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異端のキューピッドが天界をのし上がる 第1話

あらすじ

 尾鷲おわせ 玖人くひとは、一般的な日本の男子高校生だった。
 だから猫を庇って事故に遭った玖人の魂は普通ならば仏に導かれる……はずなのに、気付けば玖人は天使となっていた。
 しかし幼馴染たちの後を追った先で目にしたのは、まだ生きた自分の姿。異変に気付いた天使に帰天されそうになりつつも何とか猶予を勝ち取った玖人は、元の体に戻るために“奇跡”を起こせるという力天使を目指すことを決意する。
 しかし、天使たちを見送った後に猫に扮したギリシャ神話の愛と美の女神・アフロディーテが登場する。実は玖人は天使ではなくキューピッドに転生していたのだ。
 玖人はキューピッドの正体を隠しながら、期限内に力天使を目指すという二重の試練に挑む。

第1話 天使の目覚め

 温かい日差しを受けて、綿のような柔い何かに包まれて、ぬくぬくぬくぬく気持ちいい。
 ふわっと吹いた風が優しくまつ毛をくすぐり、沈んでいた意識が徐々に呼び起こされる。
 んん? ここ、どこだ……?
 
 目が覚めると、俺は空の上にいた。挟まれていたふかふかの雲形の布団を翻(ひるがえ)し、ガバッと態勢を起こす。
 眼下に広がるのは、まるで飛行機から見下ろしたような絶景だった。遮蔽物もなく、思わず感動しそうになるはずの景色も、身一つで晒されているとなると話は別で、ヒュッと一気に肝が冷える。
 え? ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って。なんで俺、浮いてんの!?
 
 落下の恐怖に、下にも敷かれていた布団を慌てて掴んだ。思わず目をギュッと瞑り、体の外に感覚を研ぎ澄ませて様子を伺いながら、少しずつ、薄目を開けていく。
 ふう。どうやら落ちる心配はないようだ。下の街との距離は保たれている。
 
 そして、少し安心したと同時に沸き起こる「では、なぜ浮いている?」の答えを探そうと手探りしてみたところ、どうも手の届く範囲には固い透明の足場のようなものがあった。
 コンコンコンと、軽く握った拳から突き出す関節の角で叩いてみる。まるでプラスチックみたいだ。硬い。

 ん? 透明な足場越しによくよく見てみると、下に広がっていたのは見覚えのある街並みだった。ちょっと遠いけど、あそこに見えるのは俺が通っている学校だし、この真下も、たまに家族で来ている大型スーパーだ。
 他に見知った建物はないかと、両手をついて下をのぞき込む。すると、たまたま視界に入っていた手元にピントが合い、ようやく気付いた。
 
 ちょっと待て。記憶の中より、随分と手がぷくぷくしているんだが!
 
 紅葉のような両手を呆然と見つめつつ、「まさか」と、そこからゆっくりと視線を下にずらしていく。俺の体は小さく、全体的に丸みを帯びたフォルムになっていた。
 ……てか、服着てねえ。え? 夢か? これは夢なのか?
 自由を満喫する小さな下半身に、慌てて布団と、目覚める前の記憶を必死に手繰り寄せた。
 
 うん。俺は尾鷲おわせ玖人くひと、十六歳だ。
 直前の記憶では、幼馴染の二人と学校終わりに、一緒に家へ帰っていたはずだ。
 今日も俺の心のバイブル『ギリシャ神話』について、熱い議論を交わしながら歩いていた。
 
 そうだ。二人と交差点で信号待ちをしているときに、どこからか猫がやって来て……
 外ではなかなか見ないような長毛の優美な猫で、思わず目が奪われたんだ。
 
「『猫のプシュケ』という絵本があってさ。これはギリシャ神話の、クピドとプシュケの話をモチーフにしているんだ。あの有名な『美女と野獣』も、この話を基(もと)にしているという説があるんだけど……」
 
