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異端のキューピッドが天界をのし上がる 第2話

 力天使ヴァ―チュー? 何それ?
 天使に、普通の天使と大天使がいるってのは、マンガやらで何となく知ってたけど、力天使って一体、何?
 
 聞きなれない単語に思考が一瞬停止する。その様子を見て、ガブリエルはふふふと笑うと、慈しむような視線を俺に向けて話を続けた。

 「私たち天使には厳格な階級があり、それぞれに父より与えられた力があるのです。ちょうどいいですね。あなたのように新しく生まれた天使たちには、毎回、最初にこの説明をしているのです」
 
 あ、その説明が今になったのは、俺がゆりかごってところから逃げ出したからですね。お手数おかけしてすみません。
 ガブリエルの言葉に少し後ろめたさを感じつつ、まるでパンドラの箱のように最後に残った希望の光を逃すまいと、続く言葉を聞き漏らさないよう真剣に耳を傾けた。
 
「あなたの今の階級は、最下位である第九位の守護天使ガーディアンエンジェル。天使としての仕事をきちんとこなしていけば、大天使アークエンジェル権天使プリンシパリティ能天使パワーと昇格していくのですが、その先に、第五位の力天使という階級があります」
 
 なるほど? どうも、天使というのは部活、というよりかは会社のような純然たる縦社会で、それぞれの立場がきちんと決まっているらしい。今の俺は第九位で、目指す力天使は第五位ということだから、力天使はさしずめ中間管理職といったところだろうか。
 
「力天使は地上において、『奇跡』を起こす力を持っています。あなたが力天使となり、奇跡を授ける人間次第では、あるいは、元の体に戻ることができるかもしれません」
 
 つまり、組織外の人間にすごい影響を与えることのできる管理職か。まるで、大手塾でそこそこ立場のある超売れっ子講師みたいな……ちがうか。
 しかし、これだと俺が力天使を目指すだけでなく、奇跡を起こしてくれる人間。そう、部活を引退した後から急激に勉強し、E判定を覆して志望校に合格するような、ミラクルな人間の存在が必要なのでは?
 
「私としては、少々寂しい思いもありますが、元の体に戻るのがあなたの望みであるならば、あなたたち守護天使の管理者たる私も、僅かばかりではありますが協力いたしましょう。あなたが希望を持ち、力天使を目指して頑張り続ける間だけ、理から外れている今の状況に目を瞑るとしましょう」
 
「っ!? あ、ありがとうございます!」
 
 真剣に耳を傾けると言いつつ少し思考が逸れていたが、ひとまず、帰天は避けられたみたいだ! 良かった~! 見てくれていたか、俺よ。ちっちゃくなった俺は、やり切ったぞ!
 首の皮一枚つながった安心感に、これまでの緊張や不安が一気に解放されて、思わず顔が緩む。だが、そういうときこそ、まだ安心できないもので……
 
「……ただ、分かっているのか?」
 
 このやりとりを、黙って見守っていたアズラエルが唐突に口を開いた。
 ん? 分かっているかって、何を? もしかして、さっき頭をよぎった、ミラクルのこと?
 
「元の体に戻るには、そもそも、お前が力天使となるまでに、元の体が生き続けていないといけない。身体の傷は回復できたとしても、魂が抜け出てしまったお前は、生命を維持することすら危うい状態だ。その状態を、お前の家族は許容し、支え続けることができるのか?」
 
 アズラエルが、くいっと顎で病室の方に注意を促す。
 二人との会話に夢中で病室の方を見ていなかったのだが、気が付けば、病室には母さんと茉莉亜、そして優太の三人に加えて医師と看護師がいた。床に倒れ込んでいる母さんを、茉莉亜が寄り添って肩を抱いている。
 
 え? これは一体、どういう状況? 何が起こったの?
 さっきまでは、どう頑張っても何も聞こえなかったのに、今は耳をすませば、小さく母さんの震える声が聞こえてくる。よく見ると、空気の入れ替えでもしたのか、僅かばかりに窓が開いていた。急いで窓側に寄り、聞き耳を立てる。
 
「そんな、玖人が、目覚めない可能性があるだなんて……」
 
 え!? って、いやいや、そりゃそうだ。俺の意識、というか魂は今こっちにあるんだから、逆に今の状態で目覚めたらビックリするわ。
 
「まだ、あくまで可能性の段階です。ですが、玖人くんは外傷性脳損傷を負っている可能性があり、このまま玖人くんの意識が戻らなければ……いわゆる植物状態であると言えます」
 
「植物状態……!」と言う、母さんの小さな悲鳴が聞こえる。
 そうか。意識のない寝たきりって、そうなるのか。
 
「……目覚める可能性は、どれくらいあるのですか?」
 
 震える母さんの声に、胸がつまる。俺が力天使とやらになって、奇跡を起こせば目覚めるらしいけど……それまで、母さんたちには辛い思いをさせてしまうのか。力天使になるのに、一体、どれくらいかかるのだろう……?
 
