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五六七の仕組/弾圧を奇跡的に免れた日月神示

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■弾圧を奇跡的に免れた日月神示


戦前に大本が全盛だった頃、出口王仁三郎は玄洋社の頭山満、黒龍の内田良平ら当時の右翼と通じて、「大アジア主義」の理想実現のために尽力した。しかし、彼らの動きが大きくなりすぎ、右翼革命が起きるのを危惧した当局によって大本が徹底的に潰された。

昭和10年に起きた「大本事件」は近代史上最大・最悪と言われるほど酷い弾圧だった。大本だけではなく、昭和7年には竹内文書の皇祖皇太神宮をめぐる「天津教事件」があり、昭和11年には「ひとのみち教団」が弾圧された。

当時は当局に睨まれたら問答無用ですべて検挙、解散させられるという暗黒の時代だった。日月神示も危うく治安維持法違反で挙げられるところだったが、決行直前で終戦を迎えたために難を逃れた。

戦前の日本を見直そうという動きがあるが、国家権力が暴走すると如何に恐ろしいことになるか、私たちは肝に銘じておく必要がある。

戦前の日本国家体制は良いものではなかった。これが敗戦という形で破壊されることは御神意だったように思える。

そんな日本政府を真っ向から批判して「大アジア主義」の理想を掲げて命懸けで戦ったのが、当時の右翼たちと出口王仁三郎で、大本弾圧後は日月神示につながっていった。


■経済のみの繋がりの「大東亜共栄圏」と心を重視した「大アジア主義」


戦時中に日本が唱えていた構想に「大東亜共栄圏」があるが、「大東亜共栄圏」と「大アジア主義」は似て非ざるものだ。

「大東亜共栄圏」は日本・満州・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)見て、東南アジアまで含む東アジア地域を一つにし、共存共栄を図ろうというものだった。その構想自体は悪いものではなかったが、これは主に経済面で一つにしようという試みであって、アジアの民に心を寄せるものではなかった。

「大アジア主義」はアジア人々と同じ目線に立ち、同じアジア人として心を一つにし、共に繁栄していこうとするもので、よし精神的な信義による繋がりを重視している。


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■過去ログ

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