 なんて話をしていたら、横にいたはずのその猫が、急に交差点を横切ろうとしたんだ。
 幹線道路だったから車が結構なスピードで行き交っていて、迫りくる車に猫が驚いて、途中で立ちすくんでしまったんだ。それを見て、思わず体が動いちゃって……
 
 そこまで思い出して、俺は大きく目を見開いた。一瞬、時が止まったようだった。
 そして、バッとその交差点の方向に顔を向ける。
 
 あそこに行かないと……!
 そう、体が内側から急激に沸き上がる感じがして、雲の布団から勢いよく飛び出してそらを蹴った。が、その空に踏み出した足は、文字通りくうを切った。
 スカッと、まるでコントのような転げる体勢をとり、地面に向かって落下していく。
 
「おおおい! この足場、布団周りしかないのかよー!?」
 
 そう絶叫しながら、迫りくる地面に思わず目を閉じる。
 堪らず手を頭を守るように伸ばすと、急に背中からふわっと体が浮いた感覚がした。

「グヘッ!」
 
 落ちる勢いが殺され、四肢がガクンと反動で跳ねる。
 驚いて目を開けると、俺はまるでスーパーマンのように空を飛んでいた。とはいえ初の飛行だからか、ぎこちなく、若干、落下しながらあの場所の方に進んでいく。
 
 過ぎゆく景色に、俺の頭の片隅に追いやられていた冷静な部分が、「待て待て、消化不良だ。突っ込みたいポイントがありすぎるだろ!?」と顔を出す。しかし、大部分の激情に流されていた部分が、「そんな事、今はとりあえずいいから、早く早く!」と少数派を封殺し、俺の体をあの現場に向かわせた。

 それほどかからず、全速力で辿りついた先は、まさに「はい。ここが事故現場です」と言っていいほど、その場で起きたことの余韻を残していた。
 車道と歩道の段差や端の方に散らばっている小さなプラスチックの破片、タイヤのブレーキ痕に、何かの液体が染みた跡。そして、横断歩道近くの電柱の根元に捧げられた、いくつかの花束……
 あれだけ心の中に渦巻いていた激情が、ここまで体を突き動かしていた衝動が、その光景を見た瞬間に一気に消え失せる。
 
 急激に飛行スピードが落ちていく。歩いた方が早いようなスピードでゆっくりと花束のところに辿り着き、ふわっとつま先から着地すると、両手をついて地面と向き合った。
 頭上はたくさんの車が行き交っていて煩いし、背後にも歩道を歩く人々の気配がする。だが、そのどれもが俯く俺を無視して通り過ぎていく。
 まるで、俺とこの花束の周りだけ、音が抜け落ちたように静かだった。徐々に視界が滲んで歪み、ポツリ、ポツリと地面に染みが落ちる。
 
「ああ……俺は、本当に……」
 
 そう小さく呟いた瞬間、ふと、誰かが俺の横に立った気配がした。
 ぼやけた視界の隅に靴のようなものが映りこみ、次の瞬間には上から大きな体が降りてくる。それは決してこちらを向くことはないが、まるで寄り添ってくれているかのようだった。
 
 ふわりと懐かしい香りがして、恐る恐る顔を上げてみる。そこにしゃがんでいたのは、俺の幼馴染のあららぎ茉莉亜まりあだった。
 
 茉莉亜は光の消えた瞳で、供えられていた花束をじっと見つめていた。そして、小さな吐息と共に視線を外したかと思えば、肩にかけていた鞄から小さな花束を取り出してそっと置き、顔の前で両手を合わせてまぶたを閉じる。
 その自然な動作と、今まで見たことがないような茉莉亜の表情に、俺は現実をまざまざと突き付けられた気がした。
 
 俺は、死んだんだ……あの猫を庇って。
 
 身代わりになるだなんて、まるでアドメトスの身代わりになって死にかけた、アルケステイスみたいじゃないか。
 でも、アドメトスとアルケステイスは夫婦だし、結局、アスケステイスはヘラクレスによって助けられたけど、俺と猫は赤の他人? だし、俺、死んじゃってるし。
 
