旅行記2日目(10/6)ミュンヘン オクトーバーフェスト・ホフブロイハウス
やってきましたビールの都ミュンヘン!
本場のオクトーバーフェストとは如何なるものなのか?
グルメや撮り鉄も楽しみつつ、ドイツでの「おつかい」に挑みます!
今回もドイツ語ぢからが試されます!
オクトーバーフェストとは…
1810年、バイエルン王太子ルートヴィヒと妃テレーゼの結婚式が現在会場になっている場所で挙げられました。その場所は緑地となり、テレーゼの名が与えられ「Theresienwiese テレージエンヴィーゼ」となりました。ミュンヘンっ子にはもじって「Wiesn ヴィスン」と呼ばれます。
緑地では競馬などが行われるようになり、徐々に市民に開放されるようになりました。
1819年から現在のようなビール祭りとして催しものが始まり、何回か戦争などによる中断を挟みながらも、復活し続けて現在に至ります。
9月下旬から10月上旬までのおよそ16日間の会期で、消費されるビールは約750万ℓで、しかも提供されるのは専用に醸造した度数高めの6〜7%のビールというではありませんか。
来場者数はのべ620万人以上!1日平均38万人にもなります。
これはオタクの私には馴染みのコミケの倍近い人数です。そんな人数の酔っ払いが集まったらどうなってしまうんだ⁉︎と、事前調査した私は恐怖のズンドコに叩き落とされました。
果たして実際にはどんなものだったのでしょうか。ご覧ください。
以下有料です。
朝7時半頃にホテルで目覚めた私は、さっそく着替えて朝食を食べに、部屋のある5階から0階(地階)に降ります。
ヨーロッパでは地上階は1階ではなく0階というカウントになるので、日本人から見るとズレが生まれるのです。ドイツ語では „Erdgeschoss“ エアトゲショス と言います。
私の泊まった部屋は確か405号室ですが、日本式に数えれば5階にあたるのです。
昨日限界まで頑張って起き続けてから寝たため、時差ボケはほとんどありませんでした。
ホテル出入り口から見ると、真ん前にはレセプションがあり、左手にレストランがあります。ここで朝食を頂きます。
レストランの入り口で12か13歳ぐらいであろう男の子に「貴方の部屋番号は?」と尋ねられたので答えたのですが、雇われの従業員にしてはあまりに若すぎます。もしかしたらこのホテル(イビス・ミュンヘンシティノルト)は基幹は一家がやっていて、コンビニのフランチャイズ契約みたいな感じで経営をしているのではないか…と勘繰りました。
朝食はよくあるアメリカンビュッフェ。
自分で操作するワッフル焼き器(写真撮り忘れ)が目につくこと以外は至って平凡。取り立ててミュンヘンの名物も無いようでした。
こんな感じにチョイスを。
これからビールをたくさん飲みに行くので、同じ麦であるパンは控えめ。酔っ払って不覚を取らないよう、ヨーグルトをたっぷり食べます。(乳が胃に膜を作ってアルコールが胃の粘膜に触れないようにして、酔いにくくする)
外食続きで不足するビタミンCはオレンジジュースから取ります。あと中欧のソーセージやハムはとにかく美味いのでこれも少々。
昼前からフェストでも飲み食いする予定なので、腹六分目くらいに留めておきます。
食後はホテルの出入り口辺りから適当に持ってきた地図を睨み、脳内で行動予定を立てる作戦会議を行いました。
この時はまだ朝8時過ぎ。オクトーバーフェストの開始時間は平日10時〜、休日9時〜で、この日は土曜だったのですぐに出撃しても良かったのですが、午前中はそんなには混まないだろうと判断し、9時に出て10時頃に会場に着くことにしました。
さあ出発です。
オクトーバーフェスト会場は厳しい手荷物サイズ制限があるため、ほとんど身ひとつの軽装で行きます。
ちょうど空港に向かう方のルフトハンザバスが来ていました。(市街に向かうのとは微妙に違う場所)
まずは最寄りの地下鉄 Nordfriedhof ノルトフリートホフ駅に向かい、U6(U-Bahn=地下鉄のこと) で5駅目の Odeonsplatz オデオンスプラッツ駅(Platz=広場)に向かいます。そこでU4かU5に乗り換え、3駅目のTheresienwiese テレージエンヴィーゼ駅に向かいます。そこが会場最寄り口です。
まずは切符を買います。
さすが観光都市ミュンヘン。充実の言語ラインナップです。ここは好意に甘えて素直に日本語を選択。
この日使う1日券(※24時間券ではない)と、翌朝ホテルからバスターミナルへ向かう分の片道切符を買っておきます。
