Let you be you (あなたをあなたらしく)
いつも雑多な思考が飛び交う私の頭の中に、ふと
「性自認が女性じゃないトランスジェンダーの方は生理をどう受け止めてるんだろう?」
と、突然の疑問が湧いたので調べてみた。
シスジェンダー(性自認と体の性が一致する)女性である私でさえ生理を肯定的に受け止め難い時があるのに、心と身体の性が一致していない人たちにとってはさらに深く自分の身体を嫌悪する理由になるのではないかと思ったからだ。
そこで、「月経活動家」なる存在を知った。
生理についての対話を、性の垣根なくもっとインクルーシブにするための活動に何年も取り組んでいる団体があるようだ。
「生理をインクルーシブなものに」
そう聞いて、たしかに学校でも男子や男性教諭の耳からなぜか生理の話題は遠ざけられていたことが思い返された。
「○○ちゃん生理痛で欠席です。」と連絡すると、女性教諭から「男性もいる場面でそういう連絡は控えてください。」と注意されたことがあったが、むしろ私は男性にこそ生理痛は欠席理由に値するものだということをあたりまえのように知ってほしかった。
生理で休むというのは、風邪で休むのと同じくらい恥ずかしくないものであってほしい。
声をひそめて忠告してきた女性教諭は、生理は女性の間だけでひそひそ話さなければいけないような話題だという感覚があるのだろう。
その「恥」の感覚がよけいに生理への嫌悪感を重くしているように感じた。
Period Prince(月経王子)の異名を持つ「C」というノンバイナリーの月経活動家は、2017年にインスタグラムで経血の染み付いたパンツ姿で股を開いてベンチに座る姿をアップし、15歳で初潮を迎えた時のショックを綴ったそうだ。
“Bleeding While Trans“(トランスでありながら流血)とハッシュタグがつけられて広まったその写真はなかなかのインパクトだった。
こういう強いインパクトの表現や訴えには、必ず嫌悪感を持つ人が大勢いることが容易に想像できる。
アライ(LGBTQ +やマイノリティーの支持者)を自認する私ですら「経血の染み付いたパンツ姿をインスタにアップ」と聞いた時点では積極的に見たいものではないと思った。
大学でもハードなフェミニスト学生がディスカッション授業でアグレッシブに、赤裸々に個人の性的な話を曝け出すことに違和感を覚えたこともあった。
他の学生たちも見るからにひいていて、彼女の理解者はごく少数かその場にはいないようにも見えた。
主張がいかに彼ら彼女らにとって切実でも、悲痛な叫びであればあるほど他人の嫌悪感を煽るという面もある。。
一度嫌悪感を持たれてしまうと、彼らが力強く叫べば叫ぶほど嫌悪する側には騒音でしかなくなり、そこには埋め難い大きな断絶が生まれる。
私はそういう場面を目撃すると、必死に叫ぶ側の孤独と絶望の深さを想像して悲しくなる。
叫ぶ言葉の内容がどんなに受け入れ難いものであっても、彼らが切実である限りは孤立や絶望の中に放っておくことはできない。。
人が切実に叫ぶ理由には、何かの痛みや傷があるだろうから。
私は自分の嫌悪感や違和感を信頼する前に、こう考える。
「はたして私たちは、他人の嫌悪感を煽らずに自分の痛みや傷を表現したり訴えたりすることってできるだろうか?」
「痛みがそこにあるのに、ないふりをして黙っていながら肯定的に生きることができるだろうか?」
「C」の経血写真は、その大胆さと対照的に他人の嫌悪感や無理解を恐れて「受け入れられる」ことばかり意識しすぎていた自分の臆病さにひるがえって気づかせてくれた。
SNSでも、他人からできれば「いいね」をもらいたいために個人的な思いの切実さを隠して人々に受け入れられやすい内容に寄せていく努力をしたり、
アンチコメントを誘わないように言葉を選んで臆病になったり、誤解されず好感のもてる表現を意識したり、小さな表現に気を払いすぎて頭のデータが重くなっていた気がする。
自分を表現をしたいと願う人は、周囲の目や評価への恐れが一番の壁になる。
私にとってこれまでの半生、何度も繰り返し囲まれては壊してきた壁だ。いつでも気づけば新たな壁が立っている。
美大に入学したばかりの頃、まだ友達のいない当初キャンパスや食堂で一人でいることが恥ずかしく苦痛だった。
高校時代までは昼休みや休み時間を一人で過ごすことはハブられている以外にありえないことだったからだ。
それを母に話すと、
「美大行って人の目気にしてたら意味ないわ。
孤立することが恥ずかしい人がなんの表現ができる??」
と言われ、その言葉にハッと目が覚めた。
単純な私は、次の日から一人で「私は美大生だ!!」と思いながらキャンパスを闊歩し、どこへでも一人で行くことが誇らしく思えるようになった。
周囲の目を気にしなくなると全てが新鮮で楽しくなった。
何か相談した時の母の言葉はシンプルで、私の人生の要所要所で魔法のようにいろんな困難へのブレイクスルーを起こした。またどこかで紹介したい。
この記事は、「生理のインクルーシブ化」という問題意識から始まって、
「C」というノンバイナリーの活動家の激しい表現に触れたことで
批判や無理解のために自分の切実な問題を表現することへの恐れをなくそう!と思ったことをとりとめもなく綴ったものである。
だいたい私の頭の中はこんなふうにとりとめもないので、思考記述としてありのまま残していきたい。
Let you be you (あなたをあなたらしく)おそれずに。
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