「ギリシャ神話みたいには、上手くいかなかったんだな……ごめんな」
 
 と、なおも祈り続ける茉莉亜に向かって、ぽつりと言う。
 その声は誰にも届くことはない。だが、返事の代わりに、後ろから別の声が降ってきた。
 
「茉莉亜、またここで手を合わせていたのか。そろそろ斎場に行かないと」
 
 それは、もう一人の俺の幼馴染、蘇芳すおう優太の声だった。『斎場』という言葉が、ずしりと心にのしかかる。
 そして、「……分かってる」と言って立ち上がり、一緒にどこかへ向かってく茉莉亜と優太の後を、俺は、まるで誘われるかのように、ふらふらと追いかけていった。

 ♢♢♢

 斎場には、人だかりができるほどの大勢の人々が集まっていた。ざわつく集団の中に、茉莉亜と優太の姿が消えていく。入り口で呆然とその様子を見つめながら、こんなにたくさんの人が俺を見送りに来てくれたんだなと、ぼんやりとした頭で思った。
 
 少し救われるようだ。想像よりもだいぶ早く死んでしまったけれども、まあ、悪い人生ではなかったのかな。
 記憶にない人も多いし、皆さん何だか思ったよりカジュアルな装いだけど、友達と言えるのは、幼馴染の二人以外ほとんどいなかった俺だ。きっと、遠い親戚や近所の人達が駆けつけてくれたんだろう。突然の訃報に準備がなかっただけだ。最後に見る景色としては十分じゃないか。
 
 自分にそう言い聞かせて気持ちを何とか立て直し、涙ながらに俺を見送ってくれる人々に、一人一人頭を下げて回った。
 正直に言うとまだ実感もないし、どうせ見えないだろうけど、これが俺の感謝の気持ちだ。そう思いながら、最後の一人まで別れの挨拶をしていく。そして、煙突から立ち上る白い煙を、みんなと一緒にしんみりと見送った。
 
 一息ついたような空気が流れた時、人垣の向こうから、毎日家で聞いた声がした。
 
「茉莉亜ちゃん、優太くん、今日はわざわざ来てくれてありがとうね」
 
 母さんの姿を見て、また俺の涙腺が緩む。ああ、先に死ぬだなんて、親不孝なことをしてしまって……本当に、ごめん。
 少しやつれたように見えるけれど、思ったよりも元気そうなことだけが救いだった。
 涙をぬぐい、すすすっと三人の輪に入ってみる。
 
「いえ、私もちゃんと最後にお礼が言えて、よかったです」
 
 茉莉亜。こっちこそ、今まで本当にありがとうだよ。
 
「そうだな、あの時は、それどころじゃなかったから。即死だったみたいだし、苦しまずに逝けたことは、せめてもの救いだったのかもしれないな」
 
 優太。そうだよな。見た方もトラウマ並みの衝撃だったよな……大丈夫。苦しくはなかったよ。それは保証する。
 
「そうね……」
 
 母さん、そんな顔しないで。俺ここにいるよ。ちっちゃくなったし、もうみんなの目には見えないけど……元気だよ。
 
「あの猫が、玖人を守ってくれたんですよね」
 
 ……はぁああ!? え? 俺、死んだんじゃないの!? まてまてまてまて、頭が追いつかないんですけど!?
 
「本当に、あの猫ちゃんには、何て感謝すればいいか……」
 
 そう言って煙突から出る煙の方をしんみりと見つめる母の装いは、確かに、故人の母としては随分と軽い。てか、デパート行くときとかによく着ていた、ちょっと良いワンピースだぞ、これ!
 慌てて周囲の人々を見回す。
 やだ……よく見たら、集まってる皆さん、ペットの写真持って涙ぐんでらっしゃる!? ええええ? 俺、本当に知らない人達に感謝の言葉言って回ってたの? 恥ずー!
 