こっちの切符は原則として購入時からではなく、打刻した時点から有効なので、こういう方法が取れます。
これ↓が1日券です。6.7ユーロ≒870円。
ドイツ語で「市内1日乗車券」「1名、打刻した時点から翌6時まで有効」と買いてあります。
翌日私がオーストリアのインスブルックへ向かうバスは10時発で、念のためバスターミナルについても調べましたが大した待合スペースもありませんし、何より有料のホテルの朝食の時間外になってしまうので、翌日用の券も必要だと判断しました。翌朝は大荷物を持ってますし、今が買い時です。
券はクレジットカードで購入したのですが、自動で排出されるのではなく自分で抜き取る形式だと気付かずに、吸い込まれたと勘違いし、無人駅だったのでしばらくパニックになったのはここだけの話。
大事なチケットの打刻を済ませます。
\ガチャコ-ン/
駅の出入り口だけでなく、コンコースとホームの間も片側人感の双方向エスカレーターでした。
私しかいなかったので遠慮なく使います。
日本から中欧に来たら何でも右側通行ということに注意です。反対方向に乗るとエライことに。
ミュンヘン市の紋章が入った、やや古めの車両がやってきました。
車内は乗車率130%くらいのやや混雑。
ヴィスン(オクトーバーフェスト会場)に近づくにつれ、明らかに参加者だと分かる民族衣装を着た人達や、見事なビール腹の団体が乗り込んできてテンションが上がってきます。乗り換え駅から先はもう、そういう人たちしかいなかったです。
順調にテレージエンヴィーゼ駅に到着!
←Oktoberfest ってわざわざ書いてありますね。(笑)
列になりかけの細長く動く人だかりの流れに5〜10分乗ったら、ついに到着しました!
これがヴィスン内の地図です。
私の現在地は北東の正門です。
救護所や外国人観光客用の両替所が目につきますね。トイレの場所も書けよ。
オクトーバーフェストの飲食は主にビール会社等が出す「Zelt ツェルト」=テント と呼ばれる木造建築の中です。
私がとりあえず目指すのはLöwenbräu レーベンブロイという、ミュンヘンでも名門のビールのツェルトです。地図の右側の下から2番目ですね。
レーベンブロイは日本でも人気だった(2018年いっぱいで親会社のアサヒが輸入を打ち切ってしまいました)ビールで、私も大好きなのです。
東京ドーム9個分と言われる広大なヴィスンの中をずんずん進んでいきます。
ツェルトや中小の屋台や土産物店に混じって、こんな大がかりな遊具もあります。本来は遊園地的な場所なんでしょうね。
レーベンブロイのツェルトに着きました!
簡単な身体検査を受けて中に入ります。
とにかくデカい。
地球の歩き方にはツェルト1つあたり6000〜7000人が収容可能とありましたが、実際東京ビックサイトのホール1つ分くらいはありそうでした。そんなにデカいのがゴロゴロと。
見たところツェルト中央部は予約席、外縁部は自由席とのことなので、正面入り口から見て右奥に陣取りました。
テーブル座席は6〜8人掛けでした。3人の日本人家族と相席にさせられそうになったのですが、その家族(特に民族衣装を着て気合いが入ってるお父様)に嫌がられてしまったので、別の所を1人で占領しました。日本人同士だと旅情が台無しになりますからね、仕方ない。
「1時間ね」と一言注意され、すぐにメニューが出てきたので、鍛えたドイツ語ぢからの揮い所はここぞと頭をフル回転させます。
30秒くらい考えて、「Maß Oktoberfestbier(1ℓオクトーバーフェスト用ビール)」と「2 Stück Münchner Weißwürst(ミュンヘンの白ソーセージ2本)」を頼みました。
「Maß マス」とは、直訳で「単位」。1マス=1ℓで、オクトーバーフェストではこのサイズでの提供が当たり前です。
白ソーセージはドイツ語でヴァイスヴルスト。
ビールはすぐにやって来ました。
\ドコンッ/(重低音)
音がやべぇよ音が。
早速グビッといったところ、確かにちょっと酒精がストロング。味も記憶のものより濃かったです。
ヴァイスヴルストもやって来ました。
テーブルでお会計です。
ヴァイスヴルストは皮を剥いて甘いマスタードをつけていただくものです。
ミュンヘンっ子は端っこから巧みに中身を吸い出すようで、「zuzeln ツーツェルン」という専用の動詞もあります。(NHKEテレ「旅するドイツ語」情報)
1本目は難儀しましたが、2本目はコツを掴んで割と上手いこと剥けました。
お味はというと、とっても美味です!
