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『コップの中の水をもうこれだけしかないと考えるか、まだこれだけあると考えるか』

というのを、
気付いて忘れてまた気付く。


『半分も減ったという何も無いコップの上の部分をみるのか、
半分も有るというコップの下の水の部分を見るのか。』

『コップの上の部分をみるか、コップの下の水の部分をみるのか』

『中空をみるのか、水をみるのか』

『無をみるのか、有をみるのか』

『無いことに嘆くのか、有ることに満足し感謝するのか』

僕はほとんどの場合において、
コップの上の部分の何も無い部分に注目していることが多い。

できたこと(コップの下=水)をみるよりもできなかったこと(コップの上=から)をみて自分を責めて、

自分の味方でいてくれる人(有)をみるよりも、自分を攻撃してくる人(無)をみて、

持っているものをみるよりも持っていないところみて、

心の健康な部分をみるよりも心が病んでる部分ばかりをみてヘコみ、

体が健康な部分をみるより、体が不健康で痛い部分ばかりをみては嘆き、

生えてる部分に感謝せずハゲてる部分ばかりをみて不満を吐き捨てる……

いつもコップのカラの部分をみて、水を見てはいない。
そんな人間に当然のことながら水へのありがみもなく、いま自分が持っているものへの感謝もいたわりの気持ちもない。

何よりもこの物事の捉え方では、
自分のコップに9割水が入っていても、9割の水をみずに1割の中空の部分をみて嘆き悲しみ生きていくととなるのでどれだけ何を手にしても幸せになることはない。
このような人間が不幸せな人生を歩むことは必然の結果である。世の中のネガティブな部分だけしかみていないのだから。


できなかったことを責めるよりもできたことを褒めてあげ、

敵を攻撃するのに尽力を注がずに味方をいたわり、

持っていないことに嘆かず持っているものに感謝し、

右手が動かないなら動かすことができる左手に感謝し、

心の傷(過去)について考えるよりもいま(現在)の自分の心をみつめる。


これだけ持っているという事実が重要なことではない。
これだけ持っていると実感できることが重要なことなのである。


言い方ちゃうだけで『足るを知る』やないか〜い🍷↑↑↑🍷髭男爵やないか〜い🍷


なんでいつも持っていることをすぐ忘れるんだろうな。あと何回このくだり繰り返すんだろうな。
悪い事より良い事を見ていく。なんでこんなこの上なく単純なことをすぐ忘れるんだろうか。
でも逆に言えば、
『悪い事より良い事みるようにする』
というたった一つのことだけをしてればいいということになる。

人生めちゃくちゃシンプルですやん。

シンプルなことは簡単なことではいけど。

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