 そう思わず心の中で叫んだ俺は、その場に耐えられなくなって、愛するペット達との別れを惜しむ人だかりから少し外れた隅の方に、逃げるようにヨロヨロと向かった。草葉の陰で小刻みに震えながら、顔に手を当てて小さく丸まる。
 何てこった。もう、いっその事、本当に消えてしまいたい……
 なんて、恥ずかしさに悶絶していると、背中の方から急にカッと光が溢れたと思えば、こちらに向かって叫ぶ女性の声が聞こえてきた。
 
「あー! いたいた、こんな所にいた! もう、探したんですよー!?」
 
 それは、周りの人々ではない、明らかに俺に対して向けられたものだった。ハッと背中に意識が集中する。
 え? もしかして、この姿になってから初めて会話可能な人!? ちょ、ちょっと待って……。俺いま、素っ裸なんだけど!?
 ここに来るまでに散々思い知らされた、『俺は周囲の人には見えていない』だからこそ、ようやく堂々と晒すに至ったというのに……え、今の俺の姿を見える人がいるの!?
 
 慌てて諸々手足で隠しつつ、声のする方へ顔を向ける。少し先の方から、羽の生えた神々しい女性がこちらに向かって飛んできているのが見えた。
 最悪だ。向こうさん、服着てやがる。小さなナリをしているとはいえ、俺、完全に不審者では。
 躊躇なく距離を詰めてくる女性に、「へへへ、私は怪しいものではなくてですね……」と何とか取り繕おうとするも、女性はこちらの様子を気にもせずに声を重ねてきた。
 
「日本で天使になれる人は珍しいから、ここまで来るのに随分と時間がかかってしまいましたよ。その間にゆりかごから逃げ出しちゃうし……やっと見つけましたよ。おはよう、私の小さな天使。あれ? 何かうずくまっていますが、大丈夫ですか?」
 
 素っ裸を隠すように前のめりに丸まっている俺に、めちゃくちゃ豪華な服を着ている女性が、後光を放ちながら心配してくる。
 いや、ちょ、眩し……そっちは逆光だから良いかもだけどさ。って、ん? 天使?
 ハッと自分の背中を見ると、確かに俺の背中には羽が生えていた。
 
 後回しにしたの忘れていた。これで飛んでたのか! てか、俺、天使!?
 言われてみれば確かに、このフォルムに背中の羽、そして、そっと頭に手を伸ばした時のエグい天パ。絵画とかで見る天使そのものだな! いやいやいやいや、何でやねーん!? うち仏教なんですけど!?
 
 視界も眩むような輝く女性から目を逸らし、流れるように一人ツッコミをする。女性は、何だか残念な生物を見るような目でこちらを見ている気がする。
 しかし、いい加減消化不良だったので気にせず続けていると、「じゃあ、このまま玖人のところにお見舞いに行くか」という優太の声が耳に入った。慌ててそちらを振り向くと、頭をかしげている光源の斜め後ろの方で、移動し始める三人の姿が見える。
 
「? 終わりましたか? 私は貴方たちの世話をしている、ガブリエルです。生まれたばかりの天使に、祝福を……て、ええ!? ちょ、どこに行くんですか!?」
 
 ガブリエルとかいう神々しい女性の目の前をぶった切って、俺はこれから俺の元に向かうという三人の後を猛ダッシュで追いかけた。
 優太、お見舞いって言ってたぞ! え、俺もしかして、本当に生きてるの!?
 
「ちょ、え!? あの、まだ説明が、支給品もあって……あ、待って!」
 
 そう叫ぶ声が後ろから聞こえるが、待ってなんかいられなかった。
 当たり前だろう。てっきり死んだと思ってたのに、生きてるかもしれないんだぞ! 俺、今すごく大事なとこなの! それどころじゃないの!