肉々しさとか野趣はまるでなくて、ふわふわした食感と爽やかな香草やレモンの風味です。
そもそも焼いてなくて茹でてあるものです。
いくらでも食べられそうですが、高いので自重します。
ヴァイスヴルストはミュンヘン名物で、その日の早朝に屠殺されたばかりの牛や豚のすり身に香草を練り込んで作られ、速やかに供されます。
加工や冷蔵の技術が進んでいなかった昔には、「ヴァイスヴルストは教会の正午の鐘を聞くことは許されない」と言われるほど傷みやすいものだったとか。
午前中に間食として頂くのが正しいスタイルだと聞いていたので、私もそれに倣ってみました。
と、そこに私のテーブルへアジア系の男女がやって来ました。
何人かなぁと思っていると、「日本人ですか?」と日本語で聞かれたので驚き。
「はい、そうです。貴方も?」と聞き返すと、「いえ、中国人です。上海から来ました。」と答えるのでますます驚きです。
完璧な日本語を使う、超親日家の中国人でした。
もっとも日本語が使えるのはご夫妻の旦那さんの方だけで、奥さんは出来ないとのことでした。奥さんは筒型の音声翻訳機を持っていて、それでコミュニケーションを取っていました。
この中国人夫妻にもメニューが出されるのですが、どうやらご夫妻どちらもドイツ語が分からないようで首を捻っています。
そこで、メニューのドイツ語を私がまず日本語に翻訳し、旦那さんがそれを中国語に翻訳し、奥さんが考えます。決まったら今度は逆に折り返して、私がドイツ語でウェイトレスさんに注文するという奇妙な連携プレー体制が出来上がりました。
結局ご夫妻は確かビールしか頼みませんでしたが。奥さんは1ℓと聞いて明らかに引いていましたのを覚えています。
ご夫妻にも迅速にビールが運ばれると一緒に乾杯し、旦那さんと日本語でおしゃべりに興じます。
すっかり仲良くなれて、名前やメールアドレスを交換しました。
おしゃべり中にツェルト中央部の台に楽団が登り、思わせぶりな様子を見せながら、でもなかなか演奏はしてくれません。
そうしてあっという間に私の1時間は過ぎ、席を立とうとしたところ、やっと演奏を始めてくれました。
それではお聞きください。オクトーバーフェスト名物、生「乾杯の歌」です。
Ein Prosit,Ein Prosit
アインプロージット アインプロージット
(さあ乾杯だ、さあ乾杯だ)
der Gemütlichkeit!
デァ ゲミュートリッヒカイト!
(皆が集まったこの時に)
※ここまでを×2
Oans,Zwoa,drei,g‘suffa!
オアンス ツヴォア ドライ グズッファ!
(1、2の3、飲み干せ!)
Prost!
プロースト!
(乾杯!)