「目覚める可能性はあります。玖人くんと同様に、車両事故の後、二十七年たってから目覚めた事例もあります。ただ……多くの人は植物状態と診断されてから、およそ半年以内にそのまま亡くなられ、五年後の生存確率は五パーセントと言われています。そして、時間の経過と共に、回復する可能性は低くなります」
 
 医師の言葉に母さんは手で口元を覆った。震える肩を茉莉亜が支え、優しくさすってくれている。
 
「水分や栄養を補給し続ければ、生命を維持することはもちろん可能です。ご家族の意思を我々も尊重します。まずは体の治療を行い、半年、そして五年を節目として、今後の治療について考えていければと思います」
 
 ……五年。
 
 これは、力天使を目指すには、おそらく短い時間なのだろうと頭の隅で思った。同時に、俺の回復を待つ母さんたちにとっては、途方もなく長い時間なのだろうとも。
 病室から再び視線を外し、俺の後ろで静かに様子を見守ってくれていた二人に問いかける。
 
「……力天使には、どれくらいでなれるものなんですか? 五年で……可能でしょうか?」
 
 アズラエルの言うとおりだった。俺が力天使になれるかどうかも確かにそうだが、一番の問題は、俺の体と母さんたちの心に、タイムリミットがあることだった。
 
「私たちには寿命がなく、人間のような時間感覚もありません。昇格にかかる時間には定めがなく、あなたの頑張り次第でもあります。五年は私たちにとって、瞬きほどの短い時間ではありますが、決して不可能ではない、とは言えるでしょう」
 
 たとえ慰めの言葉としても、その言葉に縋るしか俺には選択肢がなかった。事の深刻さに顔を伏せ、拳を握り締める。これまで起こった色々なことが、一気に頭に溢れてくる。
 
 ……なんか、疲れてきたな。
 目覚めてからこれまで、怒涛の展開に必死に食らいついてきたが、ふと、諦めてしまった方が楽なのではないかと、仄暗い何かに呑まれそうになっていた。その時、ずっと母さんを支えてくれていた茉莉亜の声が聞こえた。
 
「……私、医師を目指します」
 
 沈んでいた意識がハッと戻る。それは、とてもか細いながらも力強い声だった。
 
「私も一緒に、玖人の回復を願います。医師になれるのは、ずっと先だけど……それまで決して希望を失わずに、目覚めを信じて努力し続けます。だから、私と一緒に頑張りましょう」
 
 窓にへばり付き、瞬きすら忘れて見つめ続けていた光景が、徐々に滲む。
 
「……『奇跡』は願いの具現化です。善行を積んだ人間にのみ、その奇跡は訪れる。そして、人間に善行を積むように導くことが、守護天使の仕事です」
 
 母さんに向き合って手を握り、静かに自分の決意を伝える茉莉亜の姿。後ろから、天啓のように降りてくるガブリエルの言葉。濁流に呑まれそうだった気持ちに、一筋の光が入る。
 
 ……ありがとう。
 茉莉亜の言葉に俺も救われていた。俺も、もう、俺自身を絶対に諦めないよ。
 奇跡を信じて力天使を目指し、守護天使として茉莉亜の願いを導く。これが、俺がすべきことなのだとそう強く感じ、泣きじゃくる顔をガブリエルに向けて、一つ頷いてみせた。

 ♢♢♢
 
 「では、守護天使として付く人間も決まったようですし、最後に、あなたへの支給品をお渡ししますね」
 
 俺と目が合い、天使のような微笑みで静かに頷いていたガブリエルが、そう切り出した。
 支給品。そういえば、最初に会った時からそれ言ってたなと思い出し、腕で涙をぬぐう。
 
 ……できれば、服を希望したい。
 今は三月だ。この体はどうも寒さを感じないようだが、まだまだ着込んでいる人々の中で、プラプラさせながら飛び回っているのは、流石にメンタルが削られる。ほとんど人から見えないんだから自意識過剰だろうと言われようと、せめて何か隠せるものが欲しい。
 
「基本的に、人間の時の性質に合わせた物になるのですが、ええと……」
 
 どこからか持ち出した袋の中に手を突っ込み、探すそぶりを見せるガブリエルの姿をドキドキしながら見つめる。
 
「あれ? んんん?」
 
 ガブリエルは袋から何かを取り出したかと思えば、それを一瞬確認すると、さらに袋の口を大きく広げて中を覗き込むように探りはじめる。
 
 なんか、ちょっと嫌な予感……
 何度も袋の中を確かめるガブリエルの姿に不安がよぎる。そして、探すことを諦めたように手を止めてこちらを見てきたかと思えば、袋から唯一、取り出した物を差し出してきた。
 
「あなたへの支給品は、弓と矢、ですね……」

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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