社会起業家とインパクト投資について思うこと
先週末は弊社の株主でもあり社会課題解決に挑戦する起業家へ積極的に投資を行う中村タカさん率いるtalikiが主催のBeyondに参加してきた。
実はtalikiさんにご出資をいただくまで自分たちが「社会起業家」なんだとは思ってもみなかった。
というかそもそも「社会課題を解決しない事業はほとんど存在しない」というスタンスだったから(その内容についてはトークセッションの中でも多く触れられていた)
そんな中自分なりの「社会起業家」と「インパクト投資」について考えてみて、現時点今思っていることについて書いてみようと思う。
目が悪かった幼少期
社会起業家の話をする前に、自分の小学校低学年だった時の話をしたいのだけれど、僕はめちゃくちゃ目が悪かった。
小学校2年くらいの時にはすでに道路標識が見えないくらいに目が悪かった、しかし当時眼鏡をかけている小学生はあまり多くなくてもちろん目が悪い子もいたけど自分ほど悪くはなかった。
僕は席替えの時に自己申告して1番前の席にしてもらったのだけど、それでも黒板がはっきりとは見えなかったから、なんとなく概要をメモしておいて毎回授業の後に隣の席の子に見せてもらって写し直していた。
だけどそんなに目が悪いのにうちの家は貧乏だったから「メガネが欲しい」なんてのは言い出せなくて、なんとかしていた。
結果として小学校3年生くらいの時に確か学校の先生が母に言ってくれたみたいで眼鏡を作ることになった。
この時、僕が眼鏡を手に入れるまでに苦労した理由は「子供は目がいい」という固定概念と「目が悪いとしても黒板に1番近い席だと流石に見えるだろう」という考えだった。
それを「メガネがないと見えません!」いうのは当事者やそれを深く理解してくれている先生だったわけだ。
社会起業家というのはこの話でいう「先生」や「当事者」なのだろうなと思う。
冒頭にも書いたのだけれど、そもそも社会課題を解決しない事業なんてのはほとんどないと思っている。
スーパーがなければ生活必需品は流通しないし、携帯電話がなければ非常に不便な生活を余儀なくされる。
余談だけど、昔KDDI(第二電電)の創業者の千本さんとお話ししたことがあるのだけれど、
当時通信費がとても高くこのままでは国は発展しないと思ったそうだ。
そのために当時国営事業だった電電公社から民間の第二電電を創業し通信費を安くしたのだった。
その戦いは当然とても過酷だったがそれが「通信」だからと言って社会起業家ではなかったか?と言われると間違いなく国の発展に大きな役割を果たしている。
間違いなく「社会起業家」であろう。
しかし今この通信が一般化され低価格化した現在「通信費をより安く」はもちろん大事かもしれないがそれよりも「この状態でも通信機器を持てない人に目を向けよう」とか、「過疎の地域でもしっかりと通信が使えるようにしよう」とかそちらの方が社会課題っぽく感じる。
これは何が起きたかというと千本さんと稲森さんが第二電電を立ち上げて民間の通信会社が増えた結果、競争が生まれ通信が低価格化した。
そして僕たちはその通信を低価格で使わせていただいているわけだ。
社会起業家は時代の代弁者である
何が言いたいかというと社会課題はもちろん時代によって変わっていく。
そして社会起業家というのはその時代によって変化していく社会課題を見つけてきて大きな声でそれを定義する存在だと思うのだ。
しかし残念ながら「問題を定義したら成功するか」というとそれは全く別の問題だ。
例えば障害を持った人たちの生活を豊かにするアイデアは山ほど出てきただろうし、挑戦するプレーヤーは山ほどいるだろう。
しかしヘラルボニーのように大きく成功の狼煙を上げられる企業は一握りである。
しかし障害を持った人たちの生活を豊かにしよう!それを価値に転換しよう!という起業家がいることで、プレーヤーが集まって、確率論的に成功者も出てくる。
そうするとその市場が活性化してきてお金が集まっていく、お金が集まっていくと市場がさらに熱くなってプレーヤーが増えていく。
そしてそれは知らない間に社会課題ではなくなっていくのだ。
ジェンダー問題
貧困問題
人口減少
地方創生
ものづくりの衰退
様々な社会課題があるけれど、
例えばそれを見つけてきた大声で声を上げながら旗を立てる人がいるとすれば、
そこに人が集まってきてビジネスになるわけだ。
しかし一般的に「起業しよう」と考える人はわざわざそんな逆風の市場をターゲットにはしないし、そもそもその課題に気がついていないだろう。
だからそこに旗が立たなくて、声もあがらない。
ビヨンドで出会った人たちは皆その旗を上げているとても尊い人たちだと思った。
社会起業家とインパクト投資について
そんな中僕たち起業家は資本主義の中で生きているわけだから「いいことをしている」だけでは生きていけない。
一見解決が非常に困難な市場でもヘラルボニーや、日本理化学工業のように正解を生み出す企業がある。
そして僕たち起業家は純粋に市場の責任にすることなく、その市場自体を成長産業に発展させるほどのエネルギーを持ち、そして圧倒的な熱量でその課題に
取り組まなければいけない。
先に話に出した第二電電の千本さんはこんな話をしてくれていた。
「当時国営事業だった通信は、通信だけではなく土木建築、公務員あらゆる関係人口がいたから自分たちが民間で通信会社を起こすと困る人たちが何十万人もいた、だから電車に乗る時はいつ後ろから線路に突き落とされるかわからないから、プラットホームの真ん中に立つように心がけていたんだ」
僕たち起業家はこれほどの覚悟を持って、その市場ごとひっくり返すような挑戦をしているだろうか?
ただうまくいかないことを「社会課題だから」と言い訳にしていないだろうか、
売り上げが上がらない理由を「仕組みのせいだ」と言ってないだろうか、
人が集まらない理由を「慈善事業だから」と言ってないだろうか。
もしかすると周りはそういうかもしれない。
だけど僕たち起業家は少なくとも、多くとも、少なくとも「顧客」から対価をもらっている。
そして投資家から資金をもらっている。
そしてその中から自分たちの役員報酬と、給与が発生している。
無料のボランティアではないのだ、
だから投資家が「僕たちはリターンを求めないよ」と言ったとしても、
顧客から「気持ちだから」と言われたとしても、
絶対に利益が出る仕組みを考えて、考えて、考えて、挑戦する必要があるのだ。
自分たちは「誰かを助けたい」という尊い志を持っているはずだ。
誰かを助けられる人は「強い人」でなくてはならないのだ。
だから起業家よ、甘えるのは家族の前だけでいい。
強くあれ、全員がハッピーになる仕組みを考え尽くせ、難しい課題は行動力で突破して、何がなんでも利益を出せ。
そしてその利益で会社を大きくし、影響力を得て、なんとしてでも社会課題を解決させるのだ。
それが「起業家」としての使命である。
僕はそう思う。
最後に
僕は群れるのがあまり得意ではない。
なぜかというと群れてしまうと甘えが出てしまう、自分の方が頑張っているとか、
自分よりもしんどい人がいるのだとか色々考えてしまう。
(ただ単にコミュ障なのも80%くらいはある)
でも社会起業家が大好きだ、そしてそれを支援する人たちも大好きだ。
だから全員が幸せになって欲しいし、自分も幸せになるつもりしかない。
誰かを幸せにした結果、自分たちが幸せになる。
そして僕たちを応援してくれる人たちも幸せになる。
それがインパクト投資と社会起業家の関係なのだと思う。
ということで、盛大にハードルを上げたから今日もガシガシ頑張っていこう。