https://www.oktober-fest.jp/sp/song.html
ジョッキは既に空でしたが、高々と掲げてきました。
大満足でレーベンブロイのツェルトを出た私はしばらく水を買って飲んだり、トイレ(無料)に行ったり、お土産屋さんに行ったり。
これはお土産屋さんで見つけたもの。
香辛料が入ったクッキー、レープクーヘンというものだそうです。(詳しいフォロワーさんより)
Ich liebe dich. イッヒ リーベ ディッヒ(きみを愛してる)と書いてあるのが目立ちますね。
ちなみに私はこんなことを言った後ロクな記憶がありません。そっとしといてください。
屋台もデカいのがたくさんあります。
Hendl ヘンドル ローストチキンに、Breze ブレーツェ 日本ではプレッツェル🥨として有名ですね。これも名物ですがほぼ満腹なのと、周囲を見回しても座って食べられる場所が無かったのでスルーしました。
時間も正午前、どんどん人が増えてきます。
ミュンヘンで最古参ビール醸造所のアウグスティーナーのツェルトに向かいましたが、既に満杯のようで規制されて入れません。
適当な知らない名前のツェルトに入りますが、ここも空席が見当たらず撤収。
机の上に立つのはご法度ですが椅子の上ならOK。既に出来上がったビールクズたち(褒めてる)が楽しそうにはしゃいでいます。
ビール注ぎ本部(とでも呼ぶべき場所)はまさに戦場の雰囲気です。
この鬼混みの様子に、仕方なくフェストからの撤退を決めて出口に向かいます。
何も考えず出口を出てしばらくしてから、あることに気付きました。
(最初に入った出口じゃない…)
普段なら慌ててUターンするところですが、酒が入って陽気になっていたのと、下調べでこのヴィスンの出入り口には全て近くに駅があることは知っていて、1日乗車券を持っていた私は(なるようになるだろ)と気にしませんでした。
出るより入る方が圧倒的に多い人の波を辿っていったら、大きな鉄橋に出ました。
橋の下は川ではなく夥しい数の線路。
Hackerbrücke ハッカー橋という所です。
右手を見ると、ミュンヘン中央駅、そしてオーストリアの赤いRailjetと、ドイツが誇る白地に赤線のICEが駅に入っていくのが見えます。
となれば橋を渡り切れば…
ZOB、ミュンヘン中央バスターミナルです。橋まで来た時点で察しがついてました。
こんな感じで歩いてきちゃったんですね。
フライングになりましたが、明日使うバスターミナルなのでしっかり偵察を行います。詳しい構造等はまた次回に。
偵察の最中にはお金をATMから引き出したり、中のスーパーで飲み水とシャンプーを買ったりしました。これから先のホテルには備え付けてある保証が無いからです。石鹸は日本から持参してきました。
30分程度ZOBを見てからは、休息のため一度ホテルに引き上げることに決めました。
ZOBに隣接するHackerbrücke ハッカーブリュッケ駅(Brücke=橋)から、Sバーン(高速鉄道)で3つ目のMarienplatz マリエンプラッツ駅まで。そこでU6に乗り換え、6駅乗ってホテル最寄りのNordfriedhof駅まで戻ります。
こうして14時ごろに一度ホテルに戻ってきたのですが、清掃中で入れませんでした。
なのでホテルの隣のカフェに入り、小腹を満たしつつ時間を潰す作戦を取ります。
オススメとして「古バイエルン式蒸しパンのバニラソースがけ」があると看板に書いてあったので、それと炭酸なしの水をカウンターで注文します。
席について待っている間にメニューを見ると…
煎茶がありました!
「発酵していない」、「日本でしばしば飲まれる種類のお茶」、「軽い甘味と合う繊細な香り」とありますね。先にメニュー見てたら頼んでたのに。
蒸しパンがきました。
バニラソースにシナモンがたっぷりかかって、ベタ甘ですが美味しいですね。
もちゃっ。
もっちゃもっちゃ。
…味と食感が単調すぎて飽きてくるタイプでした…(和食はこの辺り優秀だと思うんですよね)。
だんだん苦痛になってきたあたりで無事完食。
一口二口ならとても美味しいので、次からは人とシェアしたいものです。デカすぎる。
それから部屋に戻ったら清掃は無事終わっていて入ることが出来ました。
この時15時前で、雑に16時まで休むことにしました。iPhoneも充電に繋ぎ、暇つぶしにツイキャス を行なったところ、日本の23時にあたるので、いつもの数名+αが来てくれました。
16時にまたホテルを発ちます。
最寄り駅が「北部墓地」なだけあって、墓石屋さんがありました。
今度は先程のオクトーバーフェストへルートをほぼ逆走して、一つ手前のミュンヘン中央駅に向かいます。
地下から中央駅構内に入ると、広大なスペースに小さいお店の数々、それを抜けると頭端式(行き止まり)のプラットホームが十何本もありました。
ドイツ国鉄(DB)の誇るICEです。
ICEにはいくつか種類がありますが、これは中でも一番カッコいい(主観)ICE-3ですね。
車内に入れないか探ってみましたが、到着からだいぶ時間が経って封鎖され清掃中のようで、入れませんでした。
ホーム、36番線もあるんですね。1つの駅としてここまでの数は日本には無いかも…。
こちらはミュンヘンとチェコの首都プラハを結ぶ私鉄、「alex」の車両ですね。中欧で広く使われている電気機関車ユーロスプリンターに独特の塗装を施しています。
こちらは車内に入れたのですが、2階建ての普通のシートの客車と1階建てのコンパートメント座席の客車が混在していました。
ちなみにこのalexだとプルゼニュを経由して、プラハまで5時間半かかります。この区間にもICEかRailjetが導入されると良いですね。
こちらはドイツの特急(おそらくIC)ですね。
オーストリアのICもいました。イタリアから来ていたものです。
そして!私が何より好きなRailjet レイルジェットもいました!
