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期待を科学的に考えてみた

2020年2月25日の記事を再掲載

知らず知らずの「期待」ってよくしちゃいますよね。

そもそも「期待」とは、周囲へ「依存」していることとほぼ同義。無意識に相手へ期待しすぎることは、相手に「依存」することなんじゃないかなぁ、とある時ふと気づきました。

実際わたしの人生の半生くらいは、周囲に「期待」をしては「期待外れ」て失望し、そこからのストレスも多々ありました。

例えば、
●上司、同僚が仕事を順調にやってくれているだろうという「期待」
●今の幸せな時間が永遠に続くだろうという「期待」
●記念日や誕生日を勿論覚えててくれているだろうという「期待」
●家に帰宅したら美味しいご飯と家族が待っているだろうという「期待」
●パートナーや友人がいつでも無条件で自分を愛してくれているだろうという「期待」

冷静に考えてみると、私たちは日常の中で「不意に」期待をしていて、それに無自覚だったりする。

期待に伴う「べき」「はず」という考え方は、根拠ではなくフィーリングから起因していることが大半です。

そして「期待」の1つに、「察して欲しい」といった考えもありますよね。

私の場合、空気読むのが得意ではないので、母親を失望させて喧嘩するなんてことよくあります。笑

こんな感じで、「期待」が最終的にいい結果をもたらしてくれることってあまり無いな、という実感があったわけです。

言葉にして相手に伝える努力をしない限りは、いつまで経っても自分の思いは伝わらず、運良く相手が察してくれたとしても、その内容が自分の意図したものとかけ離れていたとき、失望を生んでしまうのかもしれない。

このように、いつの間にか私たちは、「自分にとって良い結果になる」ハッピーエンドを期待し、勝手に期待と失望を繰り返すことが多々あります。

そうした負の感情に振り回されない為にも、常識や先入観と合わせて、自分の脳もときどき疑ってみる必要がありそうです。

そもそも科学的にみて、期待とは何か

まず、言葉の定義は下記の通り。

【期待】
ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。

心待ちにしてた結果がその通りになったとき、人間の脳内ではドーパミンという脳内化学物質(報酬)が出て幸福を感じるそうです。

そもそも脳というのは欲望が満たされた際、「報酬系」と言われる神経系が活性化して、ドーパミン等の快楽物質を分泌します。

つまり、食欲・睡眠欲・性欲などの生理的欲求が満たされたり、人に褒められたり、愛されたり等の自己承認欲求が満たされる度に私たちの脳は快楽物質のパーティーなわけです。

期待という文字も無かった真っ白なキャンバス(タブララサ*)が、こうした報酬系による快楽物質を伴った経験と共に、カラフルに彩られていく。

*タブララサ:経験主義。原義はラテン語で「磨いた板」の意味。人は生まれたときには何も書いていない板のように何も知らず、後の経験によって知識を得ていくというものである。

Wikipedia

この「報酬系」によって、私たちの行動における動機付けがされ、奴隷の如く脳内の快楽物質を手に入れるため様々な行動を取るのです。

こうした快楽物質がモチベーションをもたらしてくれるのは事実ですが、その中毒性への懸念が最近の研究で明らかとなっています。というのも、脳は、一度快感を感じると、延々と繰り返したくなる傾向にあるからです。

例えば、ギャンブル中毒者。

彼らの楽しみは「勝つこと」ではなく、「勝てるかもしれない」という期待なのだそう。

また、勝ち負け関係なく、彼らの脳内では「惜しい」結果に対してもドーパミンを分泌する部位が活性化するのだとか。

ステレオタイプやプラシーボ効果なども、「期待」が引き起こしている現象といえます。

しかし、期待が人類の発展への原動力であり、何かを欲し、期待する度に失敗を繰り返し学んでいくのも事実。

極めて大事なのは、自分が何に「期待」をしているのか、それに期待をする価値・時間があるのか自分で認識し、選択できることではないでしょうか。

さらば、「期待外れ」

私は最近になって、仕事や日常生活においての「期待値」を見つめなおすようになりました。

実際、周囲への期待(依存)を無くすことで物凄く気持ちが楽になり、精神的に自立してきたかなと思います。

芸術・演劇の観点から俯瞰しても、「期待値」は低から始まった方が面白みに富むように思いませんか?

とはいえ人間である以上、期待という欲を完全に無くすことは極めて難しい。

でも、少しでも他人への「期待」という負のサイクルを抜け出して、自ら結果を伴うためにアクションをするべきではないでしょうか。

勝手に期待と失望を繰り返さず、欲望の奴隷にもならず、自分自身の意志を持って行動する人って素敵だな、そうなりたいな、と歳を重ねるほど強く思います。

そんな人間はニーチェに言わせれば超人なわけですが、少しでも近くに自分を持っていきたいと思う今日この頃。

参考文献:”The Surprising Power of Expectations”

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