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米軍を騙した創作機を追って

発端

事の始まりは自身の配信企画及びShorts動画の連続企画である
「WarThunder まだ追加できる日本軍機 BEST5」に続く、
Shorts新連続企画「WarThunder たぶん追加できない日本軍機 BEST10」
候補機を探していた時でした。

未完成試作機や計画機だけでは面白くないと思い、戦後の創作で生まれた架空機ではない、架空の機体だが米軍がコードネームを与えた非実在日本軍機が存在する事を思い出しました。
私はその米軍に存在すると思われていた非実在日本軍機があるという事を以下のnoteで知っていました。そして、米軍のコードネーム表からこのnoteで紹介されている以外の機体もあり、それが海外の模型メーカー(Unicraft Models)で商品化されている事も知っていました。

米軍のコード表内の架空の日本軍機

Wikipediaの米軍日本軍機コードネーム表やそれらを解説する英語サイトにより、コードネームを与えられた機体の内、
"Gus" = "Nakajima AT-27"、"Joe" ="Type TK.19 fighter"、
"Frank"後に"Harry" = "Mitsubishi T.K.4 Army Type 0"、
"Omar" = "Sukukaze 20 fighter"
の4機が雑誌の創作機の誤認と判明しました。

これらの内、一つを企画中で取り上げたいと思った私はより詳しい情報を得る為、本格的に一次ソースを調べる事にしました。当初、科学雑誌「機械化」がこれらの架空機の発信源と考えていたのですが、海外の解説などで航空雑誌「空」内の読者投稿コーナー「新・設計家の夢」に投稿された創作機という事が判明しました。


勘違い:英”FLIGHT”誌と米海軍「日本軍機マニュアル」

私もここまで調べた段階では、航空雑誌の読者投稿コーナーに送られた「僕の考えた最強の機体!」が米軍に実在機と勘違いされ、コードネームが与えられた。というシンプルな勘違いだと思っていました。しかし、更に調べ、一次ソースである資料を集めていく内に、実際にはもっと複雑で奇妙な事件と判明しました。

まず、海外サイトの情報から航空雑誌「空」の「新・設計家の夢」を転載した雑誌が英国の航空雑誌"FLIGHT"と判明し、当該するバックナンバーである”FLIGHT”12月25日号を確認しました。そこには確かに"A.T.27"と"Suzukaze 20"の図がありました。
しかし、"T.K.4"、"TK.19"は図がなく、文章での言及のみでした。

Other new fighter designs of more orthodox conception are the T.K.4 and the T.K.19. the former a tiwin-engined tiwin-tail monoplane and the latter a single-engined machine of orthodox outward appearance,but with the twin row radial placed some way back in the fuselage and cooled by a duct system not unlike that De Havilland Albatross.

”FLIGHT” December 25th, 1941 p469~p470より抜粋

("FLIGHT"誌のバックナンバーの閲覧は会員登録・サブスク加入が必要)

そして、米公文書(米海軍)の"Japanese Aircraft Manual"(1943/7)を確認した所、これら4機の内でコード表に残っていたのは
"Harry” = ”Mitsubishi TK-4 Army Type 0 Single Seat Twin-engined Fighter"
だけでした。そして、これはこう説明されています。

Based on Fokker D-23 . A subsequent development will include fitting of Kinsei radial engines of 1000 h.p. each .

O.N.l. 249 Japanese Aircraft Manual July, 1943 p28-1 Remarks部分の記述

ここで、お気付きになった方もおられると思いますが、"T.K.4"は"FLIGHT"では図がありませんでした。当然、フォッカーD.XXIIIの日本製改良型なんて説明はありません。この時点では別の情報源から「空」誌からフォッカーD.XXIIIに似た"T.K.4"の図が渡った可能性がありました。
しかし、実際にはそうではなかったのです・・・。


根源:「空」誌の「新・設計家の夢」へ

私は根源である航空雑誌「空」を閲覧するため、国会図書館に利用者登録をしました。本登録が完了し、当該する「空」誌1941年4月号を見て新たな事が判明したのです。

「空」1941年4月号「新・設計家の夢」には8つの読者の投稿した創作機体が取り扱われ、”FLIGHT”12月25日号に掲載された"A.T.27"と"T.K.4"、"TK.19"が
高仲 顕 氏の投稿「高仲式 AT27 単座双発試作戦闘機」
河合 登喜夫 氏の投稿「TK式発動機カウリング」内の図Aに「TK-4型複座急降下爆撃機」、図Bに「TK-19型」として掲載されていました。

(「TK-19型」は河合氏が「空」紙1940年10月号にペンネーム TK生で投稿した機の改良型)

しかし、"Suzukaze 20"は「設計家の夢」には掲載されていませんでした。そして、何より「TK-4型複座急降下爆撃機」はJu-88やBf-110に似た双発爆撃機と思われる非常に小さな側面図が掲載されているだけでした。更に「高仲式 AT27」の図は”FLIGHT”12月25日号に転載されたものとは異なるものでした。


推論:おそらく判明した「実在機と勘違いされたワケ」

「設計家の夢」には掲載されていませんでしたが、"A.T.27"と"Suzukaze 20"は同「空」1941年4月号内に掲載されていました。「空」誌は毎号巻頭に実機の写真が載る「口絵書報」というコーナーがあり、1941年4月号に限って
想像される明日の戦闘機「AT-27」もう一つの新機軸の提案「涼風-20」(湯川 利夫 氏が考案との記述)
として創作機が実機の写真と並んで掲載されていたのです。この図は”FLIGHT”誌に掲載されたものとまったく同じものでした。