これはミュンヘンからザルツブルクやウィーンを経由して、ハンガリーの首都ブダペストとの間を7時間かけて走る車両です。私にRailjetを語らせたら止まりませんが、今回は主役ではないので控えます。
ハンガリー愛を刺激されたので、ホームにあった自販機でハンガリー風パプリカ味のポテチを買いました。(1ユーロ)
帰国後に食べましたが美味しかったです。
こういう電光表示板見ると昂りますよね。
こんなミニチュアも大好きです。
さて、撮り鉄はこの辺にして、しゅにっつぇるさんに前夜頼まれたおつかいを済ませます。
内容は「スーパーのレジでドイツのSIMカードO2に15ユーロチャージして、そのレシートを見せること」です。
スーパーが中央駅の中にないかと探したのですが見つからないので、諦めて外に出ます。iPhoneの地図アプリによると近くにスーパーがあったので。
このDB(ドイツ国鉄の略称)って彫ってある取っ手すき。
そのスーパー探しをしてる内に書店に吸い込まれて衝動買いしたのがこちら。
„Der Dreißigjährige Krieg“=有名な三十年戦争(1618〜48)を扱った歴史雑誌ですね。なお絶賛積んでます。
おつかいは特に見どころなく無事に終了しました。これがそのレシートです。
次は私の趣味で、「ドイツ語で書いてある日本(東京)についてのガイドブックを買」いに、扱っていそうな大きい本屋を観光しながら探します。
概ねこんな感じで、徒歩でミュンヘンのランドマーク、Marienplatz マリエンプラッツを目指します。(iPhone地図にはマリアンと書いてありますが…いや、マリアの広場でマリエンプラッツなので、そう間違いとも断じられない…)
中間地点のKarlsplatz カールスプラッツでお目当ての大きい本屋を発見しました。ここならあるでしょ。(慢心)
大学時代に大きな書店でバイトをしていた経験から、エスカレーターを目指してずんずん進んでその脇にあるであろう案内板を見ようとしたのですが、なんと2階から上が改装中で閉鎖されてるではありませんか。
途方に暮れながら営業している1階をくまなく見て回りましたが、やはり見つからず…。しゅにっつぇるさんに相談しても、まさにその2階で扱っているはずだとのお返事でガッカリです。
仕方なく本屋を探しながら観光に戻ります。
純白のカールス門(Karlstor)を潜って先に進みます。ここからは歩行者天国のノイハウザー通り (Neuhauser Straße)です。
ミュンヘンでは何故か栗の屋台を多く見かけます。名物なのでしょうか。
アイスクリーム屋さんです。美味しそう。
結局ガイドブックは買えないままマリエンプラッツに着いてしまいました。
名所のネオゴシック様式の新市庁舎です。
真ん中の塔には仕掛け時計があるのですが、私が行った時は残念ながら仕掛けが動くタイミングではありませんでした。
何やら政治団体の活動と思しき騒ぎと人だかりが出来ていたので、写真撮影もそこそこに夕食を摂りにホフブロイハウスを目指します。
マリエンプラッツからホフブロイハウスまでは徒歩5分です。これはその短い道のりにあった騎馬像なのですが…
バイエルン皇帝ルートヴィヒ?
バイエルンは「王国」なので皇帝はいないのですが、もしかしたら神聖ローマ帝国のヴィッテルスバッハ家(バイエルンの王家)出身のルートヴィヒ4世(1282〜1347)でしょうか。
こんな感じの道を進みます。
着きました、ホフブロイハウス!
どうやら1階のビアホールと2階のレストランは満員のようで、物腰柔らかな老ウェイターに3階に上がるよう促されます。
3階はだだっ広いホールに何列も何列もテーブルが縦に隙間なく並べられていて、軽く500から1000人は入れそうでした。
この時まだ18時ちょっと前。早く行ったのが奏功したか、半分以上の席がまだ空いていました。
飲み物メニューです。
食べ物は裏面に書いてありましたが、押し寄せる観光客を効率よく捌くための抜粋メニューのようでした。
私はミュンヘン伝統の黒ビール(Dunkel ドゥンケル)と昼間食べそこなった名物バックヘンデル(ローストチキン)をオーダーしました。
やはり「マス」ジョッキはデカい!