 ♢♢♢

 マジだあ。俺、本当に生きてるよ……
 
 病院の建物の外、とある病室の窓から俺は、部屋の中をこっそり覗いていた。そこには母さんと茉莉亜と優太、そして、色々な管につながれてベッドに横たわる俺の姿があった。
 窓際の机に置かれた花瓶には、少ししおれてしまった花が飾られている。ちょうど、茉莉亜が新しい花に入れ替えようと窓に近づいてきたため、思わずさっと窓の外に体を隠した。
 
 ……てか、よく分からんけど、天使って幽霊みたいなものとちゃうの?
 
 不審者のごとく壁にへばりつきながらも、何ひとつ聞こえてこない状況に少し悪態をつく。
 飛んでるし、周囲の人に姿は見えないしで、てっきり俺は扉や窓を通り抜けできるものと思っていた。だから、三人から少し離れたところで尾行していたわけだけど、目の前で閉じてしまった病院入り口の自動ドアに、思いっきり衝突するだなんて思いもしなかった。
 
 顔面からぶつかったことで鼻は痛いし、その後、ドアの前を飛びまくってもセンサー全然反応しないし。やっと、向こうから人が来たと思ったら車いすに乗ったおばあちゃんで、俺の方を見て「お迎えが!」とか言って一緒にいたご家族の方を困惑させるものだから、ドアから入るのを諦めてコソコソと外から病室を探す羽目になったんだ。
 ここに辿りつくまで、病室を一つ一つ回って大変だった。そういえば、その時に一人、入院中のおじいちゃんと目が合ったけど大丈夫だっただろうか? おじいちゃん、目を見開いて硬直していたけど。
 
 まあ、何はともあれ、無事に自分の病室を見つけたわけで。ただ、薄々想像はしてたんだけど……全身に包帯を巻かれ、たくさんの管に繋がれた光景を見るのは中々にヘビーだった。
 
「俺、本当に事故に遭ったんだなぁ」
 
 室内の声を拾うことを諦めた俺は、窓下の足場に壁を背にして座り、空を眺めながら呟く。
 あれはきっと、重症という状態なんだろうな……
 包帯とかで見えない部分があったけれど、あの下は一体どうなっているのか。後遺症とか、大丈夫なのかな。など、考えるだけで頭は俯(うつむ)き、不安で体が小さく震えてくる。
 あ、ちょっと泣きそう。感情の乱高下、激しくない? なんて、自嘲気味にひとりでツッコんでいたら、急に横から声がした。
 
「あれ? おかしいですね」
 
 驚いて声のした方を振り向くと、先ほど斎場で置き去りにしてきたガブリエルがそこにいた。俺が体育座りする横で立膝をつき、窓枠に手をついて病室の様子を覗き見している。
 
「天使になったってことは、元の体は死んだはずなんですけど……あなたの前の体、何でまだ生きているんですか?」
 
 真剣な顔をして俺にそう聞いてくるが、いやいや、そんなのこっちが聞きたい。
 
「うーん、長いことこの仕事をしていますが、これは初めてのケースですね。善良な魂を有する人間が死んだ場合、体から離れた魂はゆりかごに導かれ、天使として生まれ変わるというのが正規のルートのはず……」
 
 一人で考え込むかのように、ガブリエルは顎に手を当ててブツブツと独り言を漏らす。
 そして少しして、下を向いていた顔をおもむろに上げると、ポンと手を叩いた。
 
「うん。父が決めたこのことわりに例外はありませんし、あってはなりません。ここは私自らお迎えに行きましょうか」
「お迎えって……わー! 待って、待って!」
 
 ガブリエルがその場に立ち上がった瞬間、体がカッと発光して周囲が光で満たされた。急な目潰しにビックリしつつも、ガブリエルのしようとしていることを察し、慌てて手を伸ばして止めようとする。
 しかし、ガブリエルがいるはずの真横の空間には、確かに光はあるものの何もなかった。えええ!? なんで何も掴めないの!? と、白む世界の中で必死に手探りし続ける。
 その時、唐突に第三の声がその場に落とされた。
 