(調べた限り、この1941年4月号以外に「設計家の夢」掲載の創作機が「口絵書報」に取り上げられた事はありませんでした。)

つまり、英”FLIGHT”誌が創作機を実在機と誤認したのは、単に創作機を実在機と勘違いした訳ではなく、「空」1941年4月号の「口絵書報」で実在する機体の写真に並んで「AT-27」と「涼風-20」の2機が掲載された事が原因と推測されるのです。

更に「設計家の夢」内で考案されている「TK式発動機カウリング」の取り付け例として記載された2機だけを取り上げたのは、おそらくここで提案されているもの(創作されたもの)がカウリングだけであり、既存の実在機の改良案と捉える事もできるからだったのかもしれません。


経過:事実誤認のキメラ、陸軍零式戦闘機へ

さて、結局の所、極めて真っ当な双発機だった「TK-4型複座急降下爆撃機」が特徴的な外見のフォッカーD.XXIIIの日本製改良型”Mitsubishi T.K.4 Army Type 0”になった決定的な原因は不明なままです。

しかし、「空」誌1941年4月号「新・設計家の夢」の「TK-4型複座急降下爆撃機」の図が小さい側面図だった事で、”FLIGHT”12月25日号が双発双尾単葉機(a tiwin-engined tiwin-tail monoplane)と推測で記述してしまったのは想像に容易です。双発双尾単葉機ならエンジンの配置については記述をしていない以上、P-38のような外見でも、フォッカーD.XXIIIのような外見でもおかしくはありません。ついでに”FLIGHT”誌は”bomber”とも"fighter"とも記述していないので、この機体が爆撃機か戦闘機かも分からないわけです。

結局、こういった曖昧な情報に「日本軍がオランダ機をライセンス製造もしくはコピー製造している」という別の情報が混じり、更にメーカーや形式番号まで適当に推測され、「TK-4型」はフォッカーD.XXIIIのような"Mitsubishi Army Type 0"へ変えられてしまったのでしょう。

なお、「日本軍がオランダ機を運用している」という記述は”FLIGHT”12月25日号の創作日本軍機4機を掲載した同じページ内にあるものの、そこではフォッカーD.XXIIIは挙げられていません。
(挙げられた機種はコールホーフェンFK58戦闘機でした。)

As mentioned in a previous article, Japan has mainly relied for her licencebuilt types on German, Italian and to a smaller extent American designers.
Japanese air missions have spent much time in Germany, and as a result the following German types are now in service: In the Japanese army, the Junkers Ju 86 and 87, and the Heinkel 111 and 112. Italy is represented by Fiat C.R.42 fighters, and B.R.20 bombers. In addition the army has some Koolhoven F.K.58 fighters.

”FLIGHT” December 25th, 1941 p469より抜粋

まとめ:陸軍零式戦闘機とは?

このワケありコードネーム有り架空機4機の内、"Harry"は元の「TK-4型双発急降下爆撃機」から英”FLIGHT”誌に機体形状を曖昧に記述され、米軍に原型機やメーカー、制式名を勝手に加えられた結果、「三菱陸軍零式単座双発戦闘機」となってしまったという事でした。


オマケ:Frank襲名問題 in Wikipedia

さて、この一連の調べ物であまり関係のないWikipediaの間違いを発見しました。これです。

マッコイはコードネームを付与する部門の責任者でもあり、自分の名前を有力な戦闘機に付けたいと願い、一旦「三菱陸軍零式単座双発戦闘機(Mitsubishi Army Type 0 Single-seat Twin-engine Fighter.)」(架空の機体)に与えたが、のちにそれを取り上げて四式戦に割り当てた、ということになっている。「三菱陸軍零式単座双発戦闘機」には代わりに「Harry(ハリー)」という名が与えられたという。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』四式戦闘機 開発経過-コードネーム より抜粋
(2023年1月10日 (火) 10:58 更新版)

「三菱陸軍零式単座双発戦闘機」は1943年7月の"Japanese Aircraft Manual"の時点で”Harry”でした。そう、四式戦闘機疾風が戦場に現れるよりずっと前に”Frank”から改名されていたのです。

更に1944年9月頃の”Handbook on Japanese Military Forces”では事実誤認機がすべてコードネーム表から姿を消しています。ついでに四式戦もまだ記述されていません。

つまり、四式戦闘機に"Frank"と付ける代わりに三菱陸軍零式単座双発戦闘機が"Harry"に変更されたのではなく、最初に三菱陸軍零式単座双発戦闘機に"Frank"のコードネームを付けたが、後に"Harry"に変更され、更に後に姿を消し、最後に四式戦闘機に"Frank"のコードネームを付けた。というのが正しいようです。
ややこしいですね・・・!もう、どうでもいいですよ!


最後に:Shorts動画のネタとしてはボツ

結局のところ詳しく調べたらややこしい経緯が判明して、Shorts動画の尺では使えないからボツにするというオチでした。

私は特別軍事系Vtuberという訳ではないのですが、今回は大真面目に変な機体について資料を調べました。ただ、ネタとして動画で使うには面倒なのでnoteにして供養したというのが今回の内容でした。

まだまだ、動画や配信は少ないですが、今後も様々なネタ動画やゲーム実況を配信していく予定です。でも軍事系Vtuberではないので、こういう話はメインではありませんし、多くする予定ではありません。もっとお笑いっぽいネタ動画やおじさんオタク雑談ネタを投稿するつもりです。
でも興味をもって頂けたら下記のチャンネルページから動画や配信アーカイブを視聴して頂けると幸いです。

なにこれ

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