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グエン・フー・チョン書記長死去後の街の様子について

日本でもニュースで見られたと思いますが、ベトナム共産党最高指導者のグエン・フー・チョン書記長が7月19日、首都ハノイ市内の病院で老衰と病気のため死去しました。

この死去の報道によって、ベトナムの街は一気に自粛ムードに入りました。

さらに7月25日・26日には国葬が実施され、この2日間の服喪期間は、公的機関や公共の場所では半旗が掲揚され、娯楽活動は自粛ではなく全て停止しました。

私はベトナムに来てまだ日が浅いですし、国のトップが亡くなるタイミングに居合わせるのはもちろん初めてです。(むしろベトナムにおいて、国の現役トップが在任期間中に亡くなるのが初めて)

35年間行きてきてここまで徹底した自粛ムードは初めて経験しました。

そういう意味ではとてもめずらしい空気感を体験したので、記事化していきたいと思います。

そもそもグエン・フー・チョン書記長とはどういう方なのか、なぜここまでの自粛ムードになるのか、自粛ムードとはどういう雰囲気なのか?などをお伝えできればと思います。

「書記長」という肩書について

グエン・フー・チョン氏をご紹介する前に・・・
日本ではあまり馴染みのない「書記長」という肩書き。書記長は、社会主義国家において党の長を指します。社会主義国のベトナムにおける国家機構は「唯一の支配政党であるベトナム共産党の指導を受けること」が憲法に明記されています。なので、書記長はベトナムにおいて実質的なトップということになります。

ベトナム経済の発展に多大な貢献をされたグエン・フー・チョン氏

チョン氏は1944年ハノイ市生まれで、ハノイ市党委員会書記、国会議長などを歴任し、2011年1月に書記長に就任しました。本来、党規約では書記長の任期は連続2期10年までと定められていますが、チョン氏は2021年1月から異例の3期目を務めていました。

そんなチョン氏は、国内で深刻な社会問題となっていた汚職の撲滅に向けて、党や政府の幹部などに対する摘発や処分を推し進めていました。21年に発足した党最高指導部の政治局員18人のうち7人が更迭されるなど、「禁止区域も例外もない」の言葉の通り改革を実施し、国民からも高い評価を受けていました。
さらに、かつて戦火を交えたアメリカへ訪れたり、南シナ海問題で対立する中国とも友好を保ったり、“根は強固、幹は堅固、枝は柔軟“な「竹のような外交」を推し進めていき、友好国との関係強化、国際的な地位向上にも貢献しました。
こうした、チョン氏の活動はベトナム経済の発展・生活の質向上にも寄与しています。

グエン・フー・チョン書記長(写真:baochinhphu.vn)

長くなりましたが、とにかくチョン氏は国民からの信頼も厚く、世界各国からも認められる、“歴史に名を刻む人物”です。そんな偉人の死去だからこそ、国中が自粛ムードにまでなるわけなのです。

自粛ムード中の街の様子について

さて、実際の自粛ムードですが・・・

まず、外出する際にマンションのエレベーターの広告がストップしていました。最初は故障か?と思いましたが、自粛のひとつだったようです。

また、いつもはサイゴン川で大音量の音楽とキラキラ演出で彩られる船上パーティも自粛していました。

観光地であるニャチャンにはいつも通り観光客がいましたが、女性のいるようなお店は閉まっていました。ルーフトップバーもDJイベントなしの時短営業。毎晩上がる花火も上がりませんでした。

ただ、都市部の民間企業はいつも通りといった感じで、飲食店も営業していました。
街の人通りはもいつもよりちょっとだけ少ないかな?という様子。

しかしテレビをつけると、終始チョン氏のニュースが放映されていました。
ベトナム人Youtuberもチョン氏関連の動画をこぞってアップロードしています。
ベトナムの友人のFacebookなどの投稿もチョン氏のニュースを引用した投稿が目立ちました。

空港のモニターも全てチョン氏追悼の内容に。

多くの企業やメディアが喪中表示になりました。


25日から始まった国葬には政府高官をはじめ数千人の国民も参列しました。

(c)AFP

ちなみに日本の喪服といえば「黒」ですが、ベトナムでは「白」が葬儀の際の正装だそうです。家族親戚は葬儀の際には白の喪服を身につけて式を執り行います。

亡くなった方から孫までの世代にあたる人たちは「白のハチマキ」を身につけ、親等が増えていくにしたがってハチマキの色が変わっていくとのこと。

国葬は26日まででしたが、翌日からは徐々に自粛ムードが緩和されていきました。

今回は、グエン・フー・チョン氏に謹んで敬意と感謝を込めて、noteに書かせていただきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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