「ガブリエル、待て!」
「アズラエル!? どうして、ここに!?」
 
 ガブリエルの動揺と共に、白で満たされていた世界が急速に色を取り戻していく。
 初めて聞く声。アズラエルというのは天使か? てか男? ちょっとイケボなんですけど。
 目潰し攻撃が落ち着いたと同時に、くうを掻いていた両手を足場におろして、四つん這いの姿勢になる。その状態で、必死にまばたきを繰り返す俺をよそに、二人は淡々と話しを進めていった。
 
「やれやれ、光に気付いて飛んで来てみれば……俺がここにいるのは、お前が先ほど、この人間を帰天(きてん)させようとしたのと同じ理由だ。俺の役割は、死んだ者の魂を導くことだからな。俺の導きなくゆりかごに抱かれ、父の理からも外れたこの人間に気付き、様子を窺っていた」
「では、やはりこの人間は、正規のルートで天使になったのではない、と? まさか『悪魔』の仕業でしょうか?」
「いや、それは分からん。ゆりかごは、常に開かれているからな」
 
 アズラエルはそう言って、真上を指差す。ようやく回復してきた目でつられて空を見てみると、この病院の遥か真上に、俺が目覚めた時にいたあの雲の布団があった。
 ああ、そうか。大型スーパーの方しか見てなかったけど、確かに隣はこの病院だったわ。昔、この病院にばあちゃんが入院していた時、お見舞いの後に隣のスーパーで家族とよく食事して帰ってたっけか、懐かしい。
 
「そこの天使が生まれたゆりかごは、ここの真上にある。何らかの理由で魂が体から離れ、たまたまゆりかごに入ることができた可能性は、否定できない」
「ふむ、そうですか。とはいえ、ゆりかごに入れたのは偶然としても……天使になりながら元の体が生きているという父の理から外れた現状は、決して見過ごすことができません」
 
 ガブリエルはそう言って、視線をアズラエルから病室内の俺の体の方に移した。その瞳には明らかな拒絶を含んだ冷たさが滲んでいて、この場に、今日一番の張り詰めた空気が漂う。
 おいおい、思い出に浸っている場合じゃないぞ。やばい。これは、多分、やばい。
 
「天使としての器を壊すか……ただ、それだと魂が元の体に戻る保証はありません。では、やはり元の体の方を帰天させるか」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 
 思わず、二人の話に割って入ってしまった。やばそうな流れすぎて、冷や汗が止まらない。
 話に乱入した俺に、二人の視線が集まった。俺の次の言葉を待つシーンと静まり返った空気に、喉がゴクリと鳴る音が響く。
 てか、よく見れば、アズラエルもガブリエルに劣らず豪華な装いだ。そして無駄に造形がいい。ただでさえ神々しいのに、素っ裸でミニマムな俺とは対照的な、圧倒的装備品を纏う二人が無言で見つめてくるなんて、威圧感と場違い感が半端ない。
 
「ええっと、確か! 天界に行った後も、元の体に戻った人が過去にいましたよね!? 俺が例外ってわけでもないと思うのですが!」
 
 そうだ。正直、そんな話があったかどうかなんて知らないんだけど、多分、あるはずだ!
 宗教が違っても、似たようなエピソードはどこもあるって言うし。そう、きっと、オルペウスが死んだ妻のエウリュディケーを取り戻すために冥界に行き、地上に戻ったのと似たような話がきっとある! ちなみに、オルペウスは最後の最後で約束を守れずに、妻を取り戻すのに失敗するんだけども、縁起でもないので、それは今はなかったこととして考える。
 
 頼む、あってくれよ!? じゃなきゃ、俺、ここで本当に死ぬぞ!
 しかし、必死に神に祈る俺の願いは次の瞬間、無残にも散ってしまった。
 
「それって、いったい誰のことですか?」
 
 ……終わった。ガブリエルの言葉に、頭の中が真っ白になる。
 マジか。一人くらい、そういう人いると思ってたのに……さよならなのか、俺の体。思い返せば、ギリシャ神話を読みふけるだけの人生だった。できることなら、ゼウスのように……とまではいかなくても、少しくらい恋愛とかしてみたかった。
 
