見出し画像

【223日目】戒名の差別

ご隠居からのメール:【戒名の差別】

人間は他者と差別をつけたがる動物だから、差別はなくならないんじゃないかな。

聡明院大賢達道居士 興左ェ門 明治五年酉一月二十三日 旧十一月十五日

曹洞宗では戒名にも差別がある。仏さまにも位の差がついているのだ。我が家の過去帳によれば、江戸時代の仏さまには院号がついていないが、七世の祖、興左衛門さんからは院号がついている。もちろん、日本に曹洞宗をもたらした道元は、戒名で差をつけたりはしない。

今どき、院号の戒名は高くつくだろうな。安くても百万円といったところか。オレは死後の戒名をつけなくてもいいよ。つけるとすれば、鈍感院大愚貧道居士かな。

経済的差別については、『海賊とよばれた男』のモデルとされている出光佐三に、『マルクスが日本に生まれていたら』という著書があるので、図書館にリクエストしておいた。

>>本心をさらけだす文章が人の批判と共感を得るだろうなとは、ちょっ>>と、思ってる。

ーーそれは無頼派作家の手口だが、当然、バッシングを受ける。まあ、きれいごとでお茶をにごす文章のほうが世渡りには安全だろう。ものは考えようだがね。


返信:【Re_戒名の差別】

與左衛門さんは、相当スゴイ人のようだね。聡明で、賢くて、徳まで極めている。生まれた歳がわからないけど、それこそ、山田方谷さんや太田辰五郎さんの時代を生きた人だね。お祖父ちゃんの興一さんが、山田方谷さんのことを調べていたということなので、関わりありそうな気もするけど、もはやわからない。

でも、與左衛門さんは、七世の祖なんだね。一世代五十年と計算すると、與左衛門さんが亡くなった1872年(明治五年)から350年前に「尼子の落人」が高瀬の地 に住み着いたことになるから、1578年(天正六年)の「上月城の戦」の後と計算は合いそうだね。もしくは、長牛之助が西谷の地を賜った後に1600年前半に流れ着いたか。

すると、六代と記載のある友次郎さんの墓石の意味がよくわからなくなるが、まあ、いいか。

経済格差かーー欲を出したらキリがないし、将来の不安も金があれば、そのストレスも軽減されるのだろうけど、これだけ物が溢れるなかで、どんな生き方が正解なのかは、やはり考えてしまう。

ロクデナシのギャンブラー時代は、人生でいちばん楽しい時代だったが、とにかく将来が不安だった。一方、現在は、人並みの生活をし、一定の経験、体験をして、多くの人に支えてもらいながら、幸せな人生を送っているが、張り合いのないと感じてしまう。

やはり自分は、人を楽しませたり、喜ばせたりするのことの方が性にあってそうだ。


<<<次回のメール【224日目】古事記

前回の話【より道‐74】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」の整理>>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?