫製工場をやってみようと思い企業から半年後ミシンを買った。

もちろん僕はミシンに乗れないから職人さんに入ってもらった。

それが今の運営コアメンバーの1人だ。


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でも工場の運営を始めて数ヶ月で「こりゃダメだ」と思った。

どれだけ作っても小ロットじゃ効率が上がらない。

技能士の姉は「そりゃ熟練じゃないし、技術も足りないし小ロットだから効率がわるい」と言った。

けどそんな問題じゃなかった、例えば効率が50%改善しても利益は出ない計算だった。

「そっか、日本の服づくりは誰かが我慢して成立しているんだ」

工場を運営して僕が学んだのは今の自分の原動力になる事実だった。


日本の縫製業を次世代につなぐ

その頃僕たちはその現状に直面しこの現状をなんとかしなきゃと真剣に考えた。

めちゃくちゃ議論もした、職人はお給料をあげたいが技術が上がるまではお給料が上がらない。しかし手取り13万とかで働ける若い職人なんか日本にはいない。

学びたいけど、学ばせられる環境がない。

ファッションは素敵なものなのにそれを学ぶにはものすごくお金がかかる。

現場に入って学ぼうにも工場のラインの中にあっては10年勤めたけど誰よりも襟を作るのが上手い人。とかになって終わる人も多かった。

せっかく魅力的な仕事なのに続けられない現状がこの業界にあった。

そこで僕たちは大切な言葉、つまりゴールを作った。

「日本の縫製業を次世代につなぐ」というものだ。

妥協なく経済的に自立できるか、成長できるかどうか、かっこよくいられるかどうか、人の中身も作っていくことができるか。

色んな課題があったが、ゴールが決まったらそれを考えながら進めるだけだ。

言葉を作ってよかった。


僕たちがやったこと

そんな大切な言葉を作って具体的にやることを考えた。

ここですごく重要なポイントがある「集中と選択」だ。


僕たちは最も大きな集中と選択をすることにした。

日本の縫製業を次世代につなぐ。というビジョンを立てたがために僕たちは自分たちで"服づくり"をすることをやめたのだ。

この業界のことを考えたときに一番必要なのは環境整備であると感じたから。

現場を変えられるのは一見すると現場の人たちである、しかし実態はそうではない。

例えば業界の加工賃を上げていこうと考えた時に工場の立場ではできることが限られている、相手が見積もっている加工賃の範囲でしか交渉できない。

つまり自分たちの損益を完全に相手に握られているのだ、だから縫うのではなく縫う人に適正にお願いできるようにメーカー機能を作った。


他にも職人がきちんと仕事ができないのは"生産管理"や"特殊加工"など専門的なリソースを所有していないからだと分かったから職人をサポートするために本部の工場を解体しマザー工場に切り替えた。

マザーとなる本部工場で裁断、生産管理、資材管理などを行い縫製工場が少しでも効率よく作業できるように環境を整備した。

この仕組みはMY HOME ATELIERと名前をつけて今でも運営しているサービスだ。


僕たちは日本の縫製業を次世代につなぐというビジョンの元、自分たちが縫うという一番大きなアイデンティティを捨てたのだ。

たった1点、将来世代の子供たちが日本で服作りをしてくれるために。

そのために自分たちを捨てた。

というか希望を託した。


服作りが日本からなくなったらどうなるか

現在僕たちはメーカー機能として洋服を作ってMY HOME ATELIERの職人さんで製造し販売しているし、生産管理の代行のようにマザー工場を動かしている。

このコロナ禍で9月から物流を安定させるために配送センターも作った。

そして12月からは子供達にミシンを教える教室をリニューアルし、本格的に事業化した。

3月には初めてのフランチャイズ店舗が大阪難波と滋賀大津で開校予定だ。


僕たちは今働いている人たちの環境を整備すると同時に、自分たちで企画し販売を行うことで職人の仕事や価格を安定させることを目指している。

そして何より服作りを始める「きっかけ」をスクールで伝えている。


着々と僕たちが目指す「日本の縫製業を次世代につなぐ」というビジョンに邁進している。

けどもし、僕たちが何もせずに、みんなに何もせずに、日本の服作りが日本からなくなったらどうなるんだろう?

正直洋服は海外製でも着ることができるし、海外でも小ロット生産できるようになってきた、数十年後には服作りがある程度オートメーション化して今の職人のようにはならずプログラミングのように設計することが"職人"と呼ばれるようになるかもしれない。

日本製は高品質という情報は古いものになり、国や地域問わず自由な環境で服を作って好きに買える時代になるだろう。

どこの国のものを買うのではなく「誰から買うのか」が世界中で起こる。


僕は正直"現在の"日本の服作りはなくなっていくだろうと思っている。

というかなくなって欲しいと思っている。

僕が子供の頃ずっと縫製業にいる母親の背中を見て育ってきた、家には全然帰ってこないしいつも電話で謝っていて、技術はあっても全然貧乏だった。

そんな業界、なくなってしまえばいい。

僕はそう思っている。だけど誰かの手で壊されるのが嫌だから自分は自分なりに一度壊してしまって作り直そうと思っているんだ。


安い加工賃で働かされる業界も、メーカーの伝達ミスを工場の責任にされることも、パートナーという名の奴隷も、ファッションを志した人が不幸になることや、あんなことやこんなこと、そんな業界は一回ぶっ壊してしまって。

作り直したいと思う。


でも作り直すには"時代"が必要だ。

その時代を生きるのは残念ながら僕たちではない、若い世代なのだ。

だから僕は日本の服作りは無くしちゃダメだと思っている。

僕たちが生きるためならなくなってもいい。

ファッションは素晴らしいものだ、好きな人に会うときに真っ先に考えるのはいく場所と服装だろう。

服を変えれば人生が変わる。

そんな素晴らしいファッションの世界を僕たちが僕たちの世代で終わらせるわけにいかない。

若い世代が、将来世代が自分たちなりの楽しみ方でファッションを楽しめるように、自分たちの手で変えていけるように。

僕たちは今ある悪いものを全部終わらせる必要がある、そしてより自由にこの仕事を選べるようにしなきゃいけない。


「自分が楽しい人生」それは素晴らしい、しかしそれがために自分の将来世代の夢を、希望を、業界を潰すのはいただけない。


未来を生きるのは子供達だ。

しかし未来を作るのは僕たちだ。

だから僕たちは日本の服作りを次世代につなぐと約束したのだ。


2020年も終わりだけれど、僕たちは再び約束する。

2021年のその先も、 僕たちは日本の縫製業を次世代につなぐために動き続ける。


自分らのためではなく、将来を担う子供達のために生きる。


それが結局自分たちのためなのだから。


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