「うーん、人間への天界チラ見せプレゼントは、結構よくあるんですよね。だから、どなたのことを言っているのか分からないのですが」
 
 いや、ありすぎて誰のことか分からなかっただけなんかい! てか、そのことを、当の天使たちは『天界チラ見せプレゼント』とかって呼んでるのか。SNSでのプレゼント企画並みの手軽さだな。
 
「ただ、彼らは一時的に招かれるだけで、あなたのように天使の器を持つことはありません」
 
 しかも、結局、俺のパターンとはちょっと違うし。
 もう、俺には何も弾がない。若干諦めモードが漂うも、引き続き何やら記憶を探る素振りを見せるガブリエルに一縷いちるの望みをつなぎ、悪あがきと思いつつ心の中で「頼む!」と願う。
 
「あ、もしかして、エノクのことですかね?」
 
 なんか、聞いたことのある名前出てきた!
 とはいえ、誰だ? めっちゃ昔の人ってことくらいしか分からない。
 
「エノク……ああ、メタトロンの人間時代の名か。ウリエルが天界を案内して、父がことに気に入って、メタトロンの名を与えて天使になったんだったか。ただ、奴はたしか天界に人間の肉体のまま来たし、天使となった後は人間には戻ってないからな」
 
 そんな人いたのか! でも、ダメやん。これもう、万策尽きた感じですやん。ああ、来世では……って、天使になっちゃったから来世ないのか。マジか。
 
「……あなたは、元の体に戻りたいのですか?」
 
 持ち弾を使い果たし、今世と来世に思いを馳せて項垂れていると、ガブリエルがそう声をかけてきた。よく見ると、二人はさも不思議そうな表情で俺の様子を眺めている。
 
「え? そりゃ戻りたいですよ。まだ、人生これからでしたし、親も悲しませたくないですし」
「普通なら、天使になったことを泣いて喜ぶやつばかりなんだが。お前、変わってるな」
 
 変わってるって、え? そうなの? いやだって、天使になっても何すればいいのかサッパリ分からないんだけど。そもそも天使のこと、良く知らないし。
 
「……まあ、本来、俺たち天使は人間を守護し、寄り添いながら導くのが仕事だ。だから、お前が人間に戻りたいというなら、その気持ちを尊重してやりたいとは思う」
 
 えっ!? 唐突なアズラエルの好意的発言に、気持ちが急激に立ち直る。
 イケボだし、イケメンだしで、いけ好かないなんてちょっと思ったりしたけど、あなためっちゃ良い奴じゃないですか!
 
「っ! ではっ!」
「ただ、今の状態では、あなたを元の体に戻すことはできないのです」
 
 間髪入れないガブリエルからの横やりに、再び顔を上げた希望が叩かれる。
 ちょっと、ちょっと! 希望持たせたり、落胆させたり、どっちなんだよ!
 
「元の体に戻るには、魂と体に繋がりが必要なのです。魂は紐づいた体にしか、基本的に入ることができません。あなたの魂は、すでに今の天使の体と紐づいていて、元の体との繋がりが断たれているのです」
 
 そんな……それ、めっちゃ重要な情報ですやん。前例のあるなしとか、意思を尊重とか、それ以前の問題ですやん。
 
「ああ、私の小さな天使よ。どうか、落ち込まないで。私たちにはあなたの望みを叶えることはできませんが、一つだけ、元の体に戻れる可能性があります」
「……え?」
 
 今までさんざん希望を折られて学んだ俺は、もう、ちょっとやそっとのことじゃぬか喜びしない。ガブリエルの続きの言葉に、注意深く耳を澄ませる。
 
「それは、力天使ヴァーチューとなり、『奇跡』を起こすことです」

第2話 決意と不安

第3話 愛と美の女神

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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