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【224日目】古事記

ご隠居からのメール:【古事記】

我が国に伝わる最古の歴史書『古事記』「雄略天皇」記に次の記述がある。

大長谷若健命、長谷の朝倉宮に座しまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下王の妹、若日下部王を娶したまひき。子無かりき。また都夫良意富美の女、韓比売を娶して、生みませる御子、白髪命、次に妹若帯比命。ニ柱。故。白髪太子の御名代として白髪部を定め、また長谷部の舎人を定め、また河瀬の舎人を定めたまひき。この時呉人参渡り来つ。その呉人を呉原に安置きたまひき。故、其地を号ひて呉原と謂ふ。

古事記

「長谷部の舎人を定め」とある。「舎人(とねり)とは、6世紀後半ころ国造(くにのみやつこ)またはその一族で朝廷に貢進され、天皇や皇族の護衛と雑役を勤めた下級官人のことだ。

家系図では、長谷部氏の祖は桓武天皇か清和天皇になっているが、実は6世紀後半にさかのぼる。古いということに価値があるとすれば、尼子氏、毛利氏どころか、清和源氏や桓武平氏よりも古い。


返信:【Re_古事記】

六世紀の頃から長谷部の名が存在しているとは、すごいことだね。1180年頃の信連が、長谷部を名乗ったのには、なにかつながりがあるのだろう。長谷部信連の経歴を調べてみると、信連は以仁王とそれほど近しい関係ではなかったらしい。

『源平盛衰記』には以下のように記されている。

「この信連と言うのは、長年仕える侍ではない。この御所に伺候した事は、本妻は日吉社の神子である。宮の御所に伺候していた若い女房に思いを寄せ、二心なく通っていた矢先、出会って伺候したのである。年来の侍でも打ち解けるべきではない。ましてやかりそめの信連であれば、御慎みあるべきであったけれども、突然の事である上、信連は心根が賢かったので、このようにおっしゃったのである」。

三浦氏の五男として生まれた信連は、天皇に仕える身として京都で、長谷部を名乗るようになったのではないかね。また、古墳時代だと「物部麁鹿火もののべのあらかい」の流れから長谷部の名ができたと、どこかで読んだ記憶がある。どちらにしても、当時から戦を職業にしていたのだろう。

昨日のセミナーは、「立志継栄と人間学」というものでなかなか面白かった。そのなかで気になった箇所は、「志はもっているか?」「志は、なぜ必要だと思うか?」という問いに自分は答えられなかった箇所。そこから、論語や過去の偉人の人達のことばを紹介された。

子曰わく、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反らざれば、則ち復せざるなり。

(現代訳)
孔先生がおっしゃった、学びに対する気持ちが盛り上がっていなければ教え導かない。学んだ内容を理解していてもどのように表現していいか分からないという状態にならなければ導かない。ものごとの一端を教え示すと他の隅々についても反応を示すようでなければ、再び教えることはない。

論語

憤の一字は、これ進学の機関なり舜何人ぞや、予何人ぞやとは、まさにこれ憤なり

(現代訳)
発憤の「憤」の一字こそ学問向上の大本である。あの理想の皇帝とあがめられた舜王も、われわれと同じ人間ではないか。志さえしっかり持っていれば誰でも舜王のようになれるのだ

言志四録

十有三春秋(じゅうゆうさんしゅんじゅう)
逝者已如水(ゆくものはすでにみずのごとし)
天地無始終(てんちしじゅうなく)
人生有生死(じんせいせいしあり)
安得類古人(いずくにかこじんにるいして)
千載列青史(せんざいせいしにれっするをえん)


(現代訳)
自分が生まれてから、すでに十三回の春と秋を過ごしてきた。水の流れと同様、時の流れは元へは戻らない。天地には始めも終わりもないが、人間は生まれたら必ず死ぬ時が来る。なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ。

頼山陽

一、「稚心を去る」:自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする以外に方法はない。その第一歩は「稚心」、つまり「子供っぽい心」を捨て去ることである。

二、「気を振う」:負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそがふる人を変えるエネルギーになる。常にそうした心を持ち、緊張をゆるめず油断のないようにしなければいけない。

三、「志を立てる」:夢や目標を持て。自分の心の向かうところをしっかりと決め、一度決心したからには、その方向を目指して絶えず努力するべきである。

四、「学を勉める」:学問を学ぶことは大切である。そして、それを世の中のたつとめに正しく生かすこともまた大切である。

五、「交友を択ぶ」:互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶこと。自分を高めてくえられ、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、何よりも大切にするべきである。

橋本佐内

義を明らかにして、利を計らず

(現代訳)
利益を追求するのではなく、正義とは何かを明らかにして正しい道を進めば、自然と利益がついてくる

山田方谷

志を持つには、じぶんのことを理解して、好きなコト、得意なコト、やりたいコトを洗い出して、他者が理解するものが志となると教えてもらった。

人間学はなかなか面白い。他にも過去の経営者の言葉として山田方谷が事例にあがり、嬉しくおもった。

参加者ディスカッションのなかで「自分は正しい道を歩みたい」と志を話す人がいたから、自分は「根がまじめだから、大人になってもロクデナシでいたい」と伝えておいた。


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