(後日談…帰国後に独検を受けて、「HBの鉛筆で」という問題の注意書きを読んだら、完全にHBがこのホフブロイのロゴにしか見えませんでした。)
鶏肉と、付け合わせのポテトサラダも実に美味しそうです。
周りにいたアメリカ人夫婦、ミュンヘンっ子男女、メキシコ人のカルロス君と景気良く乾杯してグビグビと。
美味しい!
クドくないのに味わい深くて…香ばしさと上品な甘さで本当に美味い黒ビールです。
さすがミュンヘン最古参ビール。元王立醸造所。
中近世には庶民には有名なビール純粋令を出して材料を大麦に制限させておきながら、自分たちは高価で美味しい小麦(ヴァイツェン)ビールを作って荒稼ぎしていた歴史もあります。アコギですねぇ。それこそ収入は三十年戦争などで有効活用されたとか。
鶏もしっかり火が通って肉々しい旨さ、どんどん進みます。
はい、ごっそさん。ペロリといけちゃいました。なんだろうこの征服感。
相席の人たちに挨拶をしてその場を辞します。
その後は行きとは違う道を方向感覚を頼りに歩いたら、見事にノーミスでマリエンプラッツに戻ってこられました。この時が19時半頃。
地下鉄マリエンプラッツ駅はかなり広く、色々なお店が地下道にありました。
見つけたパン屋さんでミネラルウォーターと、野菜不足を補うために緑色をしたスムージーを買いました。
そうしてホテルに戻るべく地下鉄に乗ったのはいいのですが…
めっちゃトイレ行きたくなってきた。
中欧の地下鉄駅は東京とは違って全ての駅にトイレがあるわけではありませんし、ホテルの最寄り駅にもありませんでした。なので降りたところで無駄の可能性が高いです。ホテルまで我慢するのが最善なのですが…
なんか電車が知らない駅に着いた。
そう、マリエンプラッツからノルトフリートホフまではU6で行かなければならないのですが、途中まではU3と同じ区間を走るため、ホームも同じで交互に電車がやって来るので、乗り込む際には注意が必要なのです。が、いい感じに酒が入っていた私はそれを怠り、見事1/2を引いて逆方向のU3に連れて行かれてしまったのでした。
その辺鋭いのか鈍いのか分からない私は迅速に一駅目でそれに気付き、慌てて下車して引き返します。
正しいU6に復帰するべく乗り換え駅のMünchner Freiheit ミュンヒナー・フライハイトまで引き返し、乗り換え待ち中に血眼でトイレを探すもやっぱり無くて、もはや電車内で座っていることも出来ずにドア脇に立って挙動不審な東洋人となるしかない私。
やっとホテル最寄りの駅に着いてからはホテルの自分の部屋まで必死の小走りをして、すんでのところで事なきを得ました。危なかった…。
ちなみに、こういう電車ミスは今後も旅行中何回かやらかします。
ほっと一息ついて、先程のスムージーを不味さに閉口しながら飲み干し、夕食後の薬を飲みます。後はくつろぎながらTwitterを開き、しゅにっつぇるさんにDMで任務達成の報告といくつか相談や打ち合わせをして、合間にツイートを見たり書いたり。
この日はちょっと早めに22時頃には床に就き、1日を終えました。
そうそう、寝る前にこれだけ。
ミネラルウォーターに日本から持ってきた日本茶のティーバッグを仕込んで一晩放置します。
こうすると翌朝には美味しい水出しのお茶が出来ているのです。海外旅行中の私が必ずやるライフハックです。
これで今度こそおやすみなさい…。
というわけでこの日は終わりです。
結局オクトーバーフェストは、予約はしていなかったので、テンション最高潮の時間は避けてちょこっと覗くだけに留まってしまいました。
ですが予想よりずっと良い雰囲気と治安で、「限界」な感じはしませんでした。
かつては酔い潰れた人がバタバタ倒れたりしていたようですが年々洗練されていっているのと、警備や救護もとても充実したように思います。
何より会場がとにかく広い!何十万という酔っ払いがいても収容出来る、日本では規格外な圧倒的な「ヴィスン」の広さが可能にした偉業なのではないかと思いました。
翌日はいよいよ二重帝国旧領のオーストリアに入り、インスブルックに向かいます。
ここまでお読み頂いた方は本当にありがとうございます。また次回以降もどうぞよろしくお願いします。
では。
こちらは完全な寄付金となります。 もし殊の外お気に召して頂けました場合のみで構いませんが、頂戴したお金は大事に使